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少年とともに

委員会ニュース(子どもの権利に関する委員会)

医療的ケア児就園・就学などホットライン(前編)
~障がい児の学びと育ちの場の選択~

河邉 優子 Yuko Koube ―65期
米本 英美 Emi Yonemoto ―70期

ホットラインの概要

医療の進歩に伴い、たんの吸引などの医療的ケアを必要としながら、在宅で元気に生活するお子さんが増えています。
しかし、そうした医療的ケア児の社会での受け皿はまだまだ少ないのが現状です。多くの医療的ケア児が、保育園や幼稚園に入れない、希望する学校に入れない、などの困難に直面しています。

第二東京弁護士会では、こうした問題に対応するため、2018年より毎年「医療的ケア児就園・就学などホットライン」を実施しています。

2020年11月6日にも、第3回目となるホットラインを実施しました。※ホットライン相談結果は、二弁ホームページのイベントレポートをご覧ください。

医療的ケア児の就園就学の難しさ

〜川崎就学訴訟〜
自治体によっては、数十年前から医療的ケア児を地域の小学校などに受け入れているところもあります。どんなに障がいが重い子どもでも、周囲が工夫すれば、一緒に園生活や学校生活を送ることは可能なのです。

他方で、かたくなに医療的ケア児の受入れを拒む自治体も存在します。例えば、神奈川県川崎市に住んでいた光菅和希くん(以下、「和希くん」とします)は、人工呼吸器による医療的ケアを受けながら、地域の小学校への就学を希望していました。しかし、神奈川県教育委員会は、本人及び保護者の意向に反して特別支援学校への就学通知を行いました(本件処分)。

本件処分は、本人及び保護者の意向が尊重されず、合理的配慮も検討されず、インクルーシブ教育を受ける権利が何ら保障されないもので、それら権利を規定する障害者差別解消法等に反するものです。そこで和希くんと両親は、川崎市及び神奈川県に対し、本件処分の取消し及び小学校への就学決定の義務付けを求める裁判を起こしました。しかし裁判所は、2020年3月18日、本件処分の違法性を認められないという請求棄却判決を下しました。現在は控訴審係属中です。

和希くんはその後、川崎市の隣接地域である東京都世田谷区へ居を移しました。すると、世田谷区では、すんなりと地域の小学校への就学が認められました。和希くんは今、区立小学校の4年生として元気に通学しています(そのため、控訴審では国賠に請求を変更しています)。

このように、同じ子どもでも、自治体の判断次第で通える学校が変わるのです。更に、裁判所もそのような自治体の判断を、広範な裁量で認めることにより追認しているのが現状です。

インクルーシブ教育の意義について

かつて、医療的ケアが必要な障がいのある子どもならば、特別支援学校に通うのは仕方がない、という考え方が肯定されてきました。

しかし、そうした障がいの有無を理由に「分ける」ことこそ、差別に繋がること又は差別そのものなのではないでしょうか。法的には、全ての子どもには地域の小学校等へのアクセスが保障されなければならず(障害者権利条約)、その選択にあたっては本人及び保護者が第一の決定権を持つとされています(子どもの権利条約)。「自分もみんなと同じ学校に行きたい」...そう願って当然です。同じ地域の一員であるのに、障がいを理由として、地域の子どもたちの通う場に入れてもらえないことは、障がいのある子どもにとって、地域の一員としての尊厳を傷つけられることになります。また、障がいの有無を問わず、全ての子どもがともに学校生活を送ることで多様性を体験的に学び得るものであって、こうしたインクルーシブ教育の浸透こそ、共生社会を実現する大切な土台になります。

とはいえ、重い障がいのある子どもが普通の学校に通ったら危ないのではないか、また、特別支援学校の方が少人数で充実した教育が受けられるから子どもにとっても良いのではないか、と思う方もいらっしゃるかもしれません。前述の事案でも、川崎市は、①特別支援学校の方が安全安心である、②特別支援学校の方が和希くんの教育的ニーズに合致するという主張をしていました。

しかし、それは誤解です。①安全性については、今の法律では、特別支援学校でも、地域の学校でも、障がい者に必要な合理的配慮としての人員配置をしなければならないことになっているので(障害者差別解消法)、障がい児の安全確保に必要な人員(医療的ケアを実施するための人員)の配置は、地域の学校でも十分に可能です。安全性において、特別支援学校と地域の学校とで、法的な差異はないと言ってよいでしょう。

