裁判員裁判レポート
被告人を信じ動き考え、勝ち取った無罪判決
下村 悠介 Yusuke Shimomura (72期)
はじめに
私は、弁護士になって4か月目、ある控訴審事件を受任し、無罪判決をいただくことができた。この文章では、無罪判決に至った過程を書き、私が味わうことができた刑事弁護のやりがい、楽しさを伝えたいと思う。
事件配点
弁護士登録をして4か月目、刑事事件も数件担当し、日々の業務にも慣れてきていた。
そんなある日事務所に弁護士会から、FAXが流れてきた。内容は、被告人国選推薦案件。聞き慣れない言葉で、調べてみれば控訴事件・上告事件で、担当者を募るために流すFAXのようだ。弁護士会に電話を掛けてみると「新潟の窃盗否認事件で、事実誤認の主張です。受任をお願いします。」と言われ、軽い気持ちで事件を受任した。この後、どれほど苦しい戦いになるかも知らずに。
事件内容
事件書類を受け取り判決文を見ると、原審では懲役1年の実刑判決が宣告されていた。起訴内容は以下のとおりであった。
「被告人は、令和元年〇月〇日午前8時頃、新潟市○○所在の漫画喫茶〇〇店3階男子トイレにおいて、○○所有の現金〇万円及び免許証等在中の財布1個を窃取したものである。」
判決文を見て、事件のあらましが分かった。
被害者は、朝8時頃、手に財布を持って漫画喫茶のトイレ(トイレ1)に入り、その際財布を置き忘れた。トイレ前に設置されていた防犯カメラ映像によれば、被害者がトイレを出てから、20分後に財布の紛失に気付き戻ってくるまでに、4人がそのトイレを利用していた。財布は現金のみ抜かれた状態で、同日午後4時に漫画喫茶から30キロメートル離れたショッピングセンター内の多目的トイレ(トイレ2)の中のゴミ箱から発見された。トイレ2前の防犯カメラ映像によれば、清掃員が午後2時半頃掃除しており、午後4時には警備員がトイレ内のゴミ箱から財布を発見している。その1時間半の間にトイレを利用した人は12人だった。両トイレで共通する利用者は、被告人の山田さん(仮名)のみだった。
原審記録検討
原審で、山田さんは、自分のリュックサックに誰かが財布を入れ、それをトイレ2まで気付かずに運び、自然と財布がリュックから落ちゴミ箱に入ったという主張をしていた。原審では、検察官請求証拠全てが同意され、弁護人の立証はほぼなしであった。判決では、近接所持の法理を使って有罪認定をしていた。すなわち、被告人の主張どおり、リュックサックから財布が落ち、トイレ2のゴミ箱に財布が入る可能性はあるが、ゴミ箱には蓋が付いており、ゴミ箱に財布が落ちる際に蓋に当たったときとゴミ箱の底に財布が当たったとき、大きな音がするはず。
被告人の弁解によれば、その音に気が付かなかったとするが信用できず、トイレ2に意図的に財布を持ち込んだと認められる。財布の窃盗被害発生と被告人の財布の所持との時間的近接性に照らせば、トイレ1から財布を持ち去ったのも被告人である、としていた。
初めての接見
東京拘置所で山田さんと接見をした。山田さんには複数の前科・前歴があり、全国をさまよう旅人であった。山田さんに、「自分が疑われるのは分かるが、やっていないものはやっていない。自分の無実を証明してほしい。」と言われた。私は、この時点では、この証明は不可能であると思っていた。
防犯カメラ映像入手
原審証拠を何度も検討したが、山田さんが財布を持ち去った犯人としか思えなかった。山田さんが犯人でないかもしれないと思える証拠が欲しかった。原審証拠には、トイレ1前に設置された防犯カメラ画像添付の確認結果報告書があった。防犯カメラ映像の一コマを写真に収めたものだ。この写真があるならば、防犯カメラ映像もあるはずで、それを開示してもらうことにした。
東京高等検察庁の検事に、証拠開示請求書という紙一枚を送り付けても、相手にされない気がした。電話をして、「一度事件につきまして、話をさせていただきたく、面談の時間を作っていただけないか。」と恐る恐る頼むと、検事は了解してくれた。
