会長声明・意見書

死刑制度の廃止を求める決議

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更新日:2021年03月23日

2021年(令和3年)3月22日
第二東京弁護士会

1 当会は、政府及び国会に対し、
(1) 死刑制度を廃止すること、及び、
(2) 死刑制度の廃止までの間、死刑の執行を停止するための所要の措置を講ずること
を求める。

2 当会は、今後とも、刑事事件の被害者及び被害者遺族の支援に全力で取り組む。

第2 決議の理由

1 はじめに

 生命に対する権利(「生きる権利」)は、人が生まれながらにして持つ基本的人権の基盤となる、最も基礎的な権利である。個人の「生きる権利」の価値に高低の差はなく、その価値は等しく尊重されなければならない。 死刑はその「生きる権利」を国家の名において強制的に剥奪する究極の刑罰であり、いったん執行されてしまえば原状に復することができない不可逆的な刑罰である。1
他方で、凶悪で残忍な殺人事件や無差別の大量殺人事件、テロ等によって、無辜の被害者の生命が奪われたとき、いかにして社会秩序を回復するか、また、いかにして傷ついた遺族の感情に寄り添うかという命題は避けて通れない。
 これはすぐれて社会的、文化的な命題であり、加害者に対していかなる刑罰を科するべきかについては、かかる文脈を離れて考察することはできない。 我が国は、長年にわたって、加害者に死刑を科することにより社会秩序の回復と遺族感情の慰撫を図りうると考えて、死刑制度を維持してきた。
 しかしながら、個人の尊厳に由来する基本的人権の基盤である「生きる権利」の意味、加害者に対する社会的処遇と社会秩序の維持のあり方、被害者遺族に対する社会的対応のそれぞれを改めて考察するとともに、国際社会の一員として、その安定的な平和の実現と発展に寄与すべき責務にも視野を広げ、死刑制度の廃止について再考すべき時期が来ている。2

1 「生命は尊貴である。ひとりの生命は、全地球より重い。死刑は、まさにあらゆる刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑罰である。それは言うまでもなく、尊厳な人間存在の根源である生命そのものを奪い去るものだからである」(最判昭和23年3月12日)、「死刑は、懲役、禁錮、罰金等の他の刑罰と異なり、被告人の生命そのものを永遠に奪い去るという点で、あらゆる刑罰のうちで最も冷厳で誠にやむを得ない場合に行われる究極の刑罰である」(最決平成27年2月3日)

2 死刑を残虐な刑罰(憲法36条)にあたらないとした前出最判昭和23年3月12日も、「死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」と判示し、同判決の補充意見では、「憲法は、その制定当時における国民感情を反映して右のような規定を設けたにとどまり、死刑を永久に是認したものとは考えられない。」「国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。」と指摘されている。

2 死刑制度の問題点

(1)誤判の危険性

 死刑制度の廃止を考えるべき最大の理由は、死刑が誤判により取り返しのつかない人権侵害を引き起こしうることにある。
 刑事裁判が神ならぬ人間により行われるものである以上、誤判の可能性を絶無にすることが不可能であることは、刑事裁判に携わる弁護士にとって共通の認識である。そして誤判による死刑の執行は、国家による、これ以上なく悲惨な、取り返しのつかない人権侵害であり、絶対にあってはならない。
 1983(昭和58)年から1989(平成元)年にかけて、死刑が確定していた4つの事件(免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件)において再審無罪が確定した。その後も、名張毒ぶどう酒事件・袴田事件について一旦は再審開始決定がなされ、現在まで再審請求審が続いており、確定判決が誤っていた可能性は否定できない。さらに、2010(平成22)年から2016(平成28)年にかけ、無期懲役刑が確定していた足利事件・布川事件・東電社員殺害事件・東住吉事件(いずれも求刑は無期)において、再審で無罪の判決が確定している。日本では、検察官による求刑の内容が事前に明らかにされず、死刑求刑事件の審理であっても、それ以外の事件と異なる特別な手続が採られることはない。そのため、無期懲役判決における度重なる誤判の存在は、死刑判決においても、同様に誤判(えん罪)が存在する可能性を否定できないことを示している。
 さらに、裁判員裁判における死刑判決が、控訴審で量刑不当により破棄・減刑された事例が7件報告されており、上告審係属中の1件を除く6件で無期懲役判決が確定している。死刑の量刑判断における考慮要素を示したものとして、いわゆる永山事件第一次上告審判決があるが、死刑を選択する基準としては明確性を欠き、判断者によって結論が異なる可能性は避けられない。この量刑基準の不明確性は、本来は死刑以外の刑罰が相当であった事案につき、死刑が誤って選択される危険を示すものである。このような量刑判断における誤りも、死刑を科されるべきではなかった人にこれが適用されるという結果を生じさせるという意味において、えん罪による誤判と同様に、あってはならないことである。
 今後、誤判を防止すべく刑事手続きが更に改善され、刑事裁判手続きに関わる全ての者が誠実に職務を執行したとしても、私たち人間によって運用される以上誤りが生じる可能性を排斥することはできない。死刑が不可逆的に生命を奪う刑罰である以上、かかる可能性のある死刑制度は廃止されるべきである。