②教育的ニーズについては、たしかに、特別支援学校と地域の学校では大きく違います。地域の学校では、多様なクラスメートとの生の関わりの中で社会生活の基本などを学んでいきます。特別支援学校では、友達同士の関わりはほとんどなく、教師とのやりとりの中で障がいに応じた教育を受けます。多様な友達同士の関わりを重視したいか、障がいに応じた特別な教育を求めたいか、というのは、まさに、本人及び保護者の意向が尊重されるべきことです。友達との関わりを重視する子どもに対して、特別支援学校への就学を通知することは、本人の意向を無視した差別としかいえません。

このように、障がい児が地域の小学校などに受け入れられることは、障がい児の地域の一員としての尊厳を守るためにとても重要なのです。

ホットラインの反響

ホットラインには、こうした相談の機会を求めていた、とても有り難い、という切実な声がたくさん寄せられました。

その中でも最も興味深いのは、ホットライン結果をまとめて二弁ホームページに載せたイベントレポートに対して寄せられた声です。イベントレポートには、保育園等について、「申込みをする前に『難しい』と言われてしまうことも多いのですが、ともかくまずは申込みをしましょう」と記載したところ、その記載に対して、複数の方から、「役所に断られても申し込んでよい、というのが目からうろこでした」「勇気が出ました」という感想が寄せられました。申し込む権利すらないと思ってしまうほど、地域社会や学校教育から排除され、その尊厳を傷つけられている子どもがいかに多いかと驚くとともに、そうした子どもの権利を実現するための活動の必要性を痛感しました。

何が少年のためになるのか

角野 太佳 Taka Kadono ―69期

はじめに

弁護士3年目の秋、少年事件の配点を受けました。罪名は暴行でした。既に家裁送致後で、審判期日は約2週間後に指定されており、迅速な対応が必要でした。

初回面会

配点を受け、とにかく急いで面会に行きました。

少年は中学3年生で、共働きの両親、父方祖母、弟と同居していました。事案としては、スマートフォンでの配信アプリにはまり、生活リズムが乱れ、学校への遅刻を少年が繰り返していたところ、事件当日も遅刻してしまい、それを知った父親が、自宅で、少年からスマートフォンを取り上げようとしてもみあいになり、最終的に、少年が、自分を押さえつけた父親の腕を噛んだというものでした。

また、少年は、中学2年生の時に、学校でハサミを振り回して6週間一時保護されたこともありました。

少年はコミュニケーションの取り方が独特で、学校に遅刻して配信アプリにのめり込んでいたことからも、学校生活への難しさを感じているのだろうなという印象であり、この点への対応が必要だと思いました。また、家庭内での事件であり、家庭環境の調整も重要な課題だと考えました。

保護者面会

少年との初回面会後、両親に電話すると、母親はとても警戒していて、父親は、自分が被害者で少年が加害者という構図の中で活動してほしいと述べるなど、やはり難しさを感じましたが、面談の約束はできました。

数日後、両親と面談をしました。直接会って話すと、少し安心していただけたのか、色々と話してもらえました。その際、両親から通知表を見せてもらい、また社会記録の学校照会の記録も閲覧したところ、少年は小学生の時から成績はほぼ1で、他者との関わりにも難しさを抱えており、中学入学以降は遅刻欠席も多いことが分かりました。

調査官面談と、非行原因の分析・方針策定

配点から4日後、調査官と面談をしました。調査官からは、非行性はそれほど進んでいないと思うが、発達上の特性が強く、そこへの対処が問題であり、現時点では資源をどれだけ用意できるのかなどを探っているとの説明がありました。

以上を踏まえ、非行原因の分析と方針策定をしました。少年に暴力傾向が顕著なわけではなく非行性はさほど進んでいないと思われる一方、①発達上の特性がある中、学校生活を円滑に送ることもできず、ネット上に居場所を見出し生活リズムが崩れたこと、②父親からはしつけの際に暴力を振るわれ、更に家庭内で両親とのコミュニケーションが減少しており、家庭が安心できる場所ではなかったこと、③①②にもかかわらず、両親も少年も外部機関による支援を拒絶してきたこと、が本件の原因であると思われました。その上で、結論としては保護観察を目指し、そのために、①少年に自身の特性を受け止めた上で今後どのように生活していくかをよく考えてもらうこと、②両親の意識改善・少年との関係性の改善、③外部機関による支援体制の確保を活動方針としました。

