出版物・パンフレット等

この一冊『夏の庭』

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『夏の庭』
湯本 香樹実 著
新潮文庫
490円(税別)

私が「この一冊」執筆のお話をいただいたとき、まず真っ先に、「私でいいのだろうか」という疑問が浮かんだ。そこで、私なりに自分の役割を考えてみたところ、「最近のトレンドとなっている本」なのではないか、との考えに至った。しかし、最近は忙しさを言い訳に、全く読書をしていなかったことに気が付く。慌てて書店に行ってみた。たくさんの本がある。よく読書をしていた頃は、それらの中から面白そうな本を選ぶことができたが、今は全然勘が働かない。手探りで、最近映画化して話題の本、TikTokで話題の本など、5冊を選んで買ってみた。早速読んでみる。どれも面白い。でも、「この一冊」として紹介するには何か違う。
そこで思い出したのが、湯本香樹実さんの『夏の庭』だった。私が読書にはまるきっかけとなった本。この本を初めて手にしたのは、私が小学生のときだった。あまり裕福な家庭ではなかったので、親の買い物について行ってもなにも買ってもらえなかったが、本だけは喜んで買ってくれた。ある日、なぜだか「大人の本」である新潮文庫の本を選んだのだった。
この本は終始、小学6年生の「ぼく」の視点で書かれている。友達の山下のおばあさんが亡くなったところから物語は始まる。山下から話を聞くうちに、ぼく、山下、河辺の3人は、「人の死」に興味を持つ。近所のおじいさんがもうすぐ死ぬという噂を聞きつけ、おじいさんの家に張り付いて、死ぬ瞬間を目撃しようとする。最初は無愛想だったおじいさんと、次第に仲良くなっていく。一緒にスイカを食べたり、洗濯したり、おじいさんの昔の話を聞いたり、おじいさんが花火をあげたり、庭にたくさんのコスモスを植えたり...。
初めて読んだとき、知らない漢字もたくさんあったが、物語の風景が目の前に広がっていった。読み終わったときには、涙が止まらなかった。理由はわからなかった。その後、しばらく読み直すことはなかったが、法科大学院2年生のとき、純粋未修だった私は勉強につまずき、頭がパンクしたことがあった。そのときにも、思い出したかのようにこの本を読んだ。また涙が止まらなかった。このときは、涙の理由がわかった気がした。そして、今回読み直して、やっぱりまた涙が出てきたが、今度はなぜかまた理由がわからなくなっていた。「この部分にすごく感動して」というものはないものの、読み終わったときにはすっと心が晴れたような気持ちになる。でも、理屈などではなく、言葉で表せないけれど、なぜか心が動く、ということこそが、感性なのではないかとも思う。皆さまにも、心が疲れて感情がなくなりかけたときに、ぜひとも読んでいただきたい一冊である。