(2)死刑の犯罪抑止効果は証明されていない

 他方、我が国を含む死刑存置国においては、凶悪犯罪に対する抑止効果が、死刑制度維持の大きな理由とされてきた。
 しかし、死刑に他の刑罰を上回る犯罪抑止効果があるかについては、長い間論争が続けられてきたものの、いまだ決着はついておらず、死刑の犯罪抑止効果に否定的な結論を示すデータや研究結果も多い。
 例えば、1981(昭和56)年に死刑を廃止したフランスの統計でも、廃止の前後を通じて殺人事件の発生率に大きな変化は見られない。
 また、シンガポールでは、死刑執行数が1994(平成6)年の76人をピークに2007(平成19)年には2人にまで減少したが、この期間に殺人事件の発生率はむしろ低下している上、この低下の傾向は、歴史・文化・人口密度・経済レベルといった諸点でシンガポールと類似しているが1966(昭和41)年を最後に死刑執行がなく1993(平成5)年には死刑を廃止した香港と同様であったとされている。
 近時、日本でも、死刑判決や死刑執行には、殺人・強盗殺人に対する抑止効果は見られないとの研究結果がある。
 このように、死刑に特別な犯罪抑止効果が科学的に証明されていない以上、これを、死刑制度を維持する理由とすることはできない。

(3)実体・手続両面において制度が不十分である

 死刑制度の維持を主張する日本政府においても、死刑の適用が、極めて罪責の重大な犯罪に限り、ごく慎重になされるべきことには異論がない。最高裁判所も判決、決定等において繰り返しその理を述べている。3 しかし、我が国の刑法体系においては、広範な犯罪について法定刑に死刑が含まれており、死刑が科され得る事案を厳格に限定し、かつ、その適用を慎重に行うための制度は、いまだ十分とはいえない。これは、誤判による死刑に対する懸念をさらに高めるものでもある。
 日本の死刑制度、および死刑制度が前提とする刑事手続については、自由権規約委員会や拷問禁止委員会といった国連の条約機関から、繰り返し改善が求められてきた。例えば、①弁護人に被疑者取調への立会権がないこと、②全面証拠開示制度がないこと、③法律上、死刑を科し得る犯罪が多岐に渡ること、④死刑判決に対する自動上訴(義務的再審査)の制度がないこと、⑤再審開始決定の確定前は、再審請求人の弁護人との秘密接見が保障されていないこと、⑥再審請求・恩赦の出願に死刑執行を停止する効力がないこと、⑦心神喪失の者に対して死刑が執行されないことを確実にする制度がなく、現に心神喪失の者が処刑されたと疑われる事例があること、⑧死刑執行の告知が当日の朝までなされず手続的保護措置を損なうこと、等である。
 また、死刑の判断を合議体の全員一致や特別多数によることが求められていない。さらに、死刑判決に対する上訴が必要的とされていないことから、仮に慎重さや公平性に疑問の残る死刑判決であっても、そのまま確定する危険が常に存在する。なお、2020(令和2)年9月末現在、裁判員裁判による死刑判決のうち、少なくとも5件が上訴取下げ(控訴取下げ4件、上告取下げ1件)により確定し、うち3件で既に死刑が執行されている。
 このように、現在の日本の死刑制度は、死刑適用対象の厳格な絞り込みと、そのための慎重な手続という観点からも、改善や見直しを要する問題が多々あり、少なくとも、死刑の執行を直ちに停止することが必要である。
 なお、死刑の執行は、法務大臣の指揮によるものであるから、政府の決断によりこれを直ちに停止することも可能である。しかしながら、死刑制度の廃止のためにはさらなる国民的議論や政治的決断が必要であり、一定程度の時間がかかることを考えると、その間の死刑の執行の停止をより安定的なものとするためには、死刑執行停止法のような暫定的な立法をすることも視野に入れて、国会においても所要の措置を検討すべきものと考える。

