出版物・パンフレット等

スペシャル対談

佐々木 史朗 氏
●Shirou Sasaki
(株)フライングドッグ 代表取締役社長
(株)JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント 取締役
1982年ビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)入社。
3年の大阪営業所勤務を経てアニメ音楽制作ディレクターとなる。
以降「AKIRA」「トップをねらえ!」「マクロスプラス」「マクロス7」「逮捕しちゃうぞ」「MEMORIES」「勇者シリーズ」「エスカフローネ」「カウボーイビバップ」「X」「カードキャプターさくら」「ラーゼフォン」「人狼」「攻殻機動隊STANDALONE COMPLEX」「創聖のアクエリオン」「マクロスF」「Panty & Stocking with Garterbelt」「この世界の片隅に」等の音楽プロデュースを担当。
2009年1月、㈱フライングドッグを設立。

有賀 誠 氏
● Makoto Ariga
(株)日本M&Aセンター常務執行役員人材ファースト統括
1981年、日本鋼管(現JFE)入社。16年間の勤務の中で製鉄所生産管理、米国事業、本社経営企画管理等に携わる。その後、日本デルファイおよび三菱自動車で人事担当役員を務めた。ユニクロ執行役員(生産およびデザイン担当)を経て、2006年よりエディー・バウアー・ジャパン代表取締役社長に就任。ブランド構築、店舗網拡大、インターネット事業強化に取り組む。2009年より人事分野の業務に戻り、日本IBM、日本ヒューレット・パッカード、ミスミグループ本社にて経営に参画。2020年より日本M&Aセンター常務執行役員人材ファースト統括。急成長を遂げている企業において、「人を育てる」組織文化を醸成・強化すべく奮闘中。

岡田 理樹
● Masaki Okada
当会会長

1 都立西高での出会い

【編集部】 みなさん都立西高を昭和52年に卒業された同級生と伺いました。お三方の繋がりを教えてください。

【有賀】 私と史朗(佐々木氏)は、軽音楽同好会でバンドを一緒にやっていました。卒業後も、それぞれ音楽活動を続けていましたが、数年前、歌もギターもうまい史朗に、私のバンドに入ってもらいました。四谷にライブハウスを持っていて、主にそこで活動しています。

【編集部】 岡田会長とは?

【有賀】 当時、お互いの家に行ってマージャンをしていました。

【岡田】 来たね(笑)。

【有賀】 あと、仮装行列も一緒にやったよね。西高は受験校だったので、3年生になるとあまり学校の行事に参加しないのですが、3年生も何かやろうよと有志が集まり、体育祭のメインイベントで仮装行列をやりました。

【岡田】 でっかい山車を作って、ぐるぐる回りました。

【有賀】 トロイの木馬です。私と理樹は、2 人で奴隷役(笑)。とにかくこのメンバーでよくマージャンをしましたが、私たちに限らず、同級生はすごく仲が良く、コロナでこうなる前までは毎週誰かとどこかで会っていました。海外から誰かが帰ってきたとか、誰かの何かお祝い事があるとか、花見とか、うなぎを食いに行こうとか、何かしら理由を見つけては、10人、20人で集まっています。みんなで箱根の温泉に行ったりもしました。

【佐々木】 還暦のときにね。たぶん総勢90人ぐらいいたよね。

【岡田】 まあ、うちの高校がというか、うちの学年はみんな仲が良いですね。

【有賀】 あと3人とも音楽活動をしているので、お互いのコンサートやライブに行ったりしています。

【編集部】 え、会長も?

【岡田】 僕は合唱部。

【編集部】 へえ。あんまり人に言っていないですよね(笑)。いつから合唱を?

