出版物・パンフレット等

山椿

弁護士の経験を通じて培われた文章化できない弁護士独自の「知的財産」

編集長小川恵司先生から
「山椿」の執筆依頼があり、それには、次のことが示されていました。現況は「世代を問わず会員に共通する統一的枠組みは、・・・形式的な資格のみにとどまる」、「『弁護士魂』など・・・単なる知識にとどまらない、・・・弁護士の経験を通じて培われた弁護士独自の『知的財産』があるように思われます。それは明確に文章化できないものでもあるでしょうが、」「世代を超えた相互理解、有益な情報提供になる」というものです。

私は、法曹養成に関わり知財弁護士業務の拡大を意図して積極的に関わってきたのですが、実は、知財弁護士の養成に比例して案件業務が拡大してきたという状況はなく、知財事務所(専門事務所と大事務所)に就職を希望する若手弁護士がこれに叶わない状況が続いてきました。それでも、企業内弁護士、官庁の任期付採用に知財弁護士としての有為な仕事を見ることができました(企業内弁護士の数は2018年 に 約2300名、 その多くは知財にも関わっているのでしょう。)。組織内弁護士の拡大はロースクール制度の(主に、弁護士側の)設計思想にあったのです。この思想が弁護士の「プロフェッション論」であり、法律事務所の弁護士と組織内弁護士に共通するⅠdentityを「法の支配」に求めるという考えでありました。

弁護士会は、その独立性を確実にするために、「会員に共通する統一的枠組み」を求めています。弁護士会は今の形(強制加入制度)を資格だけでは維持できないのです。そこで、「経験を通じて培われた明確には文章化できない弁護士独自の『知的財産』」を共有化できないものかと模索することになるのでしょう。

若手弁護士(特に私の指導を受けた弁護士)と、弁護士の共通基盤は何かを議論しますと、そのほとんどは、資格が共通基盤であるという認識なのです。気の利いた者は、「資格に基づき担保された高度な法的サービスによる社会的貢献」であるというのです。これも弁護士に共通のⅠdentityを見出そうとしているのです。しかし、編集長のいう「文章化できない弁護士独自の『知的財産』」がこの高度な法的サービスだけなのかについては疑問です。私の世代はここでいう「知的財産」とは「法の支配」ではなかろうかと考えるのです。
「法の支配」とはなかなか文章化できず結局は、中核的思想を共通にしつつも個々の弁護士が一生かけて模索していかなければならないテーマということなのです。多くの弁護士が模索することによって中核的思想の外延を広げていくこと自体が運動としての「法の支配」と理解しています。

私は、若いころ幸いにして、尊敬できる弁護士と巡り会いその直接の指導を受けてきました。今考えると指導の大半は、現実に起きた事案に関する「法の支配」の応用問題であったのです。私は、受任の事件、弁護士会活動、裁判所との関係などにおいて難問に逢着したときに、他を忖度するのではなく、これらⅠdeaとしての先輩弁護士ならばどのような選択をするだろうかについて思いを致すのです。この自由は、弁護士会の独立性と無縁ではないように思います。

弁護士の自由は弁護士会の独立性に支えられていて、編集長のいう「共通する枠組み」・「知的財産」なしでは維持できないのです。
「山椿」発・「花水木」の返信求む!

松田 政行(29期)
●Masayuki Matsuda

NIBEN Frontier●2019年11月号