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外国人事件に関する研修 ~ビジネスと人権~[前半]

Akiko Sato
佐藤 暁子(64期)
東京弁護士会
【略歴】
2006年 上智大学法学部国際関係法学科卒業
2009年 一橋大学法科大学院卒業
2010年 名古屋大学日本法教育研究センター(在カンボジア)
2012~2015年 坂口法律事務所(札幌)
2016年 International Institute of Social Studies(オランダ・ハーグ)開発学修士
2018年 ことのは総合法律事務所(東京)
2022年4月~ 国連開発計画(UNDP)ビジネスと人権リエゾンオフィサー(在バンコク)

CONTENTS

前編
1.「ビジネス」と「人権」とは
2.指導原則とは
3.国別行動計画と加速する法制化

後編 次号掲載
4.日本のビジネスと人権に関する課題
5.企業の対応例
6.企業の実践具体例
7.企業に対するベンチマーク
8.人権取組のポイント
9.最後に

1. 「ビジネス」と「人権」とは

(1) 人権課題と企業の責任、生活とのつながり

日本においてビジネスと人権に関する議論が盛んになってきたのはここ数年と言えるかもしれませんが、世界的に見ると、この問題は数十年前から各所で議論されてきました。今回は、ビジネスと人権についての全体の枠組みや、その中でどのような法規範などが発展しているのか、また、企業の具体的な取り組みなどについてお話をさせていただきます。

皆様には、弁護士という専門職であるとともに、社会で生活している1人の市民として、ビジネスと人権が日常生活とどのようなつながりがあるのかというところも感じてほしいと思います。また、アプローチとして非常にユニークであり、弁護士の専門性が生きる分野だと個人的には感じております。是非そのような観点からも、多くの方に興味を持っていただけたらと思います。

ビジネスと人権というテーマにおいてよく挙げられる業種がありますが、そのうちのいくつかを右図のようにピックアップしてみました。図1

図1 世界の人権課題と企業の責任 私たちの生活とのつながり

上段の左端の写真は綿です。新疆ウイグル自治区の強制労働の問題など、昨今非常に注目を浴びておりますが、綿花の栽培や収穫における強制労働や児童労働の問題は以前から指摘されており、新疆ウイグル自治区に限った問題ではありません。

上段の真ん中の写真は、2013年4月にバングラディシュで起きたラナプラザというビルの倒壊事故です。これはビジネスと人権の関係で、今でも頻繁に挙げられる例です。この倒壊事故によって1000人を超える人々が亡くなったのですが、その多くは縫製工場の労働者でした。縫製工場で作られていた衣類はバングラディシュではなく、欧米や日本といったいわゆる先進国で売られていました。そして、ラナプラザの工場で働いていた人たちには僅かな賃金しか支払われないといった、非常に搾取的な構造がありました。

ラナプラザの事故が起きる直前に、建物の安全性に対する警告があったとのことですが、工場主が、大手ブランドから取引を打ち切られることを恐れて製造を続けたために、このような悲劇が起きてしまったわけです。

もちろん、工場主などに対する安全管理の責任は問われてしかるべきです。ただ、このような構造をつくっているのは、市場において消費をする側である私たち、いわゆる先進国に住む人たちの責任であることも同時に考えていく必要があると思います。ラナプラザの事故は、ビジネスと人権という問題がなぜ議論されているのか、なぜ必要になってきたのかということを非常に顕著に表している例ということで、いまだによく取り上げられています。

しかし、残念なことに、バングラディシュではこの悲惨な事故の後に労働者、労働組合、欧米のブランドや政府などが連携して取り組みを進めているものの、労働者の労働環境が完全に改善したとは言えない状況です。このことは、搾取の構造の根深さを表していると言えます。

上段の右端の写真は、日本を始めとする多くの地域において身近な業種である水産業です。水産業については、自然保護の観点からは資源の枯渇や漁獲高が下がっているというような報道がされています。他方、人権の観点から問題となっているのは、水産・漁業現場における強制労働の問題です。特にタイやインドネシアといった国々では、地上での労働環境とは異なる難しさがある海上での労働ということもあり、長時間労働、低賃金、ハラスメントといった、非常に過酷な労働環境が常態化していると指摘されています。