3 「死刑が究極の刑罰であり、その適用は慎重に行われなければならないという観点及び公平性の確保の観点からすると、同様の観点で慎重な検討を行った結果である裁判例の集積から死刑の選択上考慮されるべき要素及び各要素に与えられた重みの程度・根拠を検討しておくこと、また、評議に際しては、その検討結果を裁判体の共通認識とし、それを出発点として議論することが不可欠である。」(前出最決平成27年2月3日)等。

 

(4)死刑廃止の国際的潮流が日本の刑事司法に与える影響

 では、この問題に世界はどう向き合っているのだろうか。
 アムネスティ・インターナショナルによれば、2019(令和元)年の時点で、世界の198か国のうち、法律上・事実上の死刑廃止国は142か国、死刑存置国は56か国で、そのうち同年に死刑を執行したのは日本を含む20か国だけである。またOECD(経済協力開発機構)加盟36か国(2019年当時)のうち、同年に死刑を執行したのは米国と日本のみであるが、米国では死刑を廃止し、あるいは執行を停止した州が年々増加し、半数に迫っている状況である。
 2018(平成30)年、国連総会は、死刑廃止を視野に入れた死刑執行停止を求める決議案を賛成121か国、反対35か国(日本を含む)、棄権32か国の圧倒的多数で採択した。同様の決議は今回で7度目であり、賛成の国は着実に増えている。さらに、日本は、前述した国連の自由権規約委員会・拷問禁止委員会による勧告のほか、人権理事会の普遍的定期的審査においても、死刑執行を停止し、死刑廃止を前向きに検討するべきである等との勧告を繰り返し受けている。
 また、日本が犯罪人引渡し条約を締結している国は、米国と韓国の2か国のみである。これは、死刑制度の存在が、死刑廃止国との条約締結の障害になっているためとの指摘がなされている。現に、1994(平成6)年にはスウェーデンが、2011(平成23)年には南アフリカ共和国が、死刑制度の存在を理由に日本に対する逃亡犯罪人の引渡しを拒んだとされている。他方、国際刑事裁判所に関するローマ規程は、最高刑を死刑ではなく、釈放の可能性が残された終身刑としているところ、日本もこれに署名し、2007年に効力が発生している。
 こうした事情は、グローバル化が進むなか、刑事司法領域においても国際情勢に視野を広げて検討することが重要であり、国際的潮流を考慮することなしには、刑罰の適正な実現が困難になりつつあることを示している。

