出版物・パンフレット等

山椿

石上 晴康 石上 晴康(33期)
●Haruyasu Ishigami

ド素人、東大野球部に入部す。
昭和42年4月15日、一年間の浪人生活を経て晴れて東大生になった私は、「そうだ東大の試合でも見に行くか」と思い立ち、真新しい学ランを着て生まれて初めて神宮球場に行きました。試合は、早稲田対東大でした。
そこで初めて東大の純白のユニフォームを着た選手達を見ました。東大先発の柳町投手が4回まで早稲田打線を1点に抑える好投を見せました。早稲田の投手は後に阪急のエースとなった三輪田で素人目にもそのスピードボールは圧倒的でした。試合は天才打者谷沢(後に中日入団、首位打者2回)の三安打などもあって、早稲田が4対1で東大を破りました。
この試合を見た私は、「早稲田と互角の試合をしたぞ。カ ッコ良いなあ。」と興奮、熱に浮かされたようになり、「ああ、オレも東大野球部に入りたい。あのユニフォームを着るだけでも良い。」と思いがエスカレ ートしていきました。しかし私は中学1年のときに栄光学園の軟式野球部に入ったのですが、練習が辛くて早々と退部してしまいました。つまり野球経験はゼロに等しいのです。退部後バレー部に入り、「ソーレイ」なんて言っていました。しかし元々野球が好きで硬式野球部に憧れていたので、東大のバレー部から誘われてもアッサリ断りました。
そして5月の初め頃遂に本郷の硬式野球部の寮を探し出して、門を叩きました。すると目つきの悪い人(今思えばマネージャー)が出てきたので、「あのー、野球部に入りたいんですが、素人でも入れますか。」と恐る恐る聞きました。するとその人は、ニコニコしながら「野球経験なくても全然大丈夫だよ。」(これ嘘)と言うので一安心しました。調子に乗って「練習はきついですか。」と聞くと「いやあそんなでもないよ。」(これも嘘)とニコニコしながら言うのでまたまた安心しました。そして「明日から練習に来なよ。」と言うので、「ハイ、わかりました。ユニフォームを持ってないのでトレパンでいいですか。」と聞くと目がギロリと光り、「トレパンで野球やる奴はいないな。」と言われてしまいました。
そこで白い練習用のユニフ ォーム一式を購入し、晴れがましい思いで東大球場に足を踏み入れました。するとグラウンドに赤い縫目の茶色い硬球がゴロゴロ転がっていました。
そしていよいよそれを使っての初キャッチボール、トスバッティングをやりましたが、トスバッティングなるものを知らなかった私は至近距離から軽ーく投げてくるトスの相手の球をカキーンと力いっぱい打ち返してしまい、一瞬、球場全体がシーンとなりました。すぐに「バカヤロー、お前何や ってるんだ。」と怒られました。(トスは本来ミートの練習ですので、ワンバウンドで相手に捕らせるもの。)当時の監督が、私のことを「いくら東大でもこれほどひどいのは初めて見た。」と後に結婚式で述懐しておられました。この続きは機会があればまた。