数日後、担当検事に会いに行った。挨拶から始まり、自己紹介、初めての控訴審事件受任であること、被告人の主張、控訴審弁護人として真実を追求したいこと、未開示証拠の検討の必要性を伝えた。検事は、「わかりました、では防犯カメラ映像が手元にあるかどうか確認して、開示するようにします」と言ってくれた。トイレ1の防犯カメラ映像が開示され、何度も見た。
被害者が財布を手に持ってトイレに入っていく。ていくときは、何も持っていない。山田さんがトイレに入り、約1分後に出てくる。他の3名も同様だ。4人とも財布を所持している様子はない。被害男性が、財布がないことに気付き、トイレに探しに来る。山田さんが主張するとおりの事実ならば、山田さん以外の3人の誰かが財布を持ち去って、山田さんのリュックサックに入れたに違いなく、3人がトイレから出る際の映像を何百回も見た。しかし何度見ても、誰も何も持っていない。無実の証明は、やはり無理なのか。
現場へ
時間だけが過ぎていく。「現場を見に行こう。諦めるには早すぎる。関係者に話を聞こう」そ
う思った。他の3名の容疑者、漫画喫茶の店員、新潟の警察官、検察官、ショッピングセンターの警備員、清掃員が浮かんだ。まず漫画喫茶に連絡をし、店長と話をした。店長は事件発生時には店舗にいなかったが、その後の警察対応に深く関わっていた。新潟の検事にも連絡を取った。ショッピングセンターの防犯カメラ映像記録は、新潟地検に保管されており、開示するよう求めた。念のために原審弁護人とも連絡を取り、会う約束を取り付けた。財布を発見した警備員、清掃員からも話を聞くべく連絡を取った。
新潟の警察官にも連絡したが、相手にされなかった。他の3名のトイレ1利用者とは、電話で話をして事件当日の話を詳細に聞けたが、怪しいところはなかった。新潟に行く前、改めて記録を検討し、何度も見直した。防犯カメラ映像も見た。「あれ?」と一つの違和感に気付いた。原審記録上、被害者の財布は黒一色の長財布だ。それなのに、トイレ1に入る直前、被害者が持っている財布が、一瞬だけ光った。このとき、被害男性はトイレに財布を持ち込んでいないのではないかという考えが生まれた。
バイクで新潟へ向けて出発した。まずは、財布が見つかったショッピングセンターへ。ゴミ箱はこういうものか。「ゴミ箱 回転蓋」でインターネット検索すれば出てくるタイプだ。ゴミ箱の中にビニール袋が取り付けられている。どうすれば財布が落下した際、音が鳴らないか、私の財布を使って落下実験を繰り返した。そして、ひらめいた。まず、設置されているビニール袋の底が浮いていれば、ゴミ箱の底には財布は当たらず、音は鳴らない。また蓋も開いていたなら、音が鳴らない。財布を発見した警備員からも話が聞けた。私が立てた仮定の話をぶつけてみた。すると、確かにビニール袋が底に付いていたかは確認していないという。次に新潟地検の検事に会った。事件についてあまり情報は得られなかったが、ショッピングセンターの防犯カメラ映像を開示してくれた。
事件現場の漫画喫茶に向かった。店長は、色々な話をしてくれ、当時窃盗被害が多発していたことも教えてくれた。事件発生時に被害者及び警察対応した店員にも連絡してくれていた。次の日、被害男性の対応をした店員と話をした。店員は、当時の様子を一通り話してくれた。店員に防犯カメラ映像を見せた。店員は、「これは財布でなくスマホかもしれないですね。私はずっと財布だと思っていました。」と述べた。当時、警察が来て、一緒にカメラ映像(10年以上つけっぱなしでぼやけたモニター)を一度だけ確認して、「あ、財布を手に持っていますね、出てくるときには財布を持っていないから、ここで財布を置き忘れたんですね。トイレを利用した4人の誰かが持ち去ったんでしょう。」という話ができ上がっていたことも聞けた。まず、警察官と店員が勘違いしたのである。そしてそのまま被害男性に伝わった。店員から聞いた話は、弁面調書という形で書面にした。
