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裁判員裁判レポート 法廷でのマスク着用問題

1 はじめに

現在も終息のめどが立っていない新型コロナウイルス感染症。その感染拡大により様々な事業、市民生活が影響を受けているが、刑事裁判の現場も例外ではなかった。その影響は、緊急事態宣言下で公判の開廷が不可能になり、事件が滞留気味になったというだけにとどまらない。
今回のレポートでは、緊急事態宣言明けから間もない時期に実施された裁判員裁判において裁判体と議論をすることになった「法廷でのマスク着用」に関する問題について報告する。

2 法廷でのマスク着用問題の議論の発端

緊急事態宣言の解除から間もない5月末頃 に、東京地裁で実施された、とある裁判員裁判。その裁判員裁判の法廷内で、訴訟当事者がマスクをつけるかどうかに関するやり取りが、当該事件の弁護人と裁判長との間でなされた。その法廷では、マスクを着用していなかっ た弁護人に対して、裁判長からマスクの着用が求められ、弁護人がそれを拒否すると裁判長が休廷をとり、裁判員も同席する中でそのような弁護人の判断に苦言を呈されたということである。
私は、報道及び知人弁護士からの情報提供でこの事実を知った。その約3週間後に1件(現住建造物等放火、詐欺被告事件)、さらにその 3週間後にももう1件(覚醒剤密輸等被告事件) の裁判員裁判の公判期日を控えていた私にとっては、他人事ではなかった。当時、私も法廷でマスクを着用するということはまったく予定していなかったため、このまま調整をせずに公判が始まった場合、先述の事件と同様のやり取りが法廷で行われてしまうリスクがあると考えた。
この報道を踏まえて調整が必要だと考えたのか、6月の現住建造物等放火事件の裁判体から臨時の打合せ期日の打診があり、数日後に打合せ期日が設けられた。

3 打合せ期日での裁判長とのやり取り

打合せ期日は予想通り、新型コロナ感染症に対する法廷での感染防止対策に関する調整が主な内容であった。打合せ期日の席上で、裁判長からは、当初以下のような対策案が示された。
ⅰ)当事者、証人等は全員常時マスク着用
ⅱ)検察官、弁護人は、尋問や弁論等も当事者席で行う
ⅲ)被告人席を弁護人席の隣にせず、被告人は法廷後方に着席する
ⅳ)冒頭陳述、弁論等の配付資料はすべて事前に裁判員の机上に置く
ⅴ)休廷中など、換気を随時実施する
一部については想定内の対策案であったが、ⅲ)やⅳ)など、私が事前に想定していなかったものも含まれていた。私からは、打合せ期日内で、ⅴ)以外の提案には応じられないこと、ⅰ)~ⅳ)に対する弁護人としての意見と、それぞれに関する対案を記載した書面を提出することを述べた。
同期日内で、裁判長からは、ⅲ)及びⅳ)については調整の余地がある、ただし、ⅰ)及びⅱ)については強く対応を求めたい(弁護人が従わない場合に、訴訟指揮権の発動までするかどうかも検討する)という発言があった。

4 裁判所に提出した書面と、対案の検討

私は、打合せ期日の終了後、すぐに裁判所に意見書を提出した。その内容は以下のとおりである(一部修正)。

法廷での感染症対策に関する申入れ書
1. 申入れの趣旨
1. 公判期日において、弁護人はマスクを着用しません。意見を述べる場合や尋問の際には、書記官や証人に過度に接近しないよう、立ち位置を工夫します。
2. 証人尋問及び被告人質問実施時には、証人及び被告人にもマスクを外していただくよう求めます。
3. 公判期日において、被告人の着席位置は弁護人の隣とし、法廷の構造上無理のない範囲で適宜距離を取ることで対応します。
4. 公判期日において、弁護人が冒頭陳述及び最終弁論において資料を配付することがある場合には、冒頭陳述及び最終弁論終了後に配付をお願いいたします。弁護人からはクリアファイルに格納した状態で書記官にまとめて手渡し、裁判官等への配付方法は書記官にお任せします。
5. 上記1ないし4の対応を弁護人が取ることにつき、殊更に公判期日において議論を喚起し、裁判員に不当な影響を及ぼすことのないよう予め申し入れます。
2. 申入れの理由
昨日2020年●月●日に実施された打合せ期日において、裁判長から、感染症拡大予防のための対策として以下のとおりの措置を取ることが求められました。
【選任手続について】
・大部屋で実施し、参加者は全員マスクを着用する
・個別質問票の回覧はせず、裁判長が内容を読み上げる
・個別質問の実施も最小限にする
・選任後の宣誓手続等も大部屋で実施する
【公判期日について】
・法壇に裁判員同士を区切るようにアクリル板を設置する
・当事者及び証人はマスクを常時着用する
・書面等を証人に示す際も、最小限の接近に留める
・被告人の着席位置は弁護人席の前の椅子を推奨する
・冒頭陳述や最終弁論の配付資料をすべて裁判員入廷前に机上配付する
・検温を随時行い、換気も実施する
現在の状況下で、感染症の拡大予防対策が重要であることは否定しません。緊急事態宣言は解除されているとはいえ、感染が完全に終息していないことも事実です。
弁護人としても今回の裁判員裁判の手続を実施するにあたって最大限の協力が必要だと判断しました。そのため、裁判長からの上記要請を受けて、弁護人からは、選任手続における各種配慮、及び、公判期日の際のアクリル板設置、証人尋問の際の接近を避けること、検温・換気の実施については異存ない旨お伝えしています。

