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この一冊『水曜の朝、午前三時』

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『水曜の朝、午前三時』
蓮見圭一 著
河出文庫
640円(税別)

皆さんは、日々の生活で直面する選択肢をどのように選び、決断しているのだろうか。周りの方に相談する、自分自身で考え抜いて決断をする、どちらも重要な方法だと思われるが、それらに加え、本に書かれた力強いメッセージを頼りにするという方もいらっしゃるのではないか。今回紹介する本はそういったメッセージが詰まった作品である。
物語は、一人の40代女性が亡くなる話から始まる。翻訳家として知られた彼女(四条直美)は、亡くなる前の病床でニューヨークに留学している娘(葉子)に宛ててテープに声を吹き込んだ。本作はテープの書き起こしという形式で語られると同時に、娘の夫である「僕」が直美にまつわる様々な出来事を回想する、というものである。
物語は、小さいころの「僕」にとって、直美が個性的で魅力的であったかという点が、エピソードを通じて紹介されている。直美が当時の一般的な母親像から遠く隔たった存在であったことを示すエピソードとして、9歳のころの「僕」が葉子の誕生日会に参加した際、『黒縁眼鏡にショートヘアの直美は、招待客全員の料理を出し終え、いくつかのジョークを飛ばすと、あとはリビングのソファーに寝転んで洋書を読み、ひっきりなしに煙草を吸っていた』と紹介している。一見自由闊達に生きてきたと思われる直美だが、自身の死を目前に、大阪万博のコンパニオン時代に出会った「臼井さん」や、その周辺の人々との交流を想起し、その半生を振り返ることになる。
本作の一番の魅力は、物語の所々に存在する思索めいたメッセージである。例えば、子育てにおける親の成長について、『私は失敗を楽しめるほどに成長することができたのです』といった言葉がある。長男の育児に悪戦苦闘している私としては素直にうなずけないところもあるものの、人生経験豊富な読者にとっては思わずニヤリとしてしまう部分だろう。
そして、物語の終盤にあるメッセージには引き込まれずにはいられない。『何にもまして重要なのは、内心の訴えなのです。あなたは何をしたいのか。何になりたいのか。どういう人間としてどんな人生を送りたいのか。それは一時的な気の迷いなのか。それともやむにやまれぬ本能の訴えなのか。耳を澄まして、じっと聞くことです。歩き出すのはそれからでも遅くはないのだから』。初めてこの本を読んだ時は、ピンと来なかったが、改めて読み返してみると、直美が半生を振り返る中で一見関係しない複数の出来事について、一貫した意味づけを行っていたことに気づく。
本作は、意識的に、一見無関係な経験を意味づけすることで、いかなる選択をしても前向きに生きていける、という気持ちを呼び起こしてくれる作品だと感じる。何かの選択を迫られている方に勇気を与えてくれるこの作品を是非お勧めしたい。