次に、トイレ2を掃除した女性清掃員に会って話を聞いた。ゴミ箱は捨て口が小さく、高さが高い。清掃員は手を入れてゴミだけを取るので、ビニール袋が奥まで入っていると、ゴミが取りにくい。手でゴミを取りやすいように、ビニール袋の底を浅く設置する。こうすれば、ゴミ箱の中に、財布が落ちたとしてもビニール袋が受け止め、ゴミ箱の底で財布の落下音が鳴らない。ビニール袋が浅く設置されているとき、回転蓋がビニール袋に引っかかり、半開きの状態になることもある。蓋は開いた状態で、そこに財布が落ちると、ビニール袋があるため、ゴミ箱の底にも接触せず、音も鳴らない。判決で指摘された、音に気付かなかったという被告人の供述は不自然であるという部分が覆ることになる。これらの聴き取り内容を書面化した。清掃員から話を聞き、弁面調書を作った場所は、銭湯のロビーであった。
夜9時まで原審弁護人等そのほかの関係者から話を聞き、その後バイクで東京に戻った。疲れなど一切ない。その頃には、山田さんの無実を確信していた。
報告
東京に戻って、山田さんと話をするため、すぐに東京拘置所に行った。「警察も検察も誰も
が、自分の言うことを信じてくれなかったが、先生だけが信じてくれた。先生に全てをお願いするので、自分の無実を明らかにするためにとことんやってほしい。」そのようにお願いされた。
新潟で収穫を得た。このことは、高検検事にも告げなければならない。第一審ならば、検察官は敵だろうが、控訴審では、検察官も納得するような反論ができなければ、勝てるわけがない。検事に電話をし、再度伺う約束を取り付けた。正直に言えば、検事の反応を直接見たかったのである。検事は、初めは余裕たっぷりという感じだった。防犯カメラ映像に関して指摘すると、「あれ...うん、確かに、検討します。」と言っていた。これは、いける。そのように思えた瞬間であった。
控訴趣意書
控訴趣意書を書き始めた。ケースセオリーのポイントは以下のとおりである。①被害男性は、
事件前日の夜、財布を使用したが、その後の財布の所持の真偽は不明で、トイレ1に財布を持ち込んでいない。②トイレ2で、山田さんが財布の落下音に気が付かなかったことは不自然とは言えない。
控訴趣意書を一通り書き終え、同じ事務所の趙誠峰弁護士に見てもらった。趙弁護士から、温かく厳しい指導を受けた。山田さんがトイレ2に財布を持ち込んだことを前提に物事を考える必要はない。持ち込んだのはトイレ2利用者の12人のうちの誰かでいい。私は山田さんがトイレ2に財布を持ち込んだことを前提に物事を考えていた。私のゴミ箱の音の議論はばっさりと削除することになった。
控訴趣意書提出、答弁書作成へ
控訴趣意書を提出した。検事にも連絡をした。連絡をした際に、検事は、こちらも答弁書を作成します、と言ってきた。約1か月半後、検事は、答弁書及び被害男性の新たな供述調書を出してきた。供述調書の内容は、「トイレ1に入る際、実は財布をズボンのポケットに入れていた」というものだった。私は、もう1度新潟に行き、再度、漫画喫茶の店員と店長に会い、事件当日ズボンの中に財布を入れていたという話が出ていなかったことを確認して書面にし、控訴趣意補充書を出した。
期日
控訴趣意書の要旨を、15分間、法廷の中央に立って述べた。裁判官は、うなずきつつ真剣に聞き入ってくれていた。「控訴趣意書、答弁書ともに、大変熱の入った書面でした。私たちも慎重に審理しますので少々お時間をいただきたい。」と最後に裁判官に言われ、結審した。山田さんと私の気持ちが裁判官に伝わったと感じた。
判決
大丈夫だろう、その思いはあった。どう考えても有罪認定は無理だと思った。
裁判官3名が入廷し、判決文を読み上げる。「原判決を破棄する。被告人は無罪。」思わず涙が出
た。私は震えながら、判決を聞いていた。判決内容は、こちらの主張が全面的に認められる形であった。
刑事弁護人として
今回、証拠を丹念に検討し、現場を調査し、多くの方から話を聞くことで、無罪を獲得できた。いかなる事件でも、弁護人は常に依頼者と向き合い、常に依頼者のために全力で動くべきだ。
そのことを学んだ。
私は今後も全ての事件で粘り強く調査をし、主張をして、刑事弁護人として活動をしていこうと思う。この経験は、刑事弁護人として活動していく私にとって大きな財産となった。