出版物・パンフレット等

山椿

平成7年1月17日の阪神淡路大震災は私が弁護士登録4 年目のときだった。弟が神戸に引っ越したばかりであり、両親は弟を心配していたが、ほどなく無事を確認できた。ホッとした母親は、弟の無事を私に知らせるべく事務所に電話をくれた。ただ、早朝から事務所に来ていた私は、その時点で神戸での大災害の情報を知らず、母親からの電話を面倒くさそうに早々に切ってしまった。想像力が欠如していたことを今でも後悔している。それ以後、私の災害復興・被災者支援の活動は始まる。平成10年度の法律相談センター運営委員会自治体部会では、神戸での被災者向け法律相談会に東京から応援に赴いた弁護士が集まり、「神戸のような大地震は東京でも起こるとのことだ。首都直下地震とかいうらしい。神戸であれだけ法律相談の需要があるのだから、東京でも、あらかじめ準備しておいた方がよいのではないか」という議論をしていた。そして、同センターの報告書には、「喫緊の課題」という項目を設けて「大規模災害時の法律相談体制」を掲げた。その後数年間、私は自治体部会長として、神戸から弁護士や建築士を招き、東京の自治体担当者向けの講演会を開催し、災害時の相談体制の必要性や仕組みなど(誰が声をかけて、誰が相談に応じるのか、応援は?報告は?費用は?など) の検討をしていた。

平成15年2月に神戸の永井幸寿弁護士にお会いした。永井弁護士とはそのときが初対面であったが冒頭「中野さん、確か前にお会いしましたね、え、会ってない?そうですか、まあいいや、ガハハ」ということで、 とても面食らった。ただ、その際に言われたことは、私の心に強烈に突き刺さった。「東京で災害時の法律相談体制を準備されているとのことだが、弁護士だけの相談体制では限界があり、災害時の相談は多岐にわたる。他士業専門家も加えた士業連携の相談体制を作るべきだ。東京でそのための団体を作って、全国にその必要性を発信してくれ」ということであった。当弁護士会では、その頃、隣接士業とのいわゆる「業際問題」が話題となっていたが、当時の栃木敏明事務局長や西本邦男副会長に、「災害時には業際問題どころではない」と当弁護士会理事者会を説得していただくようお願いし、最終的に承認を得た。お二人が理事者会で熱心に説明してくれたのであろうことに、とても感謝した。平成16 年1月17日に神戸で、全国各地の士業関係者が集まり、被災者支援を議論する「全国フォーラム」が開催され、懇親会の席上、私は酔った勢いもあり、「東京でも今年中に士業連携の被災者支援組織を作ります」と宣言した。同席していた東京の先輩弁護士から勝手なことを言うなとだいぶ叱られたが、これも結局「中野が言うのだから協力するよ」と応援してくれた。多くの先生方の熱意と協力により平成16年11月に無事「災害復興まちづくり支援機構」が設立され、私は事務局長に就任した。41歳だった。

それから14年。今年7月には、東京都と共催で「災害ケースマネジメント」に関するシンポジウムを開催する予定だ。新しい被災者支援の「カタチ」を提言するものである。多くの会員諸氏にご参加いただければ幸いである。


平成27年9月関東・東北豪雨での鬼怒川堤防決壊(常総水害)の被災状況視察に赴いた支援機構メンバー(筆者は右端)

中野 明安(43期)
●Akiyasu Nakano