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山椿

一事に虚偽あらば万事に虚偽あり』とは古来の法諺である。
村井長庵之記*1では、大岡越前守もこの経験則に拠っている。証人忠兵衞はその妻富と長庵との密通を恨んで虚偽の目撃証言をしている旨の長庵の弁解に対し、大岡越前守が「汝長庵、初めは密通に及びし處を(忠兵衞に)見付けられたりと云ひ、只今富が(子宮病だったとの)申立に泥みて、たゞ寐ていた所などと云紛す段、重々不届至極なり...依て一事が萬事なり、十兵衞を殺害せしも其方が業に相違有るまじ。」と糾問するのであるが、被告人の虚偽弁解が有罪認定の補強資料になり得るのは今も変わらない。
もっとも、裁判官が書いた本に「被告人が自ら犯した犯罪の責任を回避しようとして虚偽の陳述をする場合だけでなく、被告人が自らの防御できる証拠が不十分であるとの理由のみから虚偽の陳述を行うこと...も考えられる。...被告人の弁解が虚偽であることを過大に評価することは相当でない」*2とするものがある。かつてこれを読み、なるほどと思うとともに、実際にそのような判断をしてくれる裁判官がいるものかとも長年思っていた。しかし、数年前、この趣旨を説示する判決を受ける機会に恵まれたのである。
義母(妻の母)に対する傷害で一審有罪判決を受けた男性の控訴審を私選で受けた事件で、被告人は、当時隣県の知人方に月曜から土曜まで泊り込みで仕事に行っており、犯行日時とされた8日(土) 午後は犯行現場とされる自宅近くの被害者方には行けなかったとのアリバイを主張していた。幸い、アリバイを裏付ける物証を複数提出でき、検事が反論を追加した。妻が自身のブログを根拠に被告人は 7日夜に帰宅していた旨証言し、検察官は8日のアリバイも信用できないと主張したが、被告人は7日も帰宅していない旨言い張った。
判決は、妻の証言を採用し7日帰宅を認定したが、8日朝職場に向かったことをも認定し、被告人の供述については、「8日のアリバイを強調するため」7日も帰宅していない旨「断言したに過ぎないとみることもできる」から同虚偽供述は8日のアリバイの成立に影響を与えない旨等を説示し、逆転無罪の判決をしたのである。
論語の一節に「父は子の為に隠し子は父の為に隠す。直きこと其の中に在り」*3とあり、犯人蔵匿罪・証拠隠滅罪における親族の刑免除規定の淵源とされるものであるが、親族を庇うための嘘が許容されるならば本人の嘘が許されるのはなお更というわけで、被告人に偽証罪を科していないことも含め、実は、本人の嘘に寛容なのが我が国の伝統か等と思ったのである。
この事件は上告なく確定したが、後日、自称被害者が虚偽申告だったと第三者に話したことを聞き及んだ。また、7日の帰宅については、実は、反証探索の過程で帰宅に沿う方向の証拠に接していたのであるが、弁護人の立場でこれを積極的に明らかにすることもできずにいたところ、それを見透かしたような判決で、裁判官の炯眼に敬服の念を抱いた事件でもあった。

*1 塚本哲三編(1927)『大岡政談』(有朋堂文庫)有朋堂書店p.414
*2 司法研修所編(1999)『犯人識別供述の信用性』法曹会p.112
*3 論語 子路第十三の十八

桑村 竹則
桑村 竹則(45期)●Takenori Kuwamura