付添人活動

まず、保護者との面談を重ねていく中で、父親は、自身が体罰を受けて育てられたため、体罰を正しい行為だと考えていたが、誤った認識であり、今後は二度と暴力を振るわないと述べるようになりました。

また、両親ともに、当初はスマートフォンが最大の問題であり、それさえ取り上げれば大丈夫だと認識していましたが、その背景に発達上の問題や学校生活での難しさがあったことも認識するようになっていきました。その上で、従前、他の資源を利用することに否定的だったのが、関係機関の支援を受けながら少年の発達特性に合わせた環境を整えることが重要であると考えるようになりました。少年自身も、従前は他の生徒と同じようにしていたいという思いから、関係機関の支援を受けることには否定的でしたが、自分の状況を受け止め、支援を受けることに肯定的な言葉を述べるようになりました。そこで、両親を中心に、関係機関との調整を行い、少年と保護者がスクールカウンセラーとスクールソーシャルワーカーに相談できる体制、及び中学校への通学ができない場合に備え、適応指導教室に通える体制を整え、社会内で学力及び社会性の伸長を図れるような体制構築を進めました。

その他、少年は、本当は両親と普段からもっと話をしたいと考えていた一方、両親は少年が年頃であり自分達とあまり話をしたくないのかと思っていたようでした。この点も付添人として間に入り、認識のずれも修正されました。

更に、少年は、自身が興味関心を強く持っている工業関係の高校への進学に強い希望を述べるようになりました。

カンファレンス

審判3日前に裁判官、調査官とカンファレンスをしました。裁判所としては、コミュニケーションに問題があり、学校も通えておらず、関係機関も利用してこなかったこと等から、児童自立支援施設送致とし、生活リズムを立て直し、社会性を醸成させることが一番であると考えているが、本人と両親が施設送致に否定的であるため、付添人において説得してもらいたいとの意向が示されました。

その後少年と面会し、裁判所の考えも踏まえて、一緒に考えました。少年は、自分が得意不得意の差が大きいのも分かっていて、児童自立支援施設でもやむを得ないとは思っているものの、自分としては社会の中で、両親とともに、関係機関の支援を受けながら頑張りたい、工業高校も、せめて受験のチャンスは欲しい、と述べていました。

悩みましたが、やはり、付添人としては、保護観察処分を求めることにしました。カンファレンスの場では資料の準備が間に合っていなかったため、審判2日前に、関係機関の支援体制の準備状況等を内容とする両親の上申書を作成し、各機関のホームページや申請書も準備し、意見書を提出した上で、再度審判前日に裁判官と面談し、少年の今後への強い決意も伝え、この機会を逃すべきではないと説得しました。裁判官としては児童自立支援施設送致の方が適切であるとの考えは変わらない様子でしたが、結論的には、審判の場でも十分な動機付けをした上で、保護観察処分としたいとの見解が示されました。

審判

審判の場で、少年はこれまで考えてきたことを、自分の言葉で、しっかりと話していました。

また、審判には副校長先生と担任の先生も来てくれました。担任の先生からの心のこもった言葉が少年にとても響いている様子だったのが、印象的でした。

結果は、保護観察処分でした。

終わりに

どのような処分が少年のためになるのか、非常に悩みました。鑑別所意見も調査官、裁判官の意見もいずれも児童自立支援施設送致でした。その方が少年のためになると言われれば、そう思う部分もありました。しかし、少年からは、自宅に帰り、両親とともに、関係機関の力を借りながら生活を立て直し、高校に進学して頑張っていくという強い決意を感じました。両親も、とても真摯に考えを改めていると私には感じられました。この機会を逃してはならない、そう思いました。また、児童自立支援施設に行った場合に、本当に発達上の特性を踏まえた療育・教育を受けられるのか、受けられたとして社会への移行がスムーズにいくのか、可能な範囲で調査をしましたが、不確定要素がある点は否めませんでした。社会内で生活することが、彼のためだと思い、保護観察処分を求めました。

その後、本人から、高校に合格したとの連絡がありました。今後も大変なことがあると思いますが、頑張ってもらいたいと思っています。