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スペシャル対談 稗田雅洋氏× 鈴木正朝氏× 関谷文隆会長

自己紹介

編集部

まずは、稗田先生、鈴木先生、自己紹介をお願いします。

稗 田

2017年3月まで30年間、裁判官をしていました。専ら刑事裁判畑で、最高裁刑事局の課長として、医療観察法、裁判員法、刑訴法の改正にも携わりました。今は母校の早稲田大学大学院法務研究科で教授をしています。

鈴 木

2005年から新潟大学法学部の教授をしています。その前は、ニフティの法務とセキュリティー室に5年ほど、更にその前は、情報サービスの業界団体で、JIS Q 15001やPマーク制度、システム開発等のモデル契約などをつくっていました。新潟大学では、2008年から9年間、ロースクールでも、情報法を教えていました。
兼任先の理化学研究所では、AIと法についての研究を、一般財団法人情報法制研究所では、情報法制に関する研究と政策提言などを行っています。

それぞれのご関係

編集部

関谷会長、お二人とのご関係を教えてください。

関 谷


稗田先生は、早稲田の法学部の1年下の後輩で、創法会という司法試験のサークルで知り合いました。夏に合宿があって、そこで法律討論会をして、夜は宴会という楽しいサークルでしたが、1年上の先輩が後輩に自主ゼミ形式で法律を教えるのです。稗田先生のデビューのとき私は2年生で、彼が夏合宿で犬のふん装をしてコントをやったことを今でも覚えています。奥さんが私のゼミの教え子で、その点でも関係が深いです。私の結婚祝いに、フィスラーの圧力鍋を贈っていただき、今でも愛用しています。うちの料理ツールの中心をなし、私の得意料理はフィスラーから生み出されています。
鈴木先生とは、もう1つの私の青春である、司法試験予備校のアルバイトで知り合いました。
大学教授が、司法試験の論文式の答練の問題や解説を出すのですが、当時は手書きでした。それを今度は和文タイプで打ち込み、誤字脱字等を整理する仕事を鈴木先生と2人1組で日がな一日一緒にやっていました。バイトの給料日に向けて皆金欠になるのですが、給料をもらって、晩飯を少し豪華にするとか、そういう時間をともに過ごしていました。

昭和55年の創法会の夏合宿(新潟)、真面目な朝の法律討論会。立っているのが2年生のスリムな関谷、その手前が1年生の稗田(青いシャツ)。

稗 田

ちなみに私もその予備校で5年ほどバイトしていましたので、すれ違っているかもしれません。

関 谷

稗田先生は39期で卒一合格。39期というと、当弁護士会では土井先生や僕の兄弁の河合先生の世代ですが、1年上の関谷はなぜか44 期。ずいぶんと足踏み状態が続いたという、まあそんな感じです。

鈴 木

私たちは遊んでいましたからね。 編集部 関谷先生との何か思い出に残っているエピソードはありますか。

稗 田

とにかく面倒見がよくて、交際範囲がすごく広いんです。卒業した後も年に1回は会っています。学生時代も、よく関谷さんの下宿に上がり込んで集まっていました。人を集めるのが得意な人だと思います。

関 谷

大学の近く、今でいう大江戸線の若松河田駅から徒歩30秒位のボロアパートに住んでいて、その後神楽坂の二階に移りましたが、よくみんなで集まりました。

稗 田

下宿に行くと、料理が本当にうまいんですよ。さっと1品作ってくれて。それがうちの妻がフィスラーを贈ったという話につながるんです。茶わん蒸しなんかも作ってくれました。

関 谷

お金がないから、自分で作るしかなかったんです。
今は忙しいけど、予備校のバイト仲間の裁判官2人と僕らとでも集まってたまに飲み会をしています。私のエピソードというと、いつも飲み会の話が出てきます。

現在の職業を志した動機

編集部

まず稗田先生、裁判官という職業を志した動機等を教えてください。

稗 田

もともと高校時代から裁判官を目指していました。ただ、修習中は検察からも誘われて大変魅力を感じ、当時は珍しい刑事弁護の重鎮、木川惠章先生にご指導いただき、非常に良い勉強をさせてもらい、弁護士にも魅力を感じました。それでも結局裁判官を選んだのは、私は議論し始めると熱くなる方で、そういうタイプの人間は、当事者にはならない方がいいというのが私の持論だからです。熱くなってしまうと、依頼者にむしろ迷惑を掛けます。依頼者とある程度距離を置き、客観的に見て、しかも相手の言うことをきちんと聞ける人でなければ、良い仕事はできないと修習生ながらに感じました。