【岡田】 大学のときです。それも高校の同級生が入っていて、無理やりだったんです。

2 職業選択

【編集部】 有賀さんにお聞きしますけれども、大学を卒業後、JFEにお勤めで、その後何回か転職されていますね。

【有賀】 自己紹介をまじめにすると3時間ぐらいかかります。8回転職していて、今、9社目なので(笑)。
大学卒業後、日本鋼管、今のJFEに入りました。父親が総合商社勤務だったのですが、子ども心に商社って右にあるものを左に移しているだけでずるい、俺は物を作るところに行くんだと考えていました。そこで、メーカーばかり受けて、スケールが大きく、日本のプレゼンスが高い業界ということで、鉄鋼を選んで入りました。転職後も、鉄鋼、自動車、IT、ファッション、何らかの物作りに関わることをずっとやってきています。
もともとは工場の現場で生産管理をやっていたのですが、アメリカに駐在したときに、生産管理の手法やマーケティング、アカウンティングも、実は日本とアメリカでそんなに違いはなく、一番違うのは人と組織だなと思いました。
日本は年功序列で、アメリカは実力主義とか個人主義とかいわれていましたけど、そんな単純な構図ではないなということに気が付きました。確かに、日本のホワイトカラーは年功序列的ですし、アメリカのホワイトカラーは実力がある個人がさっと偉くなるみたいなことが当たり前ですが、現場に行くとそうではない。日本の工場では実力がない人は絶対、作業長とか工長とか店長とか、現場のリーダーにはなれないですね。現場はめちゃめちゃ実力主義だなと。逆に、アメリカでは鉄鋼や自動車の業界には 強力な労働組合があり、労働組合の中では古い人間が既得権を守るというがちがちの年功序列で、レイオフされるときは若い方から。つまり、日本はホワイトカラーが年功序列的で現場は実力主義、アメリカはホワイトカラーが実力主義で現場は年功序列、真逆だなと思いました。
この辺にグローバルなビジネスの鍵があるような気がして、30歳ぐらいのときに、ビジネススクール(経営大学院)に通い、戦略論、組織論や労使関係、リーダーシップ論などを勉強しました。
勉強するとやはりその知識を使ってみたくなる。当時、私が勤めていた鉄鋼メーカーは、がちがちの年功序列で、その中で自分が勉強してきたことを活用するのは難しかったので、38歳で最初の転職をして、ゼネラルモーターズの日本法人に入り、初めて人事の仕事に携わりました。
その後、人事以外の職種も経て、46歳でエディー・バウアーというファッションブランドの社長を2年やりましたが、大失敗をして、二度と社長はやるまいと思いました。でも、社長として失敗した経験が活かせるのは、やはり人と組織だなと思い、それ以降は10年強、 人事系の仕事をしています。
今、思い出したけれど、三菱自動車で人事担当の役員をやっていたときに、理樹が、会社側の担当弁護士だったっけ?

有賀氏

佐々木氏

【岡田】 代表訴訟が多数提起されていたとき、役員の一人の代理人でした。

【有賀】 そのときに初めて仕事での繋がりができて。僕は、もともと高校時代から彼のことを尊敬していて、息子にもマサキという名前を付けたぐらいなのです(笑)。

【編集部】 佐々木さんにお伺いします。佐々木さんはビクターに入られて音楽の道一筋ですね。詳しく教えてください。

【佐々木】 中学時代からバンドをやっていて、高校、大学でも続けていました。大学のときにちょっとしたコンテストみたいなものにも出たりしていたのですが、音楽の世界にはすごい人がいっぱいいて、自分はそこまでの才能はないなと思うようになりました。それでも音楽は好きだったので、音楽のバックヤード、裏方の仕事がしたいと思い、当時のビクター音楽産業に入社しました。
最初の3年ぐらいは、大阪で営業をやっていましたが、東京でアニメ音楽の制作に空席があり、そこに来ないかと誘われて行きました。以来35年以上、アニメの音楽と映像を作る仕事を やっています。フライングドッグという会社は11年ぐらい前に、ビクターから分社、独立した形で設立されて、その代表となりました。

【岡田】 彼は、アニメオタクの間では神様です。

【有賀】 いや、レジェンド。

【佐々木】 そんなことはないですけど。

【編集部】 具体的には、どんなお仕事をされているのでしょうか。

【佐々木】 アニメ音楽制作の仕事は、アニメの映像制作サイドであるアニメの監督やプロデューサーから、こんなアニメをいついつから放送するので音楽を作ってほしいという依頼から始まります。オープニングをこんな感じで、エンディングはこんな感じで、あと背景音楽はこんな感じにしたいなどの要望を聞いて、大まかな相談をします。
それを受けて私たちの方では、まず作家を決めたり、歌い手を決めたりする作業があります。歌い手が決まれば、どんな曲を作るかというのを考え、それに沿って作曲家や作詞家を決めていきます。また、それに伴う予算も決めます。こうして完成した音楽は、かつて はCDなどのパッケージメディアのみで販売していました。現在は、音楽配信の比重が大きくなってきていますが、制作費を回収するという部分ではいまだパッケージの売上げが重要ですので、どういう形態で作ってどう売って、ジャケットをどうして、どんな宣伝をし てと、そんなことを考える仕事もしています。音楽の方向性は、映像制作サイドから例えばオープニングは勢いのある歌にしたいとか、男性ボーカルがいいとか、こんな雰囲気にしたいとか、意見をもらいます。OP映像のイメージとかがある場合はそれを監督に伺います。あと、歌詞にできるようなキーワードがあるかどうかも。場合によっては複数の作曲家にコンペといって曲を作ってもらって、3曲~ 5 曲、出てきたものを監督が聞いて決める場合もあるし、逆に、最初から作家を決め打ちして作ってもらう場合もあります。
さらに重要なのが、売れるかどうかということです。今の大衆音楽、ポピュラーミュージックというのは、嫌な言い方をすると、多くの一般民衆から小金を徴収するビジネスです。中世の音楽は、一握りの大金持ちから大きなお金をもらって作るものでしたが、現代では、より多くの人に良いと思われてお金を払ってもらわないといけません。
そういう意味では、分かりやすい音楽というのが大事ですが、アーティストと呼ばれる才能がある人は、分かりやすいことをしたがらない傾向があります。分かりやすいものはかっこ悪いという意識があって、下手をするとどんどんアバンギャルドな方向に行ったり、素人には分からないディテールの違いに深く入ってしまうところがあるのです。
才能がある人というのは、例えば10万人とか20万人に1人の完全なマイノリティです。僕らは100人いたら99人の側だけど、彼らは100 人いたら1人の側の人間なので、価値観とか考え方が99人側と全然違ったりする。その100人のうちの1人に対し、僕らは99人側の代表として、分かりやすいものを作るように意見しなければいけない。一方で、分かりやすいものといっても何かひとさじ他とは違う味がしないと大衆には受けない。食べやすいものだけど、そこにひとさじのクレージーが振り掛かっていないと大ヒットとはならないのです。そのバランスを作家や監督と相談しながら作っていく。「クレバーとクレージーのバランス」といいますか。