しかしながら、公判期日において意見を述べる弁護人や、弁護人が尋問しようとする証人がマスクをするかどうか、及び、配付資料の配付のタイミングをどうするか等は、被告人の人生に多大な影響を及ぼす刑事裁判という手続の本質に直接かかわる問題です。
まず、弁護人が法廷でどのような服装をし、どのようなスタイルで意見を述べるか、どの時点で資料を配付するかという判断は、事実認定者に主張を効果的に伝え、依頼者にとって最善の弁護活動をするために最も適切な手段について十分検討した上でのものです。
そのような弁護人の判断について、裁判所が不当に介入することは許されません。仮に、裁判員らも在席する法廷において、弁護人及び被告人に対して裁判所による不当な介入がなされたとすれば、そのまま公判を維持することは「公平な裁判所」による裁判を受ける権利を保障した憲法37 条に反するものと考えます。

そして、証人尋問や被告人質問についても、そもそも証人や被告人が、帽子・サングラス等で顔の一部を隠すことが許容されないことは、従前の裁判所による訴訟指揮等からも明らかです。これは、法廷の秩序だけの問題ではなく、直接主義・口頭主義といった、刑事裁判の根幹となる理念に基づくものと考えるべきです。
直接本件と関係する事案ではありませんが、最高裁は、証人の信用性判断において言語情報だけでなく証言態度等が重要であることを以下のとおり明示的に述べています(最判平成24年2月13 日 最高裁判所刑事判例集66巻4号482頁)。
「第1審において、直接主義・口頭主義の原則が採られ、争点に関する証人を直接調べ、その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され、それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると...。」

帽子やサングラス等に比べて、マスクの装着により失われる視覚情報は極めて大きいといえます。目だけが出る状態になるマスクの装着によって、口元の動きが見えなくなるのみならず、表情全体の把握が極めて困難になります。
また、マスクをして顔の一部を覆い隠すことによる心理学的効果も無視できません。コミュニケーション心理学の専門家である吉川茂は、「心理学からみた「だてマスク」の着用」(阪南論集. 人文・自然科学編 53(1)、35頁(2017-10))において、マスク着用は「口元に表れる緊張感や敵意、不満、抗議、悔しさ、恥ずかしさなど自分にとって表出したくない感情を相手に察知されなくて済む」効果があると述べ、「マスク着用では相手の情報は得ながらも自らの情報は与えないという点である。まさにサングラスを掛けた状態と近似している」と述べています。このように、マスク着用が、情報を与える側の心理にも大きな影響を与え得る以上、マスク着用の有無は、その人が証言する内容そのものを不当に左右するリスクすらあるといえます。
そのような状態で実施する証人尋問・被告人質問によって、裁判官・裁判員が適切な信用性判断をし、事実認定を行うことは不可能です。

以上のとおり、弁護人としては、感染症対策の必要性があることは承知の上、それを上回る被告人の権利、刑事裁判の適切な実施への要請があると判断したため、第1記載のとおりの対応とさせていただきます。