更に、日本は水産業において極めて大きな市場であるにもかかわらず、人権侵害の下で捕獲された魚が市場に入らないようにするための仕組みづくりが遅れています。その結果、欧米の市場では規制されているような魚が日本の市場に流入してくるということがNGOなどから指摘されています。

下段の左端の写真は非常に使い勝手のいい商材の1つであり、化粧品、食品、せっけんなど、身の回りの多くのものに使われているパームです。日本は、プランテーション栽培されているインドネシア、マレーシアからほぼ100%輸入をしておりますが、パーム栽培の現場でとりわけ指摘される人権問題は、プランテーション経営における移民労働者の人権問題です。

下段の右端の写真は気候変動です。気候変動はESG(環境・社会・ガバナンス)のE、つまりEnvironment=環境に関係し、ネットゼロを目指すことが日本政府の政策でもあることから、企業において気候変動の取り組みに関心が高まっています。

2021年にオランダのハーグ地方裁判所で、大手石油会社に対してCO₂の排出量の削減を命ずるという非常に画期的な判決が出ました。気候変動によって欧州での熱波のような、いわゆる異常気象による健康被害、干ばつによる食糧不足や飢餓の拡大などが発生しています。また、水害等により生活資源や居住する場所を失い移住を余儀なくされたり、それによって子供の教育の機会が奪われたりしています。このように、気候変動はまさに人権に対して直接的な負の影響を与えていると指摘されています。そして、気候変動の要因の1つが企業活動によるCO₂排出であり、企業に対するCO₂排出量の削減要求が世界中で課題になっているというつながりがあります。先ほど挙げたオランダのハーグの判決も、実際の判決文を読んでみると、ビジネスと人権、そしてSDGsの観点が企業の責任を認める根拠としてきちんと言及されているという点で、法的な観点から見ても興味深い判決と言えます。

これまで説明したように、ビジネスと人権と一口に言っても、またがる産業や関係する人権が非常に多岐にわたります。日頃からさまざまな人権問題に取り組んでいる弁護士だからこそ、ビジネスと人権というアプローチもあると個人的には思っています。また、最初に申し上げたように弁護士である前に、1人の市民、あるいは一消費者としてこの問題にどのように取り組んでいくのか、関わっていくのかといったアプローチもあります。私自身も何か正解を持っているわけではありませんが、いろいろな意味で身近な問題ではないかと思っています。

私は、海外留学等を経て、2018年4月に久しぶりに東京に戻ってきて弁護士としてビジネスと人権という分野に取り組んできましたが、最初の1〜2年ぐらいは、弁護士同士でも、企業の方とお話しする中でも、ビジネスと人権という問題に対する感度は非常に低かったという印象があります。しかし、その後いろいろな状況の変化によって注目を浴びるようになり、各所で議論や実践が進んでいるという昨今の状況は、非常に喜ばしい変化だと思っています。

(2) サプライチェーンとビジネスと人権

ビジネスと人権について、問題となる人権や問題が発生する場所に特に限定はないので、自社内におけるさまざまな人権問題に関しては当然ビジネスと人権として取り組む課題です。

他方で、サプライチェーンの上流にいけばいくほど、そこで何が起きているのかについて企業は今まであまり十分な注意を払ってこなかったこともあり、上流においてどのような人権問題が起きていて、それに対して企業としてどのように取り組んでいくのかがビジネスと人権の中でも注目されているところです。このようなことから、ビジネスと人権について、サプライチェーンの問題にフォーカスしてお話しすることが多いのですが、サプライチェーンの問題に限るものではないということも初めにお伝えします。