【編集部】 しかも、その音楽は、アニメに合っていなければいけないという大前提があるわけですよね。

【佐々木】 基本的にはアニメに合うというのが大前提だし、そこがすごく面白いところですね。絵に合えば何をやってもいいので、流行りの音楽をやらなきゃいけないわけではないのです。民族音楽だっていいし、クラシックだっていい。絵に合いさえすれば、逆に自由なことができるという面白さがありますね。

【編集部】 会長が司法試験を目指されたきっかけは何でしょうか。

【岡田】 特にないけど、高校のときにはもう法学部に行って、弁護士になるのもいいかなと思っていました。当時、文系の科目しかできなかったので、文系で面白そうなのは法律かなと。もっと遡ると小学校の卒業文集に「私の夢」みたいなのがありますよね。子どもらしい夢を書くところです。そこに、私は、1番目に宇宙飛行士になりたい、2番目に科学者になって研究をしたい、そして3番目に裁判官になりたいと書いたのです。なぜそう書いたのか全く覚えていませんが(笑)。

【有賀】 この3人の中では間違いなく一番勉強していた(笑)。そうはいってもがつがつというタイプじゃなかった。

【編集部】 当時東大の法学部というと大蔵省に行くとか官僚を目指す人が多かったのかなと思いますが。

【岡田】 今思えば、大学のときのクラスの中には、結構そんな人が多かったかもしれない。最初の自己紹介で、「私は、村から出た初めての東大法学部生で、故郷を出るときには村民みんなに電車を見送ってもらいました。」なんてことを言う人がいた時代でした。そういう期待を一身に背負って、末は大蔵官僚みたいな、そういう思いで入学した人がまだいた時代だったのでしょうね。今の東大生はそんなこと考えていないですけど。

【佐々木】 僕らちょうど学生運動が終わったぐらいの時代なんです。

【有賀】 機動隊に囲まれたこともありましたよ。ぎりぎりその名残りがあった、そんな時代だった。

【岡田】 お茶の水辺りでまだヘルメットかぶって石を投げている人たちがいて、見に行ったことがありました。

【佐々木】 ちょうど音楽と若者のムーブメントがくっついていた時代で、『DON'T TRUST OVER THIRTY』(30代以上は信じるな)と、それがロックのテーマでもありました。もう高度成長期ではなかったので、そんなに上昇意欲が強い世代ではないかもしれないな。

【有賀】 でもみんな夢は持っていたんじゃないかな。

3 仕事のやりがいについて

【編集部】 人事の仕事の醍醐味、やりがいはどこにあるのでしょうか。

【有賀】 会社が目指すビジョンや、それを達成するための戦略を実現するために努力をした人が評価され報われる。だからますますそこに向けて頑張る。それもできれば一人一人がそうなるだけではなくて、1+1が3になるようなシナジーが生まれるチームや組織を作ることだと思います。
私自身、社長として失敗するまでは、自分で何でもやろうとしていたんですね。自分に不得意なところがあったらそれを克服してスーパーマンになろうみたいな。でも、失敗してからは、しょせん自分はオールマイティーではない、自分が不得意なところはそれが得意なパートナーと組んでやっていこうと思うようになりました。自分はもう社長までやったので、この後、残りの仕事人生は、人を育てたり組織を作ったりというところに時間を使おうと考えるようになり、40代半ばぐらい で仕事へのアプローチが変わりました。

【編集部】 どういった失敗をされたのですか。

【有賀】 株主の期待が、3年間で売上げを倍にするというものだったのです。追い風が吹けば何とかなるかなと思い、トップラインを伸ばすために投資をしました。ところが暖冬で冷夏になっちゃったのです。
冬が暖かいとダウンジャケットが売れない、夏が涼しいとポロシャツやTシャツが売れない。それを何とかするのが社長だろうと株主からは言われ、でも既に投資をしていたので固定費はがんと上がってしまっていて。そのような失敗でした。

【岡田】 そもそも何でその前にユニクロに行ったの?

