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山椿 特別編「ド素人東大野球部に入部す」続編

1.新人戦での涙

毎日毎日、グラウンド整備と球拾いとランニングの明け暮れです。少しは野球に慣れてきて、夏の合宿も乗り切り、一年生の集大成としての新人戦が10月30日立教との間で行われました。試合用のユニフォームを着て神宮のフカフカの芝生の上を晴れがましい思いで走りました。試合は立教のワンサイドゲームであっという間に九回裏になりました。この時まだ出場しないで東大ベンチに残っていたのは一年生のT君と小生のみでした。二人は野球未経験素人コンビとしていつも一緒でした。するとT君が代打に指名されて三振しました。次は俺だなと思って、ドキドキしながら新人監督のI さんの方を見ましたが、知らん顔をしたままです。そのままゲームセットになりました。私は情けなくて涙が出ました。「俺はそんなにダメなのか。」T君が羨ましくて「T 君、良いなあ。出してもらって。俺はもう野球部やめたいよ。」とT君にこぼしました。するとT君は福井弁で、「おいおい石上、何言うとるんや。勝負はこれからやど。」と暖かい言葉をかけてくれました。

2.初出場

二年、三年と学年はあがってもリーグ戦では一度も試合に出してもらえません。
ところが四年の春、明大戦七回裏に、突然監督が「石上、レフトへ行け。」と言いました。ついに初出場の時が来たのです。レフトのポジションに走っていくと風がピューピュー吹いて景色もいつもとは随分違います。明大のバッター月原君がいきなり私の方にフライを打ち上げてきましたが、難なく捕りました。少し落ち着いてスコアボードを見たら、ちゃんと「石上」とボードに書かれていました。誇らしかったです。「カキーン」という音とともにボールは上岡の頭上を越えてセンターに抜けていきました。その時ショートの山下大輔君がダイビングしていましたが、私は夢中で一塁ベースに走り込みました。やったあ、初ヒットです。今度はうれし涙が突然ボロボロこぼれました。学ラン着ての神宮初観戦から三年半の時が経っていました。ところが四年の春、明大戦七回裏に、突然監督が「石上、レフトへ行け。」と言いました。ついに初出場の時が来たのです。レフトのポジションに走っていくと風がピューピュー吹いて景色もいつもとは随分違います。明大のバッター月原君がいきなり私の方にフライを打ち上げてきましたが、難なく捕りました。少し落ち着いてスコアボードを見たら、ちゃんと「石上」とボードに書かれていました。誇らしかったです。

3.四年生のラストシーズンの奇跡

夏も過ぎ最後の秋のシーズンになりました。多少出られるようになったもののヒットは打てません。ところが神様はいました。秋も深まった慶応戦でそれは起きました。私は代打で出ました。相手の投手上岡は甲子園の準優勝投手です。サイドスローから球威十分の速球とシュートでたちまちツーストライクと追い込まれ、「格が違う。三振だな。」と覚悟しました。四球目は外角に大きく逃げるスライダーで、ボールのように見えました。ところが次の瞬間「待てよ。これを見逃したら主審は絶対ストライクと言うぞ。」と直感し、左手一本でこの投球に飛びつきました。すると、何とバットの真芯に当たり「カキーン」という音とともにボールは上岡の頭上を越えてセンターに抜けていきました。その時ショートの山下大輔君がダイビングしていましたが、私は夢中で一塁ベースに走り込みました。やったあ、初ヒットです。今度はうれし涙が突然ボロボロこぼれました。学ラン着ての神宮初観戦から三年半の時が経っていました。

4.スタメンの喜び

さて、次の明大戦で試合前のキャッチボールをやっていたら「石上君。」と呼ばれたような気がしたので、「何じゃい。」と思ったら、ウグイス嬢によるスタメンの発表でした。何とスタメンです!しかしこの日の私は一回表の守備についた時からおなかが痛くて「まいったな。早くチェンジになれ。」と思っていました。どうにかチェンジになって猛スピードで自軍のベンチに戻り、ダッグアウト裏にあるトイレに突進しました。あんまり焦って頭をダッグアウトの天井にぶつけて帽子が血だらけになりました。しかし、トイレも済ませてスッキリして何食わぬ顔でベンチに戻ると監督に「石上、どこ行っとったんや。」と怖い顔で言われました。私の打順が来ていたのです。あわてて打席に入りました。明大の田尻投手の球は速く、カーブも鋭いです。
こんなの打てないやと思いながらも、バットを笑える程思い切り短く持って、夢中でスイングしました。するとドン詰まりの打球を打った感触があり、てっきりセカンドフライと思いました。走りながらそっちを見ると明大二塁手の山東君がジャンプしているのが目に入りました。幸運にも捕られずにライト前ヒットになったのです。一塁ランナーになりました。そして次打者のバントで二塁に進みました。一打同点のチャンスです。するとバッター厚君が力のないハーフライナーを二塁方向に打ちました。私は、法政戦で同じケースで二塁を飛び出してゲッツーを食らった経験があるので、「同じ手は食わんよ。」とハーフウェイでじっくりと球の行方を見ていました(大馬鹿)。すると、打球はヘロヘロしながらもセカンドの頭上を越えてヒットになりました。「しまった。ホームに突っ込むべきだった。」と恐る恐るベンチを見ると監督が「このバカが。」という怒った表情でこっちを見ています。三塁に行ってからまた監督を見ると、ベンチの中でひっくり返りそうになって大股開きをしています。「出たっ!スクイズだ。」当時の東大のスクイズのサインは監督が閉じていた股を広げるという何ともわかりやすいものでした。当然、敵のキャッチャーにもわかりやすいのでした。次のボールは外角高目に外され、私は三本間で挟殺されました。
第二打席は高目の球を叩きセンター前の痛烈なヒット。二打数二安打。今で言うマルチです。ニタニタ笑いを禁じ得ませんでした。翌日の新聞の記事などもチラチラ目の前に浮かびます。この時、スチールのサインが出ました。「本当かいな。」と思いながら、こそこそと離塁してセカンドへ猛ダッシュしました。「走ったー。」と言う声がして内野は緊迫しましたが、私は委細構わずセカンドベースに勇躍スライディングしました。誰もタッチに来ないので、セーフだと思いました。しかし、どうも様子が変です。実はバッターが三振してチェンジになっていたのです。続く三度目の打席はワンアウト一・二塁でした。その時、明治の名物監督の島岡さんが、巨体を折り曲げて顔をくっつけんばかりにして見ていたスコアブックから顔を上げ、私の方を見ました。思わず下を向きました。すると、島岡監督は何とピッチャー交代を告げました。私が二安打していたので警戒されたようです。これを見て、私は愚かにも「ほう。これはこれは。」と得意満面になりました。
代わったピッチャーの内角の甘ーいカーブが来たので「おいしい!」と強振したらひっかけてダブルプレーと相なりました。紙数が尽きました。ド素人だった私が我慢の末、最後に夢のような思いができました。
「なせばなる」という格言は本当だなと思いました。
その5年後、私は司法試験浪人をしながら助監督をやりました。さらに40年後、次男が同じ26番をつけて神宮のマウンドを踏みました。


立教戦でセンターオーバーの二塁打

※今月号の「花水木」は休載させていただきます。