関 谷

おっしゃる通りだと思いますよ。代理人は入れ込んではいけないので、結局は他人だという気持ちでやらなければならない。立場が変われば言うべきことが変わるわけですし、相手の言うことは当然聞かなければならない。言葉を字義通りに受け取ってはいけないし、その裏側にあるのは何だろうかということも考えなくてはなりません。ある程度距離感を持つことが大事だと思います。

編集部

その中で刑事分野というのは、ご自身で選ばれたのですか。

稗 田

「民事をやりたいです」と言うと、かえって刑事に回されると言われていて、私はそのパターンだと思います。
刑事裁判官になった後、ドイツに留学し、刑事局の局付をやり、その後、刑事調査官や刑事局の課長を務めました。司法制度改革の法改正に携わってしまったため、もう民事をやるいとまがなくなってしまいました。
医療観察法と裁判員法、それに伴う刑訴法の大改正の施行準備に携わり、裁判員裁判の施行後は、裁判長として制度の運用を担当しました。非常に面白く、刑事裁判官として歩んで良かったと思っています。

編集部

どのような制度の立案に関わられたのですか。

稗 田

局付をしていた頃には、当番弁護士制度を担当しました。刑事局が日弁連の刑事弁護センターから勾留質問における制度周知の依頼を受け、同センターの寺井一弘先生らと協議しながら対応しました。
刑事局の課長になったときも、被疑者に国選弁護が付くというときだったため、今の被疑者国選弁護運用のマニュアルや規則をつくるなど、国選弁護との関わりは大変深いと思います。
その後刑事局を出て、最後の時期は、8年半、東京地裁と千葉地裁で裁判長、部総括を務めました。その2年目から裁判員裁判が始まり、約80件担当しました。

編集部

鈴木先生はいかがでしょうか。明確な動機などはありましたか。

鈴 木

明確に希望があったのは、親も親戚も教員だったので、教員だけにはならないと。

関 谷

でも、教員になっちゃったじゃないですか(一同笑)。

鈴 木

僕はメディアに行きたかったんです。早稲田の中退に憧れ、取りあえず東京に行きたかった。ずっとモラトリアムでいたかったのですが、手続きを間違えて卒業してしまいました。ゼミ生の半分は司法試験受験ですから、何となく司法試験予備校に行ったら、これにはまり、念願の受験雑誌を創刊するバイトをすることになりました。
ただ、色々あって、そこから外に出ざるを得なくなった頃が、オンラインの紛争やら、違法コピーの問題やらが出てきた頃で、そこにぴたっと情報法にはまってしまったんです。その方向で関わっていたら、立法 政策を通産省(現・経済産業省)で手伝うことになり、政策立案は面白いなと、またはまりました。

編集部

どういった立法政策に関与していたのですか。

鈴 木

最初はCOCOMの違反事件*1で、コンプライアンスプログラムを初めてアメリカから導入したときに関与しました。通産省に通って、「コンプライアンスプログラムって何ですか?」と聞きながら資料を集め、テキストを作ることから始めました。
その10年後には、個人情報保護コンプライアンスプログラムの作成を担当しました。
業界側の立場だったので法規制は嫌い、個人情報保護法をつくらずに、JIS、標準化政策でなんとかしのいでいこうと。あと、プライバシーマーク制度は、規程類を1人でつくりました。何か偶然上から降ってくる仕事を捕まえているうちに、いつの間にか個人情報保護法に草創期から携わっていて、講演をしたり逐条解説を書いたりしていたという形でした。常に外れ値*2です。周辺領域に漂って偶然降ってきた目前のことだけやってきました。

編集部

今やそれが企業の中でも結構真ん中の方になっていますよね。

鈴 木

周りが動いてきただけで、私はずっと辺境の民です。そうこうしていたら、絶対にならないと決めていたのに、教員になっちゃったんですね。まぁ研究者がメインでやっていると思いたいんですけど。

編集部

でも、個人情報保護法ができたときは、結構評判が悪かったようですね。

鈴 木

悪かったですね。法曹がとっつき難い法律でしたからね。道交法のような法律と言われていて、ほとんど決めの問題でした。安全管理義務にしても、安全に気を付けて個人情報を扱うというような、非常に雑ぱくな規定でしょう。あとは、広い行政裁量のガイドラインで、リーガルマインドで回すようなところが少ないため、法曹関係者は非常に戸惑っているのが伝わってきました。
私が有利なのは、インナーだったからです。法執行できる人の心情と思惑が推測でき、企業側にいろいろ提案できた。そして、恩師である堀部政男先生がどっぷり中に入っていましたから、情報の近さの優位性がありました。