2. 指導原則とは

(1) 国連ビジネスと人権に関する指導原則

ビジネスと人権という非常に広範囲で抽象的なテーマについて、何を規範として考えればよいかというところで出てくるのが2011年に国連人権理事会において全会一致で承認された国際的な基準である「ビジネスと人権に関する指導原則」です。英語の頭文字を取って、UNGPと表記されたり、日本語ですと単に「指導原則」と省略されたりします。

「国際人権」という概念について歴史を遡ってみますと、もともとは国家による権利保障を求める市民の声によって発展してきました。その後、グローバリゼーションに伴う経済発展により、資源や労働の搾取といった問題が取り上げられるようになりました。そのような場合に、市民の権利に対して影響を与えるのは国家に限らないということが明らかになり、社会や環境に対して影響力を増した企業に対しても、人権尊重を求める声が高まってきたという背景があります。ただ、伝統的な人権の概念、あるいは国際人権規範と呼ばれるものは、基本的には国家を名宛人としているという歴史があり、企業に対して国際人権の尊重をどのように求めていくのかについて、明確な共通概念がなかったところに現れたものが指導原則です。

指導原則は全部で31の原則で構成されますが、大きく分けて3つの柱が存在します。

1つ目の柱は、「国家の人権保護義務」です。これは、新しい概念ではなく、従来の国家の義務を改めて確認するものです。

2つ目は「企業の人権尊重責任」であり、これが正に指導原則として大きな意義を持つ柱になります。人権尊重責任について詳しくは指導原則の日本語訳を見ていただきたいのですが、エッセンスとしては、企業が、世界人権宣言、自由権・社会権規約、ILO中核的労働基準といった国際的人権基準を尊重する責任を負うということが明記されました。

更に、自社内の労働者を始めとする人権問題だけではなく、取引先やその先の原材料の調達なども含めたサプライチェーンやバリューチェーン全体について人権を尊重する責任を負うというように、企業の責任の範囲も広がりました。

指導原則によって企業の責任の共通概念として共有すべきなのは、以下の2点です。1点目は、今までは企業内のコンプライアンスのために参照してきたものは基本的には国内法でしたが、国内法が国際人権基準に合致しているとは限らないため、企業は、国内法に加え、国際人権規範も遵守する必要があるということです。2点目は、企業が人権尊重について注意を払う範囲について、自社内だけではなく、サプライチェーン等も含めた事業活動全体が含まれるということです。

このような指導原則が導かれた背景には、企業が、ガバナンスなどが脆弱な国や地域で活動する場合に、そのような脆弱性を利用して不当に利益を増大させてきたという状況があります。更に、企業が、原材料の調達まで遡って人権を尊重することまでは企業の責任ではないとして、責任逃れをすることで利益追求してきたような場面がありました。そのような場合でも、企業はきちんと国際人権規範の下で責任を果たすべきことが、指導原則によって国際的なスタンダードとして確立されたのです。指導原則において非常に重要なのが、企業活動において企業が見るべきリスクというのは、いわゆる人権リスクであり、経営リスクではないという点です。

3つ目の柱は、「人権侵害に対する救済へのアクセス」です。どれだけ国家や企業が熱心に人権を保護・尊重するという活動をしたとしても、人権侵害を完全になくすことは困難です。その場合に重要なのは、人権侵害の被害者に対する救済・補償の方法を確立することです。

(2) 国際人権基準とは

法律家として参照すべきものとしては、まずは、ハードローと言われる国内法になると思いますが、それだけでは不十分です。先ほど説明したように、国内法が全て国際人権基準に合致しているわけではないことから、指導原則において、国際人権条約等の国際人権基準を企業の行動規範とし、企業はそれを尊重する責任を負うということが明記されています。それぞれの条約の中で規定されている権利は、労働者の団結権・団体交渉権、児童労働の禁止、労働安全衛生の問題、教育を受ける権利、強制労働の禁止、社会保障を受ける権利、ハラスメントの禁止、住居や資源へのアクセスの権利、合理的な理由のない差別の禁止など、日本の憲法を始めとするさまざまな法規で保障されるべきものがほとんどです。

