出版物・パンフレット等

この一冊 Vol.139『ファウスト』(一)・(二)

ファウスト
ゲーテ著 高橋義孝訳
新潮文庫刊
第一部 630円(税別) 第二部 790円(税別)

お世話になった同期の友人から「この一冊」の執筆をお願いされ、軽い返事で引き受けてしまいました。しかし、弁護士になってからは準備書面以外の活字はほとんど読んでいません。たまに読む本といえば、絵本の『ひよこさん』です。私の2歳の娘は絵本作家の林明子さんの絵がお気に入りなのです。この欄で絵本を紹介してもいいのでしょうか。執筆要領には絵本はダメとは書いてありませんが、あまり従前のしきたりからはみ出すと編集部の方に迷惑かもしれません。そこで『ひよこさん』の次に私がオススメしたいのが、ゲーテの『ファウスト』です。

この本は、私が弁護士には興味がなかった理系の学生の頃に読んだ本です。しかし、この本がなければ弁護士こそが天職であると気付くことはなかったと思います。ストーリーは、主人公ファウストが、悪魔と契約し、「全人生を体験」しながら、「この世で最も美しい瞬間」を探し求めるというお話です。

この「全人生の体験」というフレーズが学生の私にビビッときました。私は、小さな頃から「あれかこれか、どちらか一つを選びなさい」という発想が好きになれず、「いやいや両方選ばせろ」といつも思っていました。理系か文系か、進学か就職か、海か山か、ライスかパンか、「きのこの山」か「たけのこの里」か、広末涼子か深田恭子かといった選択がとても苦手でした。どうせ一度きりの人生なら全部選びたいという思いが根底にあったと思います。特に職業の選択では、いったん一つの職業を選んでしまうと、定年まで一定の範囲の仕事だけ続ける一本道の人生になってしまうという恐怖があったのです。将来の可能性を狭めず、できるだけ全人生を体験できそうな職業は何かと考えた結果、たどり着いたのが弁護士でした。会社の看板や家柄がなくとも自身の能力で仕事ができる専門性を身に付け、それでいて社会の幅広い領域に関与できる弁護士は、あらゆる職業のなかで一番、全人生の体験に近づける職業だと思ったのです。

この本の最後に、主人公ファウストは「この世で最も美しい瞬間」を見つけ出します。それは「自由」だそうです。正確には、自由という概念ではなく、自由を闘い取って自由に生きる人と一緒にいる瞬間が最も美しいということのようです。言われてみればそんな気もします。金融資産3億円相当を保有し不労所得で生きたいと努力する人、配偶者に財布のヒモを渡さないよう知恵を絞る人、雇用契約を業務委託と言い張る者に戦いを挑む人、会報に『ひよこさん』の感想文を投稿しようとする人、ささやかでも自由を求めて生きる人と過ごす日々は、ある種の冒険者を見ているような面白さがあると思います。

この職業は、全人生を体験しつつ、自由を求めて生きられる天職だと思います。でも、高額の上納金を求める悪魔と契約しなければなりませんね!

NIBEN Frontier●2019年11月号