編集部

関谷先生はどうして弁護士を選ばれたのですか。

関 谷

最初、私は医者になろうと思っていたんです。生まれが栃木で、隣が福島でしょう。福島と言えば野口英世で、小学生の頃から伝記を読み、じゃあ、医者になろうと。ところが、小学校4年のときに、担任の先生に、 「お前は算数の成績が悪いから、医者になろうと思っているらしいが無理だ」と言われまして。「そうか、だめだな」と思って。そんなとき、春休みに昼の帯ドラで、戦前の女性弁護士のドラマをやっていたんですよ。それを見て、「ああ、弁護士か、いいね」と。私の家は商売をしていて、休みがないのは嫌だなと思っていたわけです。かつ、ちょっと格好良い職業。人の役に立っていいじゃないかと。
そして今度は中学生になり、ロッキード事件が起きて、あの頃田中角栄は極悪人、東京地検特捜部がヒーローですよ。ですから検事になるぞとずっと思っていました。修習中には、裁判官も弁護士も魅力的だし、検事も、面白いしと悩みました。しかし私は比較的弁護士の方が良いかと思ったんですよ。検察はやはり完全に縦社会だということを感じる場面があって、私には無理だと思いました。本当にそれが合う人ならいいのですが、私としては申し訳ないけれど検事はできませんとなりました。
その後、私が二弁に来たエピソードに関しては、NIBEN Frontier 6月号のインタビューで申し上げたとおりです。当初地元の宇都宮で就職しようと思っていたのですが、妻に十分な説明ができていなかったために、指輪を置いて実家に帰られてしまいました。それで東京で働こうと改心していたところ、創法会の友人の結婚式で隣に座ったのが、二弁の僕と大親友の菅野さんでした。菅野さんに相談したら、「いい事務所があるよ」と、今の事務所の前身である重富・古山法律事務所を紹介してくれ、そこに入れてもらうことになりました。

編集部

奥様のおかげで、二弁としても救われたと。

関 谷

そういうまとめ方が一番正しいかな(笑)。きっかけは間違いなく妻のあの断固たる行動だったということです。

ロースクール、学部について

編集部

稗田先生は弁護士登録されないのですか。

稗 田

したいとは思っていますが、今年の初めに病気をしまして。しかも、法学部3年+ ロースクール2年で合格させるという今般の法曹養成制度改革の影響で、学部の1年生にも授業を持つことになったこともあり、登録しそびれています。

鈴 木

新潟大はロースクールから撤退したので、学部を3年で飛び級して、東北大と連携するなど、大学をまたいでの3+2という制度を実施することになっています。

関 谷

東北大と2018年12月に協定した後、神戸、慶應、中央、早稲田と続々と他大学と連携していますよね。

鈴 木

熱意のある先生がいて、連携が広がっているようです。

編集部

新潟大は設立当初、理念に忠実に力を入れてやっていたロースクールという印象がありますね。

鈴 木

そうですね。つくった人たちは、ロースクール反対派だったようです。昔ながらの好きなことを自由にやっていい法学部が好きで、実務から遠い原理的な科目ばかりやっている先生が多かったです。でも、ロースクールをつくらなければ生き残れないとつくったのですが、反対派ですので、それなら、理念通りやろうとなったと聞いていました。 編集部 その後、ロースクールからは撤退してしまいましたが、法学部の希望者数はどうなっていますか。

鈴 木

皮肉なことに、ロースクールから撤退して法曹コースをつくったら、去年から法曹志望者が急に増えました。

関 谷

ということは今回の法改正が当たったということなの?

鈴 木

父母と本人へのアンケートでは、かつて公務員志望の人が多かったのに、法曹コースをつくったら、法曹になってほしいという回答が急に増えました。親としては、長いと尻込みしますが、5年に圧縮なら何とか支援できるということでしょうかね。

関 谷

今回の立法趣旨に合っていますね。経済的負担と時間的負担を軽減するということですから。

編集部

稗田先生はロースクール中心で教えていらっしゃるそうですが、最近の学生の印象はいかがでしょうか。

稗 田

これだけのカリキュラムで予習をきちんとやってくるのは大変だろうと思いますが、本当に真面目に頑張っていると感じます。ただ、逆に言うと、学生時代にいろいろなことを試す余裕がなさそうで、かわいそうな面もあるかなと感じます。
とはいえ、ロースクールでは、目標を持ち、合格までの期間を区切り、早く受かりたいというニーズが多いのは当然ですので、そうであれば頑張ってほしいし、それに応えられるようにしなければいけないと思います。

編集部

学生のバラエティーはどうでしょうか。

稗 田

立ち上げ当初ほどではないのですが、職業経験を持ってから来ている学生は、一定の割合でおり、社会人経験がいろいろな考え方に活きている人は多いと思います。ロースクールになってから、そういう人の比率は増えましたよね。そういう人に1つ道を開いているというところが、ほかの学生にとっても、いろいろな視野を持つ人と付き合うという意味で、良い影響を与えていると思います。