日頃、企業の方とお話ししている中で、自分たちの生活と人権がどのようにつながっているのかについて、自分事として理解してもらうことが難しいと感じることが多々あります。人権について、改めて考えたことがない人が多く、今までさまざまな基本的な人権が十分に保障された環境で生活してきた、いわゆる社会のマジョリティーの人が多いという印象です。

したがって、外国人労働者の権利などに代表されるような、少数者の権利がどのような意味で課題となっているのかについて日頃から意識していないと、人権の重要性や人権侵害の状態についての認識を共有しづらい状況なのかと思います。

(3) 企業が人権への影響を配慮すべき状況

指導原則は、人権に対する負の影響と企業活動との関係性について、下図のような3つの類型を紹介しています。図2

図2 企業が責任を持って取り組む範囲は? 人権リスクとのつながりを見る

1つ目は人権への負の影響を直接引き起こしているCauseという類型、2つ目が人権への負の影響を助長しているContributeという類型、そして3つ目が負の影響が取引関係によって、企業の事業・製品・サービスに直接結び付いているLinkageという類型になります。

ただ、Causeという類型は非常に分かりやすいのに対して、ContributeとLinkageは判断基準が決まっているわけではありません。そのため、どの類型に当たるのかについて緻密に詰めて議論するよりも、もっと大局的に捉えて、事業活動と人権への負の影響の関係や根本的な要因をきちんと探り、改善していく取り組みの方が、指導原則の趣旨からすると重要だと感じています。

(4) 人権デューディリジェンス

指導原則は、人権に対する負の影響と企業活動との関係性について、下図のような3つの類型を紹介しています。図2

指導原則は、企業に対して人権尊重責任を果たすことを求めていますが、具体的にどのようにすべきかについては、人権デューディリジェンスというフレームワークを紹介しています。

人権デューディリジェンスというのは、企業法務における既存のデューディリジェンスとは全く目的や範囲が異なります。

まず人権デューディリジェンスは何のために実施するものなのかというと、事業活動と人権リスクとの関係性をきちんと把握し、人権侵害を予防したり救済したりしていくためです。この点を強 調するのは、最近人権デューディリジェンスという言葉が知られるようになってきて、「チェックボックス型」と批判されるような、とりあえず対象項目をチェックして終了というような、非常に表面的な取り組みが増えているという批判が世界的に指摘されているからです。

具体的にどのように人権デューディリジェンスを行うのかについて、比較的よく引用されるOECDの『責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス』の図を使って説明します。図3

図3 人権デューディリジェンス 継続的に取組むことが必要

ここでは6つのステップが紹介されていますが、最初のステップは責任ある企業行動を企業方針及び経営システムに組み込むというものです。これは企業の経営陣が、人権尊重責任を自社の責任として実践していくことを企業の内外に示すという目的があります。近年、企業が出している人権方針と言われるものがこれに当たります。

企業が人権尊重の取り組みの実効性を担保するためには、経営陣が人権への取り組みの重要性を認識し、そこに適切なリソースを割くことが重要であると感じています。人権方針は、人権デューディリジェンスの最初のステップとして、その後の全ての活動に非常に影響を与えるものだと感じています。

人権方針を作成した後に何をするのかというと、事業活動がサプライチェーン全体も含めたステークホルダーの人権にどのように影響するのかということを把握してそれを評価するという過程になります。具体的には、企業において、自分たちの事業活動がどのようなサプライチェーンを構築しているのかを把握し、それぞれについてどのようなステークホルダーが関係しているのかということを把握することになります。

2番目のステップは、事業活動によって、ステークホルダーに対してどのような負の影響が起こり得るのか、あるいは既に発生しているのかを特定して、その深刻さの度合いを評価するというものです。ステークホルダーの例としては、自社や取引先の従業員、工場の周辺住民、原材料の調達現場における労働者といったさまざまな人々が考えられます。

3番目のステップは、特定した負の影響を停止、防止及び軽減することです。

4番目のステップは、講じた措置の実施状況および結果の追跡調査をすることです。

5番目のステップは、企業の人権の尊重責任は社会に対する責任でもあることから、企業は、負の影響についてどのように対応しているのかを外部に情報開示をしてコミュニケーションをきちんと取ることで、説明責任を果たすことです。

