出版物・パンフレット等

この一冊 Vol.133『ストーナー』


『ストーナー』
ジョン・ウィリアムズ 著東江一紀 訳
作品社2,600円(税別)

本作品は、数年前、日本翻訳大賞「読者賞」を受賞して話題となりました。
物語の舞台は、19世紀末から20世紀半ばごろのアメリカです。本作品のタイトルともなっている主人公のストーナーは、ミズーリ州の貧しい農家に生まれ、当然のように父親を手伝い、質素で厳しい農作業に従事して成長します。ところが、あるきっかけから大学の農学部へ進学し、そこで文学と出会い、やがて英文学の研究者として大学に留まることとなります。
本作品は、その後も、ストーナーの人生を淡々と、しかし丁寧に辿ります。同輩との交友、妻との出会いや結婚生活、子育て、研究活動、両親との死別、同僚との確執、年下の女性研究者との交際...。そこには、取り立ててドラマチックな展開はなく、彼が経験した出来事は、私達が日々経験していることと変わりがありません。そして、多くの場合、彼は、それらの出来事にうまく対処することができず、僅かな後悔や諦めを感じながら、しかし悲嘆することはなく、日々を過ごしていきます。やがて、彼が歳を取り、不治の(しかし、多くの人々がかかる)病気を患い、闘病の末に亡くなったところで、物語も終わります。
このように書くと、「そんな平凡な男の一生を描いた小説の、いったい何が面白いのか」と疑問に思われるかもしれません。実際、私も、本作品を読み始めた当初は、やや退屈に感じました。
しかし、日常の些細な出来事や誰でも経験する人生のイベントを主人公の目線で読み進めるうちに、次第に、彼の人生を追体験しているような感覚が生まれました。そして、他者の平凡な人生の物語と思われた本作品が急に身近なものに感じられ、後半は、ページが進んでしまうのを惜しみつつ、一気に読み切ってしまいました。
繰り返しになりますが、本作品で描かれている出来事は、いかにも平凡です。そして、仕事や家庭生活において成功したとは言えないストーナーの人生は、第三者からすれば、憐れむべきものなのかもしれません。しかし、本作品を読んだ後に感じたのは、彼の人生は幸福だったのではないか、ということでした。その理由を明確に述べることは難しいですが、一つ挙げるとすれば、彼も、多くの人々と同じように、意味や成果の有無にかかわらず自分自身の人生を生きており、彼(あるいは作者)の目線を通して、彼自身の人生に対する温かい眼差しが感じられたからかもしれません。
また、翻訳家である東江一紀氏が亡くなる直前まで取り組んだという翻訳は、平易でありながら流れるような文体で、翻訳小説に苦手意識のある方にもおすすめです。
壮大なストーリーやドラマチックな展開の小説も面白いですが、たまには、少し時間をかけてこの「平凡」な主人公の人生に寄り添い、日常を振り返ってみてはいかがでしょうか。

当弁護士会会員 當舎 修(70期) ●Osamu Tosha