以上

この書面提出後、裁判長から電話があり、そこから数日にわたり協議が重ねられた。着席位置や資料配付方法などは早々に調整がつき、主に争点となっていたのはマスクの着用の是非であった。
裁判長との数日間にわたるやり取りの中で、私からも、書面には記載していなかった対案をいくつか提示した。具体的には、以下のとおりである。
(1) マスクの代わりに透明なマウスガード、ないしフェイスシールドを購入し、平時及び尋問時には、尋問者だけでなく証人及び被告人もそれを着用する
(2) 冒頭陳述、弁論の際には、マウスガード等も着用せず、その代替としてアクリル板を購入し、証言台の上に設置する(私は証言台の後ろで冒陳や弁論をするスタイルをとっているため)
実際に、私はすぐにフェイスシールド、マウ スガード、アクリル板を発注した。アクリル板の発注に際しては、証言台のサイズを知る必要があったため、裁判官立会いの下、法廷でサイズを測ることが許可された(アクリル板は、幅60cm・高さ80cmのものを発注した)。これらの発注時点で、私もどの手段が適切 かについて判断がつきかねており、裁判長からも、いずれも許可できない可能性があり、自腹を切るまですることはないのではないかという発言もあった。
しかし、具体的な対案を示すこと以外に、マスクを着用しなかった場合の法廷でのやり取りが発生することは避けがたいと考えていた。量刑のみが争点となっていた当該事件においては、裁判員の印象なども十分考慮に入れたケースセオリー、訴訟準備をしていた。裁判員と最も近い距離にある裁判官と、法廷で無駄なやり取りをすること自体が不利益であるという意識は強かった。また、報道で5月末の事件を知った被告人からも、接見で「俺の裁判はどうなるの?先生はどうするの?」と尋ねられており、不安を払拭することが必要不可欠であった。
実際にこれらの物品を入手した後、裁判官立会いの上で、各物品の形状等の確認、及びアクリル板の設置テストを法廷で行った。

5 実際の法廷での活動と裁判員の感想

これらの準備の結果、当該裁判体においては、こちらの要望(意見書記載のものではなく、その後に提示した対案)が概ね認められた。私はマウスガードを常時着用し、弁論の際にはアクリル板の後ろでマウスガードなしでプレゼンをした。フェイスシールドについては、裁判所が急遽用意をしたとのことで、裁判所から被告人に貸与された。
アクリル板の後ろから動けないため、弁論のプレゼン方法に制約が生じることや、フェイスシールドを用いると被告人や証人の声が聞き取りにくくなることなど、課題は残ったが、公判自体はつつがなく終了した。その後、7月に別の裁判体で実施された覚醒剤密輸等事件の公判でも、同様の感染症対策が認められた。
感染症拡大が続いていた状況下で、裁判員がこのような弁護人の活動をどのように受け取るのかについては懸念もあった。しかし、当該事件のアンケートなどでは、「被告人がマスクをしていたときは声が聞き取りにくかった。表情もよく分かるようになったし、聞こえにくくなるよりはフェイスシールドを使った方がよかったと思った。」、「弁護人についても、表情や声をしっかり伝えようとしていると見て取れたので、表情を見た方が伝わりやすいと思った。表情が見えてよかった。」、「弁護人は被告の利益を最大化し、言葉だけじゃなくて、心も伝えなければいけない仕事だと思う。マスクを取りたいという要望はやむを得ない。実際、弁護人の話し方、表情には感じるものがあった。あれはマスクを着けていたらできない。表情を含めて、心の中に入ってくるものがあった。」といった意見も出ていたようで、懸念していたような批判的反応はなかった。

6 おわりに

弁護人が、その主張を自ら選択したプレゼン方法で伝えることは法廷弁護の重要な要素であり、マスクなどの着用がそのプレゼンの効果を阻害することは明らかである。また、証人の供述態度などの観察は、直接主義による事実認定の大前提となるものであり、マスク着用により証人自身の供述心理にも影響を与え得るという研究は無視できるものではない。「感染症対策」という名目のため、依頼人の利益を考慮することなく無批判にマスク着用等の要請に応じていては、最善弁護を尽くしたとはとてもいえない。
その一方で、多くの人が一か所に集まり、発言も多くなる刑事裁判の特性から、感染症対策を重視する必要性も理解できる。裁判員の中に、マスクを付けない弁護人に対する過剰な嫌悪感を抱く人もいる可能性もある。
弁護人は、これらの事情を踏まえた上で、当該事件において、どのようなスタイルで公判に臨むのが最善かを判断する必要がある。そして、その結果として、弁護人がマスクを着用しないという判断をした以上は、少なくともその弁護人の選択(その選択が法廷警察権の発動を許容されるような明白な危険をはらむものでない限り)に裁判所が過度に介入すべきではないし、そのような介入に対して弁護人は適切に抗議をしていくべきだと考える。