6番目のステップは、人権に対する負の影響が既に生じている場合に是正措置を行う、あるいは是正のために協力をするというものです。

これらはPDCAサイクルと言われており、実際は図のようにきれいに回せるものではないのですが、試行錯誤しながら取り組んでいくことが人権デューディリジェンスのプロセスになります。

PDCAサイクルの図の右側に、私が個人的に感じているものや一般的な留意事項を記載しました。人権デューディリジェンスの対象となるのは人権リスクであって、経営リスクではありませんので、まずは影響を受ける人たちのリスクはどういったものなのかという人権リスクを中心に捉えることになります。また、人権に対する影響というのは、日々いろいろな状況で変わっていくものなので、人権デューディリジェンスを1回実施すればそれで終わりということではなく、日常的な事業活動や経営判断の中に人権の視点を組み込むことが必要です。

人権デューディリジェンスにおいては、人権侵害の認識がないからこそ早い段階から取り組むことが必要な問題というものは多分にあります。そのため、顕在化しているリスクだけでなく、潜在的な人権に対する負の影響もしっかり拾い出し、深刻化しないようにすることが重要です。例えば、セクシャルマイノリティーのように、なかなか当事者が声を上げることができず、一見すると特に権利侵害がなさそうに見えるものがむしろ人権の問題として重要です。

更に、人権デューディリジェンスが取引先なども対象にするため、事業範囲が広くなればなるほどサプライチェーンを遡った人権問題についてモニタリングできるように、従業員、取引先、地域住民といったステークホルダーとの対話(ダイアログ)を行って実態を把握することが非常に重要です。

下図は、人権デューディリジェンスについて、簡素化した例です。図4

図4 人権デューディリジェンスの実施 誰のどんな権利?

サプライチェーンによくある原材料の調達から製造、流通、販売、廃棄といった流れに沿ったものです。

例えば、原材料調達における先住民の土地の権利の問題、製造現場における工場労働者の労働安全衛生の問題、流通におけるトラックの運転手の適正な労働時間・賃金の問題、販売における店舗従業員に対する顧客からのハラスメント、廃棄におけるプラスチックのずさんな処理による島嶼国住民の水資源へのアクセスの問題などがあります。企業は、サプライチェーン、バリューチェーン全体のステークホルダーのうち、誰のどのような権利が負の影響を受けるのかについて丁寧に洗い出し、それを評価する作業をする必要があります。

(5) 指導原則10年~ロードマップ~

2011年に指導原則が採択されてから、2021年で10周年を迎え、指導原則の統合と実践のスケールを拡大するために、今後の10年に向けて何が必要かを定めるロードマップが作成されました。ご参考までに、下図において要点を挙げてみました。図5

図5 指導原則10周年「UNGPs 10+」 8つのアクションエリアからなるロードマップ

ロードマップにおいては、グローバルの課題に対応する羅針盤として指導原則を活用すべきだとして、近年、気候変動との関係で指摘されているJust Transition(公正な移行)や、人権尊重を通じてデジタルトランスフォーメーションを最適化することなどが指摘されています。そのほかにも、国家が政策の一貫性を確保すること、企業の人権尊重の取り組みをスケールアップすること、コーポレートガバナンス・ビジネスモデルに人権デューディリジェンスを組み込むことなどが指摘されました。

3. 国別行動計画と加速する法制化

(1) 国別行動計画(NAP)

指導原則は、国家が人権保護義務を負うことを第1の柱として置いており、指導原則を実施することは国家の義務とされています。国家に対してはそのような義務を果たすための具体的なロードマップを策定することが推奨されており、それがNAP(国別行動計画、ナショナル・アクション・プラン)と呼ばれるものです。NAPは、イギリス、オランダ、ドイツ、フランス、アメリカ、スペインといった先進国のみならず、いわゆる中低所得国・新興国と言われるコロンビア、チリ、ケニア、タイ、パキスタンといった国などでも策定されています(2022年5月時点で世界29ヶ国)。図6