報法制研究所の活動について

編集部

鈴木先生が理事長をされている(一財)情報法制研究所(JILIS)はどのような活動をされているのですか。

鈴 木

情報法制研究所は、情報法制に関する研究と政策提言を目的とした組織で、産学官民の連携を図りながら、日本の将来を見据えた政策提言を行う実践的な活動を目指しています。
最近では、海賊版サイトのブロッキングの問題や、著作物のダウンロード違法化拡大について、意見書発表や提言などを行いました。ブロッキング問題では、海賊版サイトに漫 画が違法に掲載されて正規版が購入されない、 3000億円の損失だと言うのですが、誰も検証していないのです。政策論のファクトとしての現状認識が非常に甘い中で政治力が動いてブロッキングする。どのサイトを見にいっているかを、プロバイダー、電気通信事業者が勝手にチェックして、「漫画村」などだったら差し止めろと、3つの悪質サイトが示されましたが、誰が決めたのか。これでは検閲じゃないのか。それを立法に基づかず、緊急措置と言って行う。そして大手プロバイダー、大手キャリアに事実上の行政指導を行って一気に動かそうとした。
これはブロッキングの立法論ではないのです。法治国家、近代国家がこれをやるということに対し、全法律家が立ち上がるかと思いました。ところが、動かなかった。だから、私たちが動きました。JILISをつくって良かったなと思いました。
偉かったのは、個々の弁護士や研究者です。審議会の席で、みんなで立ち上がり、断固反対、報告書も出すなと。私たちも意見書を出しましたが、京都大の曽我部真裕教授が筆を執り、「法治国家の逸脱だ」という、結構きついキーワードを使ってくれました。
弁護士会は何をしているのだろうと思ったら、二弁は迅速に立ち上がって会長声明を出してくれて、取りあえず良かった。弁護士会がどこも立ち上がらなかったら、本当に格好悪かったと思います。
また、JILIS設立時に私が提唱したのは、判例評釈が学問の中にあるということです。
今の立法は明治維新と戦後に続いて第3の立法の時代といわれています。立法量がすごい。ですから、官僚も疲弊しており、即席立法も増えていると思います。「六法全書」に載ると、非常に知的な荘厳な建造物のように見えますが、立法過程を見るとずさんなケースもある。そこで、情報公開法を使って個人情報保護法の情報公開請求をしたら、段ボール40箱くらい出てきた。走り書きまで出てきて、法制局長官の筆が入ったところに、どう答えたかといった立法過程がつぶさに見えるのです。
結局、審議会等の委員といっても、ガス抜き要員なんです。過程を見ると、法制局とのやりとりこそが重要で、ここを法学研究で見てこなかった。これをもう少し平場に出していこうと思い、何万ページも順次見ています。タスクフォースをつくって検討し、情報法制学会の学会誌『情報法制研究』(有斐閣)で高木浩光さんが論文を発表しています。

会長から見た弁護士会の状況

編集部

昨年の二弁はどうでしたか。

関 谷

まず若手が非常に活躍し、その活躍の場面が非常に多様化しています。弁護士会は、今年も若手フォーラムでの活動を推進しています。また、民間企業や自治体などいろいろなところで働いている会員も増えています。例えば、日本組織内弁護士協会(JILA)との連携も重要なテーマだし、会員の支援が弁護士会の仕事だと思っています。

編集部

日弁連副会長としてはどのような活動をされていますか。

関 谷

弁護士法の使命規定の中( 第1条2 項)に、法律制度の改善というものも入っています。今の日弁連の委員会活動から生まれる提言や意見は、ほとんどがそれですよ。
私は、法曹養成の担当で、特に法科大学院を担当しています。今回の連携法は昨年3月に閣議決定して上程され、衆議院で審議が始まったのが4月で、参議院で可決されたのが6月。そのプロセスの中で、僕は全くこの問題に関して予備知識がありませんでした。2月に副会長に内定して、引継ぎの正副会長会が毎週あり、これまでの経過は分かるのですが、論点についての意見は日弁連の中でも1つではないのです。例えば、在学中の受験ですが、ロースクールを中核とした新司法試験制度の中で、ロースクールを卒業して初めて司法試験が受験可能な学識が習得される、それが前提でした。したがって、ロースクールに在学中に司法試験が受けられるというのは矛盾だろうという、非常に強い反対がありました。
2018年10月に日弁連の理事会で、当時の笠井副会長たちが非常に苦労して、基本的確認事項という日弁連の認識を示しました。今回の司法試験制度の改革について、日弁連は、在学中受験がこれまでの法曹養成制度の根幹を脅かさないよう、きちんとカリキュラムを作るべきであり、そのためには、利害関係者である法科大学院協会や、法曹三者がその決定に関わるべきだと。また、合格者の大多数は弁護士になるわけですから、弁護士会の意見も取り入れた上で司法試験のあり方を考えてほしいということを主張したのです。
国会審議中も、私は日弁連の担当者として、永田町周辺や、文科省、法務省の担当者との協議をかなりこまめに行いました。どういう形で法案を可決に持っていくか、国会審議にあたっても、国会議員に対し、日弁連の立場を説明して納得していただきながらも、他方で、ロースクールは失敗だ、さっさと撤廃してしまえ、もう旧司法試験に戻せという参考意見が出たりする中で、ようやく法案成立にこぎつけたわけです。こういう形で、日弁連も立法過程には関わっているのです。 編集部 この問題は弁護士が直接の利害関係者のようなところがありますが、そうではないところ、例えば、個人情報保護法のところでも日弁連の関わりはありますか。

