出版物・パンフレット等

山椿

山椿

今は昔の情熱と激論

pickup201901-yamada.jpg 山田 勝利 (26期) 昭和22年、九州は飯塚の片田舎で20歳になる女が結婚し、1年を経て子供を授かった。が、半年後に夫が他界した。女は深い悲しみの底へと沈んだ。そして程なくすると、舅から身体を求められるところとなった。女の激しい抵抗にも拘らず、舅は殴る蹴るの暴力を重ね、遂には自らの欲望を果した。舅はその後、嫁を近所の居酒屋に働きに出させ、果ては昼日中から家に連れ戻して、その身体を貪った。その日もそうであった。舅は泣き叫ぶ赤ん坊を畳に投げつけ、嫁を求めた。時を措いて、嫁は我が子を抱きしめ「ごめんね。ごめんね」と泣き崩れ乍ら、遂には舅の首を絞めた。
さて、その裁判。誰もがこの被告人に大きな同情を寄せた。だが、刑法200条は「自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役」と定めている。心神喪失、耗弱、正当防衛、如何にこれを減刑しようとしても執行猶予を付すことは不可能であった。そこへ1つの思いつき。200条は、「直系尊属ヲ」としているのであって「直系尊属タリシ者ヲ」とはしていない。よって、本件は199条によるべきである、という理屈である。この論によって彼女は「懲役3年執行猶予5年」の判決を得た。
人々はこの大岡裁判に、万雷の拍手を送り、胸をなでおろした。
ところが、この論には強力な反対意見があった。真野毅判事の意見である。「タリシ者」云々などとは、余りにも姑息な論である、抑々新憲法は、人は法の下に平等であって、人種、性別、社会的身分によって差別されないとされている。何故親の命は子の命よりも重く、子の命は親の命より軽いのか。刑法200条は憲法14条に違反し無効である。よって199条を適用すべきであるとして、懲役3年執行猶予5年としたのである。然し当時、この真野意見 は2:13の少数意見に留まった。とりわけ齋藤悠輔判事は、真野判事が、世界人権宣言を引用したことに対し、「先ず以て鬼面人を欺くものでなければ羊頭を掲げて狗肉を売る類である」「国辱的な曲学阿世の論を展開するもので読むに耐えない。論者よ、休み休みご教示賜わりたい」とし、所論は「子の親に対する道徳的義務を重要視することを以て、封建的、反民主主義的思想に胚胎するものであるが、夫婦・親子・兄弟等の関係を支配する道徳は、人倫の大本、古今東西を問わず承認せられている人類普遍の道徳原理である」とし、「畢竟するに封建的、反民主主義的理由を以て既存の淳風美俗を十把一束に排斥し」、「浴場と共に子供までをも流す弊に陥り易い現代の風潮と同一の誤謬を犯している」などと論難したのである。今から70年前、最高裁判所は、激しい情熱と信念がぶつかり合う坩堝であった。(因みに、その後23年を経て、刑法200条は憲法違反であるとして刑法から削除されたのである。)

(真野毅:当弁護士会創設者の1人。戦後「弁護士法」草案者の1人。筆者は真野先生の最後の居候弁。事務所には時折新聞記者が訪れていた。記者「先生は、齋藤先生と灰皿を投げ合って激論を交わされたそうですね」先生「僕はそんなことはしないよ。六法全書を投げ合っただけだよ」昭和61年、先生は99歳で亡くなられた。