図6 国別行動計画:NAP

日本では、2020年10月16日に「ビジネスと人権に関する行動計画に係る関係府省庁連絡会議」においてNAPが策定されました。日弁連でもNAP策定の前から意見書を出しており、NAP策定後の2020年12月には「ビジネスと人権に関する行動計画公表を受けての会長声明」を公表しました。日弁連HPの「ビジネスと人権に関する取組」というページに意見書なども全て掲載されているので、是非ご覧いただければと思います。

日本のNAPの内容としては、まず、労働(ディーセント・ワークの促進等)、子供の権利の保護・促進、新しい技術の発展に伴う人権、消費者の権利・役割、法の下の平等(障害者・女性・性的指向・性自認等)、外国人材の受け入れ・共生という6つの分野別行動計画が挙げられています。

また、企業に対しては「政府から企業への期待表明」として、指導原則に従って企業がすべきことが記載されています。具体的な内容は、人権方針の策定とそれにつながる人権デューディリジェンスの実施、及び救済メカニズムの構築というものであり、基本的には指導原則に従ったものです。

一方で、NAPは法的拘束力や法規範性がないため、欧米を中心とした海外では、企業に対してさまざまなアプローチを用いてより直接的に人権デューディリジェンスを義務化する法律が増えています。具体的には、2015年にイギリス、そして、2018年にはオーストラリアで現代奴隷法が制定されました。その後、2017年にはフランスで人権デューディリジェンス法が、2019年にオランダで児童労働に特化したデューディリジェンス法が制定されました。また、2021年にはドイツでサプライチェーンデューディリジェンス法が制定され、2023年から施行される予定です。そのほかに、アメリカでは指導原則の策定前から紛争鉱物に関する規制や、カリフォルニア州のサプライチェーン透明法などがあります。また、2021年には、アメリカでウイグル強制労働防止法が成立しました。これらは、ビジネスと人権に関する法制化の流れと言えるかと思います。

資源を発注し購入をする側の国々で法制化の動きが進んでいる分野では、資源の調達国にも影響を与えているため、調達国側におけるNAPの策定につながっていると言えます。

(2) EUコーポレート・サステナビリティ・デューディリジェンス指令案(CSDD)

2022年2月23日に欧州委員会において、人権と環境に対するデューディリジェンスを義務化するコーポレート・サステナビリティ・デューディリジェンス指令案(CSDD)が発表されました。

詳細はCSDDの原典を参照していただきたいのですが、基本的にはいかに指導原則に実効性を持たせるかという視点でできています。

デューディリジェンス義務の内容として求められていることは、企業方針へのデューディリジェンスへの組み込み、人権・環境に対する潜在的・顕在化リスク特定のためのデューディリジェンスの実施、特定したリスクの停止・予防・軽減、救済に関するグリーバンスメカニズムの設置と維持、デューディリジェンスの方針と手法の実効性のモニタリング、情報開示というものです。

CSDDが採択された場合には、EUでビジネスをする企業のみならず、そのような企業と取引する日本企業などにも大きな影響があるということで注目されています。

(3) ESG、人権に対する投資家の関心の高まり

企業にとって、ビジネスと人権を推進するモチベーションのひとつに公正公平な競争条件を担保することが挙げられますが、いわゆるESGという観点から投融資活動を行う投資家の関心の高まりも大きな影響があると感じています。

日本では2015年に年金積立金管理運用独立行政法人が国連の責任投資原則(PRI)に署名してESG投資を推進したことがきっかけで署名機関数が増えており、2022年6月現在では117社がPRIに署名しています。

ESGとビジネスと人権の関係では「社会」の部分が人権と関わりがあると言われることが多いのですが、環境気候変動などの「環境」の部分も人権に関わりがあります。最近は、例えば女性取締役の比率といった「ガバナンス」の多様性として人権に関わるといった場合もあります。

(次号につづく)