【有賀】 私はダイムラー・クライスラーのドイツ人に採用されて三菱自動車に入り、ダイムラー傘下でグローバルな組織作りに励みました。将来の幹部候補生のファストトラックでの育成、年功序列ではない人事制度、でも日本的な良さをちゃんと残して先輩が後輩を育て、後輩が先輩を支える仕組みは残すというハイブリッドの人事制度を作っていたんです。ところがダイムラーは三菱ふそうというト ラック部門だけを傘下に残し、乗用車部門を売却してしまいました。その後、三菱系の株主から、人事制度を元に戻しなさいと言われ、じゃあ僕ではないと思い、退職しました。 それで次の新しいことを考えているときに、ユニクロが雇った何人かのヘッドハンターに誘われました。私は、洋服やリテールは、全然分からないし興味がないと断りました。ところが、その中のあるヘッドハンターに、「有賀さん、興味がないのは分かった。でも柳井さんと会ってみたくない?」と言われたのです。私は「そりゃあ会ってみたいよ。でも俺、絶対ユニクロには行かないよ。それでもいいの?」と言ったら「結構です」と。
それで柳井さんと会って話をしてみると「柳井さんすげえな」と思いました。この人の近くで仕事をしたら、自分も勉強になるなと思い、ユニクロに行くことにしましたが、結局、意見の衝突から1年で辞めました。
そのころ娘がちょうど高校を卒業して大学に入るときでした。甘やかして育ててしまったわがまま娘を鍛えてもらうブートキャンプとして、ユニクロはいいと思ったので、ユニクロでのアルバイトを勧めました。おやじは1 年で辞めたけど、彼女は13年目でまだユニクロで働いている。伴侶もユニクロで見つけました。結果オーライの話ですね(笑)。

【編集部】 佐々木さんの仕事のやりがいはどういうところにありますか?

【佐々木】 いいセリフ、いいシーンに、いい音楽が付いたとき、すごく気持ちいいのです。映像によって曲が曲以上に聞こえる、音楽によってそのシーンがさらにいいシーンに見える。1+1が3以上になるその気持ち良さでやっているようなところがありますよね。
もう1回この気持ち良さを味わえるのなら、徹夜してヘロヘロになっても、いろいろ嫌なことが多くても我慢する。35年ずっとその繰り返しですね。

【有賀】 その瞬間、これは売れるとか思うの?

【佐々木】 「いい」とか、「来た」とは思うけど、それが売れるかどうかは、ちょっと別の問題で(笑)。

【編集部】 たくさんヒット作がありますが、一番うまくいった作品は何ですか。

【佐々木】 1つとは言えないですね。もう現場はほとんどやめているのですが、最近現場に関わったものだと『この世界の片隅に』という映画があって、あれは非常にうまくいった方でしたね。

【岡田】 あれさ、割と最初のところに『悲しくてやりきれない』を使っている。あれ、俺、映画館で見ていて、うわ、すげえと思ったけど、誰のアイデアなの?

【佐々木】 あれは監督がまず最初にあの曲だけは使いたいと言って。コトリンゴさんの『悲しくてやりきれない』を使う、というところからスタートしているのです。結局、いろいろ考えて、劇伴も歌も全部をコトリンゴさんにお願いすることになりました。

4 別業種から見た法曹界

【編集部】 法曹界は、音楽業界の方からどう見えているのでしょうか。

【佐々木】 僕らが関わるのは基本的に著作権関係だからかもしれませんが、著作権関係に強い弁護士が少ないなと思ったりすることはありますね。今、コロナでライブができなくなって、無観客の配信ライブをやり始めたというように、新しい分野のビジネスが生まれています。そういった新しいビジネスに対応する既存のルールにないルールを作ってほしいという需要は増えているのではないでしょうか。
例えば、ゲームの音楽です。もともとゲームはファミコンのカセット1個に何千円という値段が付いていて、その中に音楽のコストも入っていました。ところが、今やネットゲーム自体のダウンロードは無料で、いろいろなアイテムの課金があって初めてお金が発生するような仕組みです。そうすると、このタダの部分に付いている音楽は、一体どこからお金をもらえばいいのかという話になります。この辺って、なかなかルールが作れないのです。また、自分たちが今関わっている音楽の契 約書では、対象物を録音・録画物という言い方をしますが、このいずれとも呼べないようなものが出てきたときにどうするかを考えなければならない。面白さを追求すればするほど、いろいろな形態が出てきます。そういうところに積極的に絡んでくれる弁護士がたくさん出てきてくれることを期待しています。

岡田会長

【編集部】 例えばボーカロイドの歌に実演家の権利はあるのかないのかとか(笑)。

【佐々木】 生身の人間じゃないパフォーマーが、世界中でパフォームする可能性はあると思います。
どの権利者にどうシェアするかがどんどん変わってきているので、一緒に新しいルールを作ることができるといいなと思いますね。

【岡田】 複数の人が関わって1つのものを作るときに、どう利益をシェアしていくのかはすごく大事ですね。

【佐々木】 今は、1曲を5人とか10人のチームで作ることも増えてきています。

【岡田】 昔、アメリカに留学してロースクールを出た後に1年ほどロサンゼルスの法律事務所で働いていたことがあるのですが、そのときに映画の権利の契約を検討しました。俳優もたくさん出ているけど、バックヤードにもいっぱい人がいますね。映画のクレジットを見れば分かるように、あれだけの人たちが皆それぞれに権利を持っているんです。