関 谷

鈴木先生も触れているとおり、原案段階で相当動きがなければだめだと思います。パブコメが出される段階では、もうほとんど議論が固まっているという問題もあります。ですから、新しい法案ができるとか、あるいは大改正があるというようなときは、審議会等の中で、弁護士会として言うべき意見は言わなければなりません。しかも、連合会の意見として出せるようなまとまった合意形成は、これだけ意見の多い方の団体なので、難しいだろうと思います。

稗 田

問題は、話がなかなかまとまらないところですね。もうちょっと大きなところでまとまって実を取ればよいのですが、それには、もっと早くロビー活動をする必要があるのに、それができていない。最後に細かいところで、ここだけは取ろうという感じになってしまうことが多いです。

関 谷

弁護士会は強制加入団体で、政治的活動はできないため、任意団体の弁政連という組織を弁護士会の外に作り、政治的活動は弁政連がやりましょうということになっています。私も、弁政連の会議には毎月出ていますが、立法過程に関しては、審議案件の一覧表が配られて、国会議員から一通りの説明は受けますが、日弁連がどの程度関与しているかというのは、法案ごとでも自ずと優先順位があります。

鈴 木

弁護士出身の国会議員も、政治力がない若手のうちはまだ弁護士で、同じ土俵での会話が成立するんです。ところが偉くなっていくと、だんだん顔つきも変わり、弁護士から政治家になっていきます。

関 谷

そうなんです。日弁連副会長として、政治家との朝食会に行くわけですよ。そうすると、中には「弁護士会はお願いごとばかりしてきて、いざというときには協力してくれない」とかいう趣旨のことを率直におっしゃる方がおられます。選挙でも行政書士や司法書士は、ものすごく組織的に動いてくれると。ただ、それは仕方のないことです。弁護士会は、立法府や行政の権力側とは距離を置かなければならない。司法の一翼を担う在野法曹の団体として、き然とした立ち位置は維持すべきだろうと思います。

鈴 木

それは大賛成ですね。在野じゃないとね。最近、在野を嫌う人が多くて、忖度社会になっていて。

関 谷

そうなんですよ。立憲主義とか法の支配というものが、一般の人は目に見えないし実感できない。なくてもいいと思うかもしれません。しかし、いざそれが侵害されると、回復するには大変なコストがかかります。ですから、不断にメンテナンスしなければならないのです。法曹養成は、こういう大事な責務を次の世代に引き継いでもらうという非常に重要な仕事だと、強く認識しています。

裁判、弁護士業務とIT化

関 谷

今、民事裁判手続のIT化の準備が進んでいます。

鈴 木

先日、著名な憲法裁判など重要な訴訟記録が多数破棄されていたことが報道されましたが、裁判手続のIT化で、デジタルで集められたものは、証拠も含めて100%残すべきです。判決は最終成果物であり、裁判官が適切に裁いているかどうかは、その周辺の記録もセットで見なければ評価できません。
そして、判決は原則全て公開する。裁判手続等の先進性は、日本はいまや先進国中最低レベルです。国際企業は裁判例が十分に見られず、リーガルテックも進まない。
かつて国際企業は、国際紛争の準拠法や管轄をどこにするか、力関係の中で頑張って自国に引っ張っていましたが、今は民事訴訟を中心に、司法システムが国際競争にさらされています。そうすると、十分な資料が整い分析できる国、安定した司法判断の国の方になびく。裁判手続のIT化は、こうしたことも射程に入れて進める必要があります。日本が判例法国ではないと言っても、判例はもう、明らかにルールです。これが十分に開かれていないということは、民主国家、法の支配として非常に不完全、発展途上ということです。
また、裁判の公開と言っても、実際に皆が裁判所に行くわけもなく、裁判員になる人もわずかです。やはり恒常的にチェックできるのはデジタルデータなのです。司法権が民主的統制から遠いがゆえに、より一層これが大切になる。そこにリーガルテックで情報の海もうまくさばいて可視化する。ダッシュボードを見ながら他国とも比較する。例えば、ヨーロッパと比べて、日本は余りにも違憲判決が少ない、そういうことも比較して、本当にチェックを利かせる。そうやって機能するための素材集めと基盤づくりを少しずつ行っていく。もう20年、30年計画で。