3 死刑制度に関する当会、日本弁護士連合会等の取組み

 弁護士は、国の司法部門を担う法曹の一員であるが、国家機関の一部ではなく、国家権力による人権の侵害に対して、これを批判し、あるいは対抗することにより、国の司法制度全体の健全な発展に寄与していくことは、弁護士の重要な使命である。そして、司法制度が健全に発展していくためには、現行制度に対する建設的な批判や積極的な提言が不可欠である。弁護士法1条2項後段においても、弁護士は「法律制度の改善に努力しなければならない」と規定されているが、個々の弁護士のみならず弁護士会が、基本的人権の擁護と社会正義の実現の観点から、立法や制度改革に関する提言を行うことは、ますます重要性を増してきている。
 とりわけ刑事司法制度については、民事司法制度に比べ、関与する人々が限られ市民一般による理解も十分とはいえない状況にあり、弁護士会が、国家機関から独立した立場で、基本的人権を擁護する観点から意見を述べることの重要性は大きい。我が国の死刑制度に問題があり、その廃止を含めた改善を要する場合に、その意見を表明することは弁護士会の責務である。
 当会では、1996(平成8)年以降に限っても40回以上にわたって、死刑執行に抗議する会長声明を公表してきた。とりわけ近年の会長声明においては、犯罪被害者遺族が加害者への厳罰を望むことはごく自然な感情であり、犯罪被害者・遺族への支援は弁護士会を含む社会全体の責務であることを認識しつつも、生まれながらの犯罪者はおらず、また、刑罰の目的は単なる応報にとどまらないこと、誤判・えん罪の可能性を否定することはできず誤って死刑を執行した場合には取り返しがつかないこと、死刑に直面している者には死刑の執行に至るまで手続のいずれの段階においても十分な防御権が保障されるべきところ未だ十分とまではいえないこと、死刑廃止に向かう潮流が主流となっている国際情勢においては日本においても死刑制度を含む刑罰制度全体を見直す必要があることから、死刑に関する国民的議論が尽くされるまではその執行を停止するよう求めてきた。
 そして、2018(平成30)年度には「死刑制度検討連絡協議会」を設置し、以後、死刑制度の廃止派・存置派双方の意見を聞く勉強会や、再審請求中の死刑執行及び死刑制度における手続保障をテーマにしたシンポジウム、死刑制度に関するパリ共同弁護士会との共同セミナーを開催するなどして、その存廃等についての議論を精力的に行ってきたところである。
 また、日本弁護士連合会は、2016(平成28)年、第59回人権擁護大会において、2020(令和2)年までに死刑制度の廃止を目指すべきであること等を明らかにした「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択した。この宣言を実現するため、同連合会は、2017(平成29)年に「死刑廃止及び関連する刑罰制度改革実現本部」を設置し、2019(令和元)年には「死刑制度の廃止並びにこれに伴う代替刑の導入及び減刑手続制度の創設に関する基本方針」を取りまとめるなど、死刑制度の廃止に向けた活動を継続している。
 さらに、2016(平成28)年以降、12の弁護士会(滋賀、宮崎県、札幌、大阪、島根県、埼玉、福岡県、東京、広島、愛知県、仙台、神奈川県)と1つの弁護士会連合会(中国地方)において、死刑制度の廃止を求める決議がなされている。

4 世論と被害者遺族の感情について

 日本政府は、死刑制度の存廃は、国民世論に十分配慮しつつ、社会における正義の実現等種々の観点から慎重に検討し、各国が独自に決定すべき問題であるとして、世論を死刑存置の重要な根拠としている。
 2019(令和元)年の内閣府世論調査では、「死刑は廃止すべきである」との回答が9.0%に対して、「死刑もやむを得ない」との回答が80.8%であったが、そのような回答したもののうちでも「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」と回答した者が39.9%おり、未来永劫死刑を存置すべきとの意見が必ずしも大多数というわけではない。また、仮釈放のない「終身刑」が新たに導入されるならば「死刑を廃止する方がよい」との回答も35.1%あった。このように世論調査の結果からは、一見、政府が主張するように死刑存置の意見が多数のようにも見えるが、よく分析すると実は将来的な又は「終身刑」の導入を条件にした廃止賛成が相当多数を占めており、死刑存置が世論の積極的支持を受けているとはいえない。
 死刑は生命に対する権利(「生きる権利」)という最も重要かつ基本的な人権に関わる問題であるから、その存否を世論の多数のみによって決めることは妥当でない。世論が死刑廃止に否定的であっても政治的なリーダーシップで死刑廃止が実現された例は少なからずある。日本においては、死刑制度の運用に関する情報が十分に提供されているとは言い難いという点からも、上記のような世論調査の結果のみをもって死刑を存置すべきとは言えない。
 もとより、犯罪により殺害された被害者の遺族が加害者に対する重罰を望むことは自然な心情である。また、凶悪な犯罪に直面した場合の社会一般の国民感情として、相応の応報がなされることで、バランスが回復されるべきとする心情も否定しがたい。さらに、死刑制度の是非は個人の死生観に関わるものであり、強制加入団体としての弁護士会が意見を述べることは控えるべきであるとの考え方もある。
 しかしながら、死刑が基本的人権の基礎である生命に対する権利(「生きる権利」)を奪う究極の人権をはく奪するものであり、えん罪の危険性がぬぐえないものであること、また、死刑の犯罪抑止効果に疑問があること、そして将来的な死刑廃止を支持する国民世論も相当程度あることに鑑みれば、いまや我が国も死刑制度の存置について再考すべき時が来ていると考えられ、人権擁護団体であり、えん罪に取り組む当会も積極的に死刑廃止を推進すべきである。