【佐々木】 映画のアグリーメントって、かなりぶ厚いね。

【岡田】 それほど事細かに決めないといけないということでしょう。映画の契約書を作る前の段階でも契約が必要で、その後もたくさんの人の権利が追加されたりして、最終的に儲かった収益をどう分配するのかが大変なんです。

【佐々木】 もともと日本人は、ある意味性善説的に、お互いの信頼関係で進めるみたいなところがあるのですが、アメリカは、どんなトラブルが起こるか分からないという発想ですよね。それに全部対応するために、ぶ厚くなるんです。

【有賀】 しかも、アメリカは搾取の歴史でしょう?アーティストは何も分からずサインしたけど、実は本人以外が儲かるような仕組みになっていて、本人の死後、遺族が裁判を起こすという話もあるよね。

【岡田】 あのビートルズでさえ不利な契約だったといわれています。

【編集部】 規模の大きな映画では、多額の投資をするお金を持っている人にとって良い条件になるのでしょうか?

【岡田】 一時、ものすごく製作費が膨れ上がって、いっぱい投資家を集めて製作委員会という組合みたいなものを作っていたんだけど、近年、デジタル化がどんどん進んで、また個人作業でも作れるようになって、今度は、そんなに膨大に金を集めなくてもよくなったりしている現状もあります。

【編集部】 最近では、音楽の音源も安く作れるようになっていますね。

【佐々木】 それについては、こんな例があります。 瑛人の『 香水』 は、「TikTok」 などのSNSで人気になって、それをアーティストが個人で配信しました。従来のように間にレコード会社が入っておらず、テレビやいろいろな媒体で宣伝することもありませんでした。そういったコストを一切かけずに大ヒットが生まれた訳ですから、これからのビジネスも変わっていくでしょう。もうお客さんとアーティストだけで直接ビジネスができる時代になってきているのです。
一方で、配信のサブスクリプション、いわゆる定額聴き放題では、1再生の売上げが1円にも満たない。アーティストに配分する前の売上げがそれだから「100万回再生されてすごいね」 と言っても、100万弱しか入ってこない。
昔は、シングル盤が100万枚売れたら、10億円ぐらいにはなった。CD100万枚と100万再生 を単純に比較できるものではありませんが、レコード会社にもミュージシャンにもお金が入りにくい世の中になってきている。つまり、安く作れるが、入ってくる金も少なくなっているというのが現状です。

バンド演奏の様子 有賀氏(左)佐々木氏(右)

【編集部】 有賀さんは、これまで弁護士とたくさん関わりがあったと思いますが、法曹界に求めるものがあれば教えてください。

【有賀】 仕事柄、労務系の相談をさせてもらうことが多いのですが、弁護士に求めるものは3つあります。
まず1つ目は、企業の経営者の立場から、も っと経営に寄り添ってほしいということです。杓子定規に条文はこうだから、判例はこうだからじゃなくて、「御社の経営戦略がこういうものであるならば、ここはリスクを取ってでもこうすべきです」とか、「ここはお金はかかるけれどもリスクを避けましょう」というように、経営戦略を理解した上で法律のプロとしてのアドバイスをしていただけたらなと思います。2つ目はグローバルな知見です。当然国ごと に法律は違います。日本はこうだから、だけじゃなくて、「アメリカはこうだからアメリカのマネジメントの人だったらこういう視点で来るでしょうけれど、そこはこう説明すればお互いの話がちゃんとかみ合います」というような、日本以外の法環境も理解をした上で提案をしてくれると非常に助かるなと思います。特に雇用のところは大きく違いますし、健康管理とかも国や企業によってかなり違います。
3つ目は、言葉にするのが難しいのですが、法律や判例がどうだとかではなくて、やはり人の道というものがあると思うのです。人の道としてこれが正しいという、その軸を持っていらっしゃる方と一緒に仕事をしたいなと思います。そもそも法律がどうであろうと、人間としてあるいは企業としてこうあるべきという軸や信念、価値観、そういったものがある人と仕事をしていると、気持ちいいなと思います。

【佐々木】 僕も同じような思いがあります。法務的な相談事をスタッフに話すと、「佐々木さん、これはこうだからできませんよ」などと言われるけど、そうじゃなくて俺たちがやりたいことを応援してくれるルールを考えてよという気持ちにちょっとなりますね(笑)。

【有賀】 何々だからできないではなく、こうすればできる、あるいはできるかもしれないというアドバイスが欲しいですね。

【岡田】 法曹界では、ノーしか言わないミスター NOにはなるなと言われますが、ノーすら言わない人もいます。こういうリスクがあります、こういうリスクもあります、どうしますかという人が...。