稗 田

問題は裁判記録に誰がどの範囲でアクセスできるかです。裁判の情報には、まさに個人情報としての秘匿性が高いものがたくさん含まれており、全て公開というわけにいかない。では、何のためにどういう範囲でアクセスを認めるか、それに応じてどこまで保存しなければならないかも決まってきます。

鈴 木

やはり民主国家であるなら、立法過程も司法過程も透明性を担保すべきであり、全ての記録を保存し、アクセスを認めるのが原則だと思います。ただし、そこには利害関係者が出てくるので、調整が必要です。
アナログのものをどれだけデジタル化するかは置いておいて、少なくともデジタルのものはそのまま保存すべきです。これは民主主義のベースになるものです。原則全て残しつつ、公開範囲は調整する。そこでルール形成の議論を始める。最初に資料を残さなければなりません。

稗 田

そうすると、ヨーロッパから、個人情報を持ち続けるのはどうだという議論が出てきそうです。

鈴 木

いや、出てこないです。そんなに個人情報は強いものではありません。問題なのは、人権侵害的なデータベースの濫用事例です。個人情報だから守れというのは非常に形式論で、弊害、濫用から守るという、そこなんです。
データベースにすることが全て悪ではなくて、その濫用、例えば、就職活動中の学生の内定辞退率予測の件、あれがまさに核心的な問題です。入学や結婚や就職などの節目、それから人間評価、人権侵害的な人間の選別に触れるデータベースの使い方が問題であり、法改正で対処しておかなければ大変なことになります。データベース作成は進めます。しかし、濫用として何が許されないのかを決め、強い罰則を設定しなければなりません。
判例データベースも作成自体を委縮してはだめで、開示範囲の議論を重ね、国民のコンセンサスを得て、一般への開示範囲を決めるとともに、プロフェッションは分けて扱い、少なくとも法曹には原本へのアクセスを認める。原告、被告の名前も住所も分かる、秘密も知ってしまう。その代わり秘密漏えいしたときは、刑法の秘密漏示罪で処罰される、弁護士法で弁護士資格を剥奪されるくらいに思い切り罰則を強化した上でアクセス権を与える。バーターですよね、そこは。

稗 田

判決自体は、公開の法廷で言い渡されるものなので公開して構わないはずですが、匿名化の問題はクリアしなければなりません。名前や住所を消しても、分析すると特定できてしまうということがあります。

鈴 木

個人情報保護法の保護利益より、司法のチェック、統制の方が重いものであり、そこは匿名化でなく仮名化でよしとするといったことは法律に書いて、疑義なく調整していく必要があると思います。そのルールづくりの端緒を開かなければ、何のためのIT化かということになる。法律的なIT化の意味を問い掛けなくてはならない時期だと思います。

稗 田

刑事裁判では、例えば性犯罪で、どういう被害を受けたかという事実自体、何の関係もない人が読むのは耐えられないという被害者の心情があります。これはやはり保護されるべき利益であり、知る権利とともに知られない権利もおそらくあります。そのバランスは考えなければなりません。

鈴 木

これは当然です。公開が原則と言っ た途端にこの議論が起きるので、調整の議論を起こしておかなければなりません。また、これをできるだけ自動処理するのがリーガルテックであり、そこは国費を入れるべきです。仮名化や匿名化しても新聞データベース等と突合すれば結構分かってしまいます。だからこそ、濫用した者に対する罰則もセットで考える。そして、先程お話ししたように、国民一般とプロフェッションは別に考え、法曹にはできるだけ原本へのアクセスと分析の機会を与える。責任も重くなると思いますが。

法曹養成について

編集部

法曹養成の話に移ります。関谷先生は日弁連で法曹養成を担当しているということですね。

関 谷

はい。それと、私は日弁連の広報も担当していますので、もう少しロースクールの魅力を伝えられるよう取り組みを進めています。特に女性の方に。

鈴 木

もう少しウェブ展開してほしいですよね。

関 谷

ウェブ展開に関しても、常に議論しています。今の若い人たちはPCではなく、スマホです。日弁連のホームページも改編したばかりですが、パソコン版とスマホ版とでデザインも分けて、より見やすいように工夫しています。