5 犯罪被害者や遺族の支援の必要性

 被害者支援と死刑制度の廃止とは、別個の、かつ、相互に両立すべき課題である。被害者支援への取り組みは死刑制度に対する考え方如何に拘わらずなされるべきであるし、遺族感情を理由として死刑制度のもつ問題点が看過されることは相当ではない。もとより、犯罪被害者やその遺族の方に寄り添い、その被害の回復や被害感情の慰撫に務めることは弁護士の重要な責務である。
 我が国の犯罪被害者や遺族のための施策は未だ十分ではなく、これらの方々が必要な支援を受けられるように支援することは、弁護士会を含む社会全体で取り組まなければならない。すなわち、犯罪被害者の誰もが、事件発生直後から公費により必要な支援を受け、迅速かつ確実に損害の賠償を受けられるようにする仕組みが設けられる必要がある。そして、経済的にはもちろんのこと、精神的・心理的な側面への支援も含めて、被害者が生活を再建するための支援を充実させるとともに、被害者の負担を軽減する施策が講じられるべきである。
 日本弁護士連合会は、2017(平成29)年、「犯罪被害者の誰もが等しく充実した支援を受けられる社会の実現を目指す決議」を採択している。当会も、今後とも、犯罪被害者及び被害者遺族の支援に全力で取り組む所存であり、それを明確にするため、本決議においてあらためてその決意を表明する。

6 死刑を廃止した場合の代替刑について

 死刑を廃止した場合、これに代わる最高刑の在り方は、重要な論点である。現行の無期刑は、刑法上、10年を経過した後に仮釈放が可能であることから、死刑との隔たりがあまりにも大きいとの指摘がある。その一方で、日弁連が「無期刑受刑者に対する仮釈放制度の改善を求める意見書」(2010(平成22)年12月17日)において述べるように、現実の無期刑の運用においては仮釈放の可能性が極めて乏しく、事実上の終身刑と化していると指摘されて久しい。こうしたなか、死刑の代替刑としては、仮釈放の可能性がまったくない「終身刑」を導入すべきとの意見、終身刑を導入したうえで、これを無期刑に減刑する道を残すべきとの意見、無期刑の仮釈放が可能となる期間を現行の10年から大幅に引き上げるべきとの意見など、さまざまな見解が示されている。代替刑の在り方については、我が国が批准する自由権規約7条および10条の要請や行刑運営のあり方をも踏まえ、死刑の執行が停止される期間において十分な議論を尽くし、方向性を見出すべきである。

第3 おわりに~私たちはどのような社会を目指すべきか

 刑罰制度は、犯罪への応報であることにとどまらず、罪を犯した人を人間として尊重することを基本とし、その改善更生に資するものでなければならない。日本では、2016(平成28)年、再犯防止推進法が施行され、犯罪をした者等の円滑な社会復帰を促進すること等による再犯の防止等の重要性が認識された。また政府は、2015(平成27)年に国連で採択された、持続可能な開発目標(SDGs)においてうたわれている「誰一人取り残さない」社会の視点を重視し、罪を犯した人をも含め一人ひとりに焦点を当て、多様性と包摂性に富んだ社会の実現を理念として掲げている。
 私たちが目指すべきは、たとえ極めて重大な罪を犯した人であっても、将来の更生の道を完全に閉ざしてしまうのではなく、たとえ僅かであっても更生の可能性を信じ、本人の回復に向けた援助を提供し、ともに人間としての尊厳をもって生きることのできる社会である。極めて重大な罪を犯した人には、厳正なる刑罰が必要であるが、そのような罪を犯した人に死刑をもって臨むことは、私たちが目指すべき社会の在り方と相いれない。
 当会は、罪を犯した人に対しても、そして不幸にもその犯罪の被害者になってしまった方やご遺族に対しても、その基本的人権を擁護し、社会正義を実現するため、本決議をするものである。

以 上

死刑制度の廃止を求める決議(PDF)

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