【佐々木】 決めるのはあなたですけどね、みたいな(笑)。

【有賀】 でもそのリスクを取らなかったときには裏側にも別のリスクが必ずあり、株主さんから訴えられてしまう可能性もありますよね。

【岡田】 弁護士として、そういう依頼者が気付いていないリスクを突いてアドバイスをすることは、大事な仕事だと思います。

5 新型コロナウィルスによる社会の変革

【編集部】 新型コロナウィルスの問題ですが、弁護士会はどのように変わりましたか。

【岡田】 弁護士会は、世間の皆様が思っているよりはるかに遅れていて、普通の会社に比べてもすごくアナログだと思います。デジタルで作った文書をわざわざプリントアウトしてコピーを配るというような仕事の仕方をしていました。
法律相談も、職員が受け付けて、弁護士に相談を配点する業務から始まります。あらかじめ日程は決まっているのに、わざわざ弁護士に電話をして、「先生、何月何日に順番になっていますが大丈夫ですか」と確認します。中には、「ごめんね、ほかの用事、入れちゃった」と言う人もいて、別の人を手配しなければならない。そんな仕事のやり方をしているので、突然コロナで職員が来られなくなったら、その瞬間から、法律相談業務が止まってしまう。
緊急事態宣言下でも、相談を受けてもいいという弁護士がいて、相談したい人もいて電話もかかってくるのですが、その電話を取る人がいない。
そこで、インターネットで法律相談を受け付けて、メールで打ち合わせをして、最後は「Zoom」で顔を見ながら相談できる仕組みを 大急ぎで作りました。
また、「LINE」で子どもが悩みの相談をできるようにするなど、ようやくITを活用して多少なりとも法律ニーズに応えられるようになりつつあります。
完全にウェブだけの法律相談をやっているのは、おそらく二弁だけだと思いますが、まだ手探りの部分もあり、大々的に広報ができないでいます。
一般の方にご意見を伺う市民会議という組織があって、そこでこのような二弁の取り組みを発表したら、「なぜ今までやっていなかったんだ」「もっとどんどんやれ」とハッパを掛けられ、ようやく弁護士会も近代化に向けて動きつつあるのかなと思っています。
職員も緊急事態宣言が出て自宅に帰したはいいけど、家では仕事ができない。つまり、テレワーク体制がなかったのです。それも、ようやく各自のパソコンにVPNを入れて、自宅で仕事をやってもらえるような体制になり、やっと弁護士会もテクノロジーの恩恵を受け始めています。
委員会も4月から集まっての会議ができなくなりました。リモート開催については、規則でウェブ会議システムが「Skype」しか使えないと規定されていたため、急いで「Zoom」でもいいと規則を変えて、今はほとんどの委員会活動を「Zoom」で開催しています。
それでも、4月、5月は、市民に対する法的サービスがほとんど止まってしまいました。

3人の高校時代 佐々木氏(左)有賀氏(中)岡田会長(右)

【編集部】 現執行部は挨拶回りすらできなかったと聞いています。

【岡田】 「新任ごあいさつ」という名刺が山ほど余って(笑)。

【編集部】 これからも体制は変わっていくのでしょうか。

【岡田】 変わっていかないといけない。仕事のやり方そのものを変えていかないと対応できない部分があるので、それをこれからやらないといけないです。

【佐々木】 私は古い人間なのでどうしてもリモート会議だと空気が読めない所が苦手ですね。リモートでやるしかなかったら、そのためにモニター越しでも場の空気が分かるようなスキルを磨かなきゃいけないのかもしれない。

【岡田】 そうですね。空気が読めないというのはすごくあって、リモート会議では、発言しないとスルーされてしまう危機感があるせいか、場の空気や順序を考えずに、言いたいことを全部言わなきゃという人がいます。慣れていないせいだと思うけど、会議全体がギスギスすることもあります。

【有賀】 私はIBMやHPにいたので、10年以上前からそのようなバーチャルのコミュニケーションは当たり前で、24時間、世界のどこでも仕事ができ、繋がれるという環境でやっていました。しかも、国や言語、文化も違う中で、おそらくそのようなノウハウが既に積み上がっていた環境で仕事をしていたのだと思います。その後、前職のミスミや現在の日本M&Aセンターという日本の会社へ来ることになり、バーチャルでのコミュニケーションの文化がないことに驚きました。とにかくみんな集まれ、朝礼、やるぞ、みたいな(笑)。ところが、4月1日に入社をして翌日から全員在宅勤務ということになりました。まだ挨拶すらしていない中で在宅勤務となったのですが、そのときの会社の動きはすごく速くて、新入社員の受けるべきトレーニング、私が講師となる研修も一晩のうちに全部オンラインに切り替え実施しました。
そして、営業のサテライトオフィスを主要都道府県に作りました。日本M&Aセンターは、地方の中小企業の経営者の方々がお客様です。コロナの影響で地方の方から「東京から来ないで」という暗黙の圧力があったのですが、営業マンがお客様と同じ地域にいる体制を作ったことで、地方の方も受け入れてくださいました。そして、営業マンがタブレットを持ってお客様のところに伺い、本社の営業担当の役員や弁護士、会計士と、ウェブで繋いだハイブリッドミーティングを始めたのです。コロナ禍でも業績を落とさず、むしろ営業効率が高まったので成長をすることができました。
ただ、やはり重要なポイントでは、フェース・トゥ・フェースでないとだめだという場面もあります。例えば、「Skype」や「Zoom」で採用面接をしたが、最後、オファーを出す前にはやはり直接会って決めたい。M&Aのディールでクロージングのときはやはりきちんと会って調印をしたい。コロナのリスクを軽減するためのいろいろな工夫をして、そこだけは実現しています。