稗 田

法曹養成について、先程も今回の連携法改正の話がありましたが、すごく違和感があるのは、例えば司法試験の時期はかなり影響が大きいのですが、一番の本質的なところではないと思うのです。
私が司法試験を受けていた頃、5年生、6年生で受かる人が結構多かった。その後1度減り、27 ~ 28歳ぐらいでもう1つの山が出る。それは何故かというと、一通り基本科目を終えてから2年集中的に勉強すればだいたい水準に達するからです。それがうまくいけば、5年生、6年生で受かる。それを過ぎるとだんだん疲れてきて、皆1度遊んでしまって。そういう意味で言うと、ロースクールが2年間というのは適正で、本当は卒業した直後に合格してもらうのが望ましいですが、在学中に受かる人も結構出てくるとは思います。そこはそんなにこだわらないです。
それよりも、長年司法修習生の指導を担当してきましたが、やはり伸びる修習生と伸びない修習生がいて、実は法律的な知識よりも、相手の話をきちんと聞いて理解する能力があり、その上でもっと良い提案をできる能力が一番大事なのです。それから、法律論をするときも必ず具体的な事例を念頭に置き、いったいどういう事例のどういうことについて役立つ議論なのかということを考えられる学生は絶対伸びます。
本質的なところはその2つで、それは裁判官になろうが、検察官になろうが、弁護士になろうが、おそらく実務法曹以外で法律を生かす仕事に就いても、あまり変わらないでしょう。そういう意味では、大教室での法学部の授業よりは、ロースクールの方が少人数で双方向の授業をできるだけやるようにカリキュラムを組んでいますから、間違いなくメリットはあります。それをうまく生かし、集中的にきちんと2年勉強すれば絶対に合格する水準に達します。しかも、社会人経験やいろいろな経験を持った人が入ってきていますから、それは学生のために生かせるのではないかと思っているんです。
私は、法学部で実務的なことを教えてほしいとは全く思っていません。むしろ基本的な理論を具体的な事例の中で考えられるようにさえ指導してくれれば、あとはロースクールで全部合格水準までは持っていきますという話をしていました。そういう観点でぜひ、みんな頑張ってほしいと思っていますし、そういうメリットを、ぜひ弁護士会にも推奨していただきたいです。

関 谷

あと忘れてならないのは、未修者と 地方の法曹養成の問題で、今、中教審ではこれらをどうするかということが議論の中心となっています。例えば工学部に行ってから、あるいは医者になってから法曹を目指すなど、いろいろな方がいらっしゃって。大宮法科大学院などは、多様性を重視していて、できたばかりの頃は本当にいろいろな人がいました。新潟大学では、5つのロースクールと教育連 携をしているということですが、法学部3年+ 法科大学院2年の法曹コースで連携するという形でしょう。やはり法学既修者なのです。多様性が大事だと言いながらも、未修者の教育は依然として今までのロースクールの体制のままです。多くの方々は、3プラス2ではなく従来型のロースクール教育を受けるということなのですが、カリキュラムはどうなるのか。3プラス2の法曹コースとは別のカリキュラムになるのか。その辺が、ちょっとまだよく分からないのです。

稗 田

難しいですね、確かに。もともと早稲田の法科大学院は未修者教育に力を入れていますが、実際には、未修コースに入ってくる法学部卒の学生も多くいます。1年次が未修で、既修は未修2年次から入るのですが、未修の学生が1年間でさっき言った基礎的な科目を一通りざっと学ぶというのは結構タイトなのは間違いなくて。

関 谷

そうですよね。

稗 田

そこに3プラス2で、学部で基礎的な科目をしっかりやってきた学生が入ってきたときに同じクラスで一緒に組めるかというのは、今、検討しています。しかし、未修で、2 年目から既修と交ざっても優秀な学生もいるんです。そこはさまざまというのが正直なところです。

