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Yamatsubaki 山椿

岡田理樹(40期)●岡田 理樹(40期) Masaki Okada

 昨今、若い弁護士の会務離れということが言われています。経済的に厳しいのだからプロボノ活動の余裕がないとか、弁護士会は余計な活動はやめて会費を下げるべきだという声もあります。 会務に比較的多く携わっている弁護士として思うところもありますので、手前味噌ですが、少し自分のことを書かせていただくことにします。
 私は昭和63年に修習を終えて石井成一先生の事務所に入りました。当時石井先生は日弁連会長を終えられたばかりでしたが、私は、会務や会派のことなどにはほとんど関わらず、 依頼者のための仕事を一生懸命やっていました。留学もしましたし、将来は企業法務、ビジネス法務の分野を専門にしようと考えていました。
 ところが、登録から10年くらい経ったころから、少しはプロボノ活動もしようかと思い、当弁護士会の委員会活動や会派の活動に参加するようになりましたところ、 あっという間に立派な多重会務者に。平成19年には吉成昌之会長の下で当弁護士会の副会長、翌年には日弁連の常務理事、平成22年から24年までは日弁連の事務次長と、 気がつけば、会務にとられる時間の方が普通の弁護士業務をしている時間より遥かに長いという状況になってしまいました。
 事務次長時代で思い出深いのは、東日本大震災対応です。二重ローン問題のための個人版私的整理ガイドラインの策定、 原発被害者の損害賠償問題の早期解決のための原子力損害賠償紛争解決センターの設立などに奔走しました。超多忙でしたが、 自分のアイディアや意見が政策として実現していく過程を目のあたりにできました。政府要人と都内某所で密会したり、首相官邸での会議に出席したりという貴重な体験もしました。 これらの制度は、当初は、色々な立場の妥協の産物という批判も受けましたが、その後の様々な関係者の皆さんのご尽力のお蔭で、被災者のお役に立つ制度となってきているようで、 生みの親の1人としては、大変嬉しく思っております。
 事務次長退任後も、日弁連、当弁護士会の会務は一向に減る気配がありません。大学やロースクールでも教えたりもしており、会派の代表幹事も3年ほど務めました。 今やビジネスロイヤーへの道はどこか遠くへ行ってしまいましたが、まあそれでも後悔はしていません。
 会務活動に関わっていると、弁護士会が、司法に関する一大シンクタンクとして、政策の立案形成に大きな力を発揮しており、それに関わることは、依頼者のために頑張るのと同じように、 市民の役に立っているということを実感します。ただ、弁護士自らが自覚し、自ら支えていかないと、弁護士自治というものは簡単に失われてしまいます。 登録間もない間は、研鑽を積み、仕事を安定させるというだけで精一杯かもしれませんが、その上で会務もやるという気持ちも持っていただきたいと思います。 新たな人とのつながりもできますし、視野も広がります。自らの新たな活動領域を見いだせるかもしれません。食わず嫌いはやめて、ぜひ会務活動や会派活動に参加してみていただけたらと思います。