【編集部】 音楽業界も変わりましたか。

【佐々木】 もともとレコード会社はパッケージが売れなくなってきた状況があって、変わらなきゃということで、ライブやアーティストのマネジメントをやったりという方向にシフトチェンジしてそれが軌道に乗り始めてきた所でした。しかし今、ライブができないということで、厳しい状況になっています。
弊社でも、5月末に劇場公開するはずだった映画が、いつ公開できるか分からない状況になったり、別の映画の主題歌も映画が始まらないのでライブができないとかいろいろ出てきています。 代わりに、無観客の有料配信ライブというのをやっているのですが、会場に行ってわーっと騒いでいるのと、自宅でパソコンを見ながら取りあえず聞いているのとでは全然違います。それでもライブに飢えている人たちが、結構見てくれたりはしているのですが、何度か見たら飽きちゃうのです。
さっきの話じゃないけど、新しい配信ライブのやり方というか、新しい楽しませ方、こういうことをしたら面白くなる、みたいなことをプラスしていかないと、現状のままじゃ辛いなと思います。
でも同時に、新しいやり方を作った人間が勝てる状況でもあり、チャンスだとも思います。物事がうまくいっているときって、なかなか一揆を起こしにくいじゃないですか。今は一揆を起こすチャンスだと思います。

【編集部】 サザンオールスターズの配信での無観客コンサートは、チケットを買って見た人が18万人、総観客数50万人と報道されました。

【佐々木】 配信には、席の良し悪しがないですからね。リアルのコンサートでは、桑田さんが米粒ぐらいにしか見えないのが、配信ではよく見えるという良さはあります。ただ興行として考えると、配信コンサートは、売り切れがないし、席が一緒だから、チケットが配信日のぎりぎりまで売れない。サザンクラスなら大丈夫かもしれませんが、チケットが早くに売れないと制作費が厳しい。早く買った人には特典を付けるとか、新しい方法を考えなきゃいけない。

【岡田】 早割を付けないといけないね。

6 これから求められる人材

【編集部】 有賀さんにお聞きします。アフターコロナの時代にどういう人材が伸びていくと思いますか。

【有賀】 コロナ前後に関わらず、やはり受け身の人はだめだろうと思います。上司や組織にこびへつらったり、指示を待っていたり、特に若い人にはそうなってほしくない。自分の信念や価値観をしっかりと持ち、それを守りながら仕事をしていくためには強さがないといけない。会社をクビになってもやっていけるという自信がないと強くは生きられない。自分の力を蓄えて、自分の市場価値をしっかり作る。自分の道を追求するという生き方をしてほしいと思います。若者だけではないでしょうが、特に若い人はおとなしい人が多いのでそう思います。

【編集部】 在宅勤務が広まり、指示待ちの人が増えたのでしょうか。

【有賀】 むしろ上司の顔色を窺わなくてよくなったので、個人としての生産性は高まったという人も多いですね。

【岡田】 余計な飲み会、連れていかれないし(笑)。

【有賀】 しゃべりかけてくる窓際のおじさんもいない(笑)。

【編集部】 自分を適切に評価してくれているか気にしたりしていませんか。

【有賀】 そこは仕組み作りです。会社は個人やチームの成果で評価をするので、これが成果だということを個々が確認をしておけばいいだけの話です。これまで多くの日本企業がそれを怠ってきたのだと思います。

【岡田】 コロナに関係なく、責任が重くなるから、あんまりプロモーションしたくない人もいるかも。

【佐々木】 今の若い人は、上昇志向が弱いよね。

【有賀】 韓国や中国の同世代の人たちと比べると、やはりアグレッシブさやハングリーさとかが足りない。

【佐々木】 一昨年から上海に行くことが多かったのですが、中国の若者は優秀だし、上昇力が強い。これじゃかなわないなと思いました。

【有賀】 我々が悪いと思うのです。僕らは、戦争を体験したおやじから柔だとか生ぬるいと言われ、叱られながら、時には殴られながら育ちました。そして、同じこと(「柔だ」) を自分の子どもに言いながらも、厳しく叱ったり、殴ってたりはしていない。やたらと厳しく接すればいいということではないでしょうが、豊かになる中、世代を経るごとに日本人は弱くなっているのではないでしょうか。メンタルの問題も、昔だってなかったはずはないけれど、今ほど深刻ではなかった。

【岡田】 メンタルは難しい。自粛警察みたいに、何でもつるし上げる人がいます。あれも何らかの精神的バランスを保ちたいからというところもあると思う。コロナで、目に見えない恐怖にずっとさらされ続け、狭い家の中にずっと閉じ込められているから、鬱になる人もいれば攻撃的になる人もいると思います。我々としては、野放しにしちゃいけない、何か言わなきゃいけないということで会長声明を出したりしてはいるのですが。

