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山椿

西澤 宗英 Munehide Nishizawa


筆者近影

「ラインホルド・ニーバーの祈り」

弁護士登録をしてほぼ20年になりますが、その2倍以上の期間を私立大学で過ごしてきました。特に最後の25年間在職した大学では、学科主任、学部長、副学長を経て、最後は学校法人の常務理事まで経験しました。なかでも副学長の4年間は、新しい校地の取得を受けて、新キャンパスの建設、そこで展開すべき新しい全学共通教育プログラムの立案の中心になり、通常の大学教員の生活ではほとんど経験することができない貴重な機会にも恵まれました。

そのような機会にしばしば引用されたのが、「ラインホルド・ニーバーの祈り」でした。日本では、学校法人聖学院の大木英夫理事長が紹介されて有名になったと言われていますので、ご存じの方もいるかもしれませんが、次のようなものです(訳文は訳者によって多少異なります):「神よ、変えることができるものを変える勇気を、変えることができないものを受け入れる冷静さを、そして変えることができるものと変えることができないものを識別する知恵を与えてください。」

ラインホルド・ニーバー(KarlPaul Reinhold Niebuhr[1892〜1971])は、アメリカの神学者で、20世紀を通して、大統領経験者を含む多くの政治家にも影響を及ぼしたと言われる人です。

これはキリスト教の「祈り」の形式になっていますが、キリスト教信者に限らず、またなんらかの特定の場面・状況に限定されるものでもなく、さまざまな所で広く当てはまる普遍的な内容と言えます。

私が初めてこの「祈り」に接したときにもっとも強く心に響いたのは、「変えることができるものと変えることができないものを識別する知恵」ということばでした。

私立大学には全て、創立者が理想とした「建学の理念」、それを具現化する「教育方針」などがあります。これは、近頃流行りの「◯◯・ポリシー」などというものと違って、それぞれの大学では一貫して動かすことのできない、まさに「変えることができない」ものの典型です。しかし、一方でそうした大切なものを維持しながら、他方では自らあるいは社会のさまざまな変化や時代の要請を受けて、変えていかなければならないものもたくさんあります。

そうしたときに、「変えることができる(変えなければならない)」、反対に「変えることができない(変えてはならない)」という方針それ自体は、管理職であればすぐに立てられるかもしれませんし、立てなければならないかもしれません。しかし、いずれの場合でも、それを表明する前に、一旦止まって「知恵」を働かせ、そもそも「変えることができるものなのか、変えることができないものなのかを識別する」ことが重要であるということに改めて気づかされたのです。

私立大学の運営に限らず、われわれの周りには、法律改正に代表されるように「ルールを変えるべきか否か」という問題がつねに存在します。表面的な実績づくりだけのために変えるのでもなく、理由もなしに頑なに変えないのでもない、どんな場合でもまず「知恵」を働かせて識別した後に、変える「勇気」や受け入れる「冷静さ」を発揮したいと思います。