若手へのメッセージ

編集部

最後に若手へのメッセージをお願いします。

稗 田

そもそもロースクールを受験する人がどんどん減っているという話がありました。これは、日本の社会において法治主義を担う人たちが減り、国家のレベルがどんどん下がることを意味しているので、かなり深刻に考えなければなりません。結局は法曹が魅力的であれば、志望者はおそらくまた増えるだろうと思っています。本来、法曹実務家というのはそれなりの魅力がある仕事のはずです。若手の弁護士さんには、そういう魅力ある活動の場をどんどん開拓してもらいたいです。
私はドイツに留学で2年、制度調査で半年、全部で2年半行っていましたが、弁護士人口が人口比で日本の4倍ぐらいいます。皆弁護士をしているわけではなく、官公庁、地方公共団体はもちろん、小さなNPO法人など全国津々浦々、法曹資格を持った人が入っており、その人たちがコンプライアンスを支えている社会です。日本の大企業では、自分の企業の倫理を教え込むという形を取っていますから、それでは本当の意味で法治国家になっていないのかもしれません。
法曹人口が増えて、弁護士資格を持った人がいろいろな職場に入っていくことで、日本の社会そのものの法治社会としてのレベルを上げるきっかけになるだろうと思います。
ようやくインハウスロイヤーが増えてきました。最近では、彼らが法務部以外に行くようにもなってきています。こういうことが広まれば、法曹人口を増やしてロースクールをつくってということの、本当の意味は達成できるかと思います。
関 谷 昨年夏には、最高裁が中心となって、法曹という仕事は、やりがいがある素敵な職業だということをアピールする企画があり、定員200名をオーバーするほどの人が集まりました。マスコミも好意的に取り上げてくれました。理系出身の弁護士、大規模事務所で企業法務を担当している弁護士、刑事弁護をしている弁護士など、いろいろな若い人たちが熱心に広報活動をしてくれています。
我々の仕事は、そういった人たちに活躍の場を提供し、支えていくことです。二弁の若手フォーラムもそうですし、今年度は二弁の未来PTというものもつくりました。
いろいろなところで法の支配を広げるという弁護士の使命を果たすため、新しい職場・職域を探し、送り込んでいく。偏在を是正するために過疎地へ赴任する弁護士を養成する。予算との兼ね合いもあり、公設事務所をどうするかという問題もありますが、活躍の場を広げる活動はしています。

稗 田

この間、若手の弁護士から面白い話を聞きました。最近、大手の宅配業者ではなく、個人で業者から宅配を請け負う人が増えてきていますが、事故でけがをしても、生活保障など全く得られないそうです。

関 谷

個人の運送業者? UBERみたいなものですか。

稗 田

そうです。その組合を今つくっているという先生がいて、ものすごく苦労しているが、とてもやりがいのある仕事だと言っていました。これは1つの例ですが、組織である以上は、必ずルールが必要で、法律実務家の活躍の場はあるはずです。そういうことを一つ一つ開拓していけば、結構道があるのではないでしょうか。

関 谷

中小企業向けのLAC利用ができるよ うな保険システムをつくった人が二弁にいます。自分の社会人経験に基づいて、零細小規模企業のリーガルアクセスをどうやって開くかというと、それはやはり保険だと言うのです。法律というのは社会の隅々で機能しなけれ ばならないということを逆に考えれば、隅々までいっていないとすれば、そこが自分の新しい分野だということです。
あとは、いろいろな先輩弁護士と話をしたり、人脈を広げたりして、自分の活躍の分野をどんどん広げていってもらうことが大事だと思っています。

鈴 木

私は、むしろ若手よりもおやじたちにもの申すという感じです。法曹人口を増やすためには、やはりイメージ先行ですよ。私たちのときにはスーパースターがいたから。当時の検察は格好良かった。
司法試験を受けたい人は、どこかに自由を重んじる価値観がありますよね。一国一城とまではいかないのかもしれませんが、独立もできるというところが魅力ですし、やっていることが社会正義なのです。在野だけれども、資格試験という国家の公認を受けて、しっかり戦える武器を持っているというのは、そもそも職業として魅力的なわけです。
弁護士会も、二弁を格好良くするためには、学生や企業人に向けたセミナー、意見書、資料 提供等の情報発信で彼らを巻き込んでいくこ とです。二弁の研修はとても良いので、対象を広げれば、企業法務の方などにも、「二弁はち ょっと違う」と個人の選択に影響を与えます。もう1つは、多様性です。これからは、語学 のできる人と、理系大学院を出ている人が、情報法の分野を牽引していきます。GDPRの時 代になって、英語やドイツ語のコンメンタールを読まなければならないし、フランス語のCNILの動きを見なければならなくなります。結局、国際関係の中で国内ルールが決まる領域が増えてくると、語学力のアドバンテージは高まります。また、信用スコアもプロファ イリングも、ITの仕組みなので、それらを把握できるのは技術的知見のある人ですよ。
新規領域を法曹資格者に正しく取り扱ってもらい、これを現在担ってしまっている非弁に対し、弁護士会が切り込んでいくべきだと思います。ロースクールを出た語学力とITスキルがある弁護士が、情報法のコンプライアンス活動を支えていくことになると思います。

編集部

関谷先生から最後に一言。

関 谷

とても多岐にわたる話で、今話題になっているところを選んで話ができたのは、私に良い友人たちがいてくれたからです。ありがとうございました。

*1 1987年に発覚した東芝機械がCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)の協定に違反して、ソ連にNC工作機械を輸出していた事件。日米間の貿易摩擦に発展した。
*2 統計学において、他の値から大きく外れた値のことを指す。