【佐々木】 僕らも歌とかアニメとかで、やっぱりそういうメッセージを入れていかなきゃいけないと思っています。

【編集部】 音楽の力ってすごいですよね。

【佐々木】 僕らも子ども時代に音楽に感動して育ってきたから。

【岡田】 正義の味方のアニメで育つと、正義の味方になるんだよね(笑)。

【編集部】 『半沢直樹』という昭和っぽい勧善懲悪のドラマが人気でしたね。

【岡田】 みんなあれを見て月曜日からの活力源にしていたんでしょう(笑)。もう『水戸黄門』状態でね。40分ぐらいたつと、大逆転が 起こる。

【佐々木】 演技がすごい、顔芸が。

【有賀】 実は、『半沢直樹』にエキストラで出たんですよ。
前のシリーズのときに、東京中央銀行の社員食堂として使ったのがHPの食堂だったので す。エキストラ100人募集ということで、若い 人がたくさん手を挙げたのですが、出向、リストラ待ちで、しょぼんとしているおじさんが必要だというので(笑)。食堂の後ろに映っています。

【岡田】 ドラマを見てメガバンクに行きたいと思う人は減ったかもしれないね。不思議なのが、やっぱりJRとかNTTグループとかメガバンクとか、公務員を希望する若者が多い。

【有賀】 公務員志望が一時期特に多かった。5時半で終わって趣味に走れる。

【岡田】 やっぱり安定志向かな。

【有賀】 一方で学生時代からベンチャーを起こすような子もいるので、一律ではないのでしょうけれどね。

【岡田】 弁護士でも大事務所に就職してそこで偉くなりたいという人が増えました。昔は3 年とか5年で独立したいという人の方が多かったですが。

【有賀】 弁護士もサラリーマン気質ということかな。
うちの営業で司法試験に受かった人間が2人います。法律の勉強をしてきて、キャリアアップと自分の力試しに受けたのです。合格後もうちで営業をやっているので、一律に柔だとか言ってはいけないのかもしれませんね。自分は何をやったってトップになれるという自信があるのだと思います。

【岡田】 そういう人はどこに行っても大丈夫かもしれないね。

【佐々木】 昔はレコード会社って制作が花形だったのですが、最近はやりたいという人が少ないです。リスキーじゃないですか。当たるも八卦当たらぬも八卦だし。宣伝や販売促進といった、音楽そのものを作るのではない部署を希望する人たちが増えているんです。

【有賀】 そもそも何でその業界を志望したのかという話になってしまうね。

【岡田】 大手の広告代理店でも、クリエーティブの志望者が昔より少なくなったと聞きました。

【佐々木】 クリエーターってある意味クレージーだから、そういう人たちに振り回されるのは面倒くさいみたいなところはあるかもしれないですね。

【編集部】 最後にこれからの若手法曹に一言お願いします。

【岡田】 やっぱり依頼者のために全力で仕事ができる人になってほしい。サラリーマンみたいに、9時から5時までこのぐらい片付ければいいやというのでは、この業界は務まらないと思います。これが依頼者のためにベストなのか、本当に自分は全力を尽くしたのかを振り返って恥じることのない人になってほしいと思います。
さらに、もうちょっと大きい視野でいうと、依頼者が求めていることを100%やったら喜ばれるかもしれないけれども、本当にそれで社会的にいいのかどうか、この件はこう解決した方が社会のためにもなるし、後々あなたのためにもなるでしょうということを、ちゃんと言えるような人になってほしいと思いますね。コロナで環境が変わり、ツールはいろいろなものが出てきて、それを利用して状況にフィットしたやり方を身に付けていかなきゃいけないのだろうけど、マインドはずっと変わらない。変わってほしくないなと思います。

【有賀】 これからは、年齢とか何期とか、あまり意味を持たない時代になっていくことは間違いないでしょう。うちの会社には、今年、先輩を追い越して36歳で取締役になった者もいます。年齢や年次などは、あまり関係がない世界にどんどん入っていくでしょうから、優秀な若手がたくさんいる組織であれば、若手に任せる。むしろ、「俺にやらせろ」、「私にやらせろ」となったら、とても素晴らしいことではないでしょうか。
あと、法曹だけに言うことではありませんが、自分の売りを作れと。この分野のプロだとか、自分はこれなら誰にも負けないというマーケットバリューだとか。それがあれば、組織に迎合したり、大樹に寄る必要もないので、自分の信念に従って生きていくことができるし、好きなこともできる。そういう自分自身の軸を作ってもらうのがいいと思います。

【佐々木】 僕らの業界では、ヒットなんて10回のうち1回でも出ればいい方で、もともと1割以下の打率なのです。ただ、それでもバットを振らないとホームランは打てません。今の人たちは空振りが怖いからなかなかバットを振らない。だから思い切ってバットを振ってもらうために空振りのノルマを作ってもいいと思います。「君、今月、空振りしてないじゃないか」と(笑)。
僕たち古い人間にはないものを若い人たちは持っているのだから、どんどん空振りしてくれればいいと思います。僕らはその空振りをちゃんとサポートしていかなければならない。空振りは、成功するより得られるものが多いかもしれない。

【編集部】 今日はどうもありがとうございました。