弁護士の魅力を語る~第3弾~
テレビの仕事ができるのがうれしかった
犬塚 浩 Hiroshi Inuzuka (45期) 当会会員
2010年1月~2012年3月 東京三弁護士会民暴委員会連絡協議会議長
2012年4月~2013年3月 第二東京弁護士会副会長
編集部ご経歴を教えてください。
犬 塚生まれは岡山県の倉敷市という牧歌的なところで、高校まで地元の県立高校に行き、その後は、東京への憧れがあって、東京の大学を受験しました。
高校の成績は本当に良くありませんでした。大学入試も、EとかD判定だったのに大逆転で合格できました。試験当日は雪で開始時間が遅れ、僕は近くのホテルに宿泊していたのですぐ会場に行けましたが、電車の中でずっと待たされていた人は力が発揮できなかったのかもしれません。
編集部弁護士になろうと思ったのはどうしてですか。
犬 塚大学3年生になって就職を考えたときに、父親がゼネコンの技術者で、僕が小さな頃から転勤があったので、まず転勤がない仕事が良いと思いました。また、自分はあまり組織に向いていないので、1人でできる仕事が良いなと。でも起業するまでの力もなかったので何か資格をと。そして、やたらと高い目標を目指したくて、無鉄砲にも程がありますが、司法試験を受けることにしました。
当たり前ですが甘くなくて、何度か落ちて、最後は根性で合格しました。今でも司法試験に落ちる夢を見ます(笑)。
編集部若手時代はどんなことを意識して過ごしましたか。
犬 塚頭が良い人が多いこの業界で、みんながやっているテーマに飛び付いても、自分は生き残れないと思い、自分なりにやれることをやってきました。
また、3つ心掛けたことがあります。①迅速な対応、②分かりやすい対応、③先回りした対応です。僕から見ると、頭が良い人は、聞いている人が分からない顔をしていても平気で話し続けてしまう人が多いように思います。高校のとき、僕は先生が言っていることが分かっていないのに、そのまま話し続けている先生の話を聞くのが苦痛でしたので、自分は、分かりやすく説明するということを常に心掛けました。
これが後でお話しするテレビの世界で長く使ってもらえる1つの理由なのかなと。テレビの人って、法律とは縁遠いし、ちょっと浮世離れしたところもあるので、少し目線を合わせてあげないといけません。そこがうまくマッチしたのかなと思います。
編集部テレビに出演するようになったのはどういった経緯でしたか。
犬 塚弁護士登録後、2、3年目に連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤の第1審判決がありました。
まだテレビに弁護士が出ておらず、テレビに出ることは下品だと思われていた頃でしたが、この事件がきっかけで、ある先輩弁護士から、フジテレビの『おはよう! ナイスデイ』への出演の機会をいただきました。
出演は、半年ぐらいで終わりましたが、その7、8年後に、みのもんたさんの『ザ・ジャッジ! 〜得する法律ファイル』という番組で、番組には出演しないけれども、こんなシチュエーションで慰謝料はいくらになる、刑期はどれぐらいになるというネタ作りと回答の収録フィルムを作る仕事に参加することになりました。
僕は、テレビが一家団らんの中心にあって、食卓でテレビを囲うような世代だったので、テレビの仕事ができるのは、裏方であってもうれしくて、慰謝料額を問われれば、判例集や『判例タイムズ』、『判例時報』といった法律雑誌をひたすら調べました。当時はまだインターネットの検索システムなんてないので全て紙ベースです。そうして答えていたら、元締めの弁護士の先生が、「犬塚はよくやってくれている」と、番組終了後も、バラエティー部門の相談弁護士を担当させてもらえることになりました。
裏方の相談に乗りながら、バラエティーの人たちが、本当に血眼になって、汗まみれ、泥まみれになってまでも、笑いを追求している姿を目の当たりにし、この人たちの力に少しでもなれたらと感じました。
編集部現在出演中の『ワイドナショー』の話があったのはその後ですか。
犬 塚当会の副会長の任期明けの平成25年にお話がありました。出演は、バーテンかお客さんの格好と言われ、「客だろうな」と思っていたら、3日後に「(バーテンの服を作るので)サイズを教えてください」と言われてびっくりしました。
テレビ番組は、通常、いきなりゴールデンで放送せず、深夜で1回慣らします。最初は、月曜の深夜の放送で「誰も見ないし、いいや」と思って引き受けました。まさかそれが日曜の朝の放送になるなんて思っていませんでした。正直、今でもバーテンの格好をしていることについては、ご批判があります。
収録後は、VTR と収録内容のチェックをします。フリートーキングは常に表現の自由の限界、差別的な表現との背中合わせですが、出演者の方も命を懸けてトークしている部分があります。際どい表現があった場合にカットするのかしないのか、もしクレームが来たときにどう答えるのかということは考える必要があります。ただ、皆さんプロなので、ぎりぎりのところをわきまえていますから、チェックで一番心配しているのは、実は僕の表現だったりします。
『ワイドナショー』の収録後、メインスクリーンの前で
編集部番組を見ていると、先生はいつも簡潔で的確な表現をされていますよね。
犬 塚テレビは、常に尺という感覚があります。
我々弁護士って、弁護士同士で会話をするときでも、いつも話が長くなりがちですよね。法律の話は、基本、一般の方には面白くないので、弁護士がテレビで長々しゃべるとチャンネルを変えられてしまいます。僕がしゃべって視聴率が稼げるわけではなく、松本人志さん、東野幸治さん、ゲストの人が大事なので、その人たちのトークをいかに盛り上げられるかに気を付けています。
編集部テレビに出て有名になると、すごい仕事が来ると思っている人もいるかもしれませんが、いかがですか。
犬 塚ほとんどないですね(笑)。ただ、人にお会いしたときに、何人か「見ています!」と言ってくれて、話に入りやすいという面はあります。
編集部テレビで答えにくい質問をされたり、コメントを求められたりするときは、困りませんか。
犬 塚妙なお茶の濁し方は覚えましたね。「どうなんですかね、それはさておき...」みたいな感じで(笑)。
よく法定刑を聞かれるんですが、全部は覚えてないじゃないですか(笑)。その場合も「最高は懲役刑になるんですけど、実は...」とか、話題を変えていく方法みたいなものは身に付けましたよね。
編集部最近のテレビ業界のコンプライアンスにも変化はありますか。
犬 塚最近は、株主総会でも、「男性の方」「女性の方」と言うのはだめだと言われてきていますが、表現がどこまで許容されるのかは、テレビ業界でも大きく変化してきていると思います。特にお笑いは、性別や容姿や体型のことも突っ込んで笑いにするところがあるので難しいです。
命懸けで仕事している出演者の表現行為なので、安易にダメ出しもできませんし、現場は悩み続けるしかないんだろうと思います。
編集部弁護士としてテレビ業界に関わる仕事をするためには、どうしたら良いでしょうか。
犬 塚そこは、実は難しいですよね。テレビに出たくても、何かオーディションがあるわけでもないですし、やはりある種のコネクションが重要だと思います。プロダクションに入っている弁護士もいます。テレビの現場はこれからもっとリーガルレベルを上げていかなければいけないところがあるので、裏方的な仕事も、まだまだ必要とされていると思います。
それから、数少ないチャンスで、コメントを求められたときに、やっぱりなかなか上手な人は、あまりいない印象もあります。先程述べたように、尺の感覚を持っていないとか、もっと目線を合わせないとだめとか、そこはやはり意識して、チャンスを活かしていただく必要はあるかと思います。
編集部ワーク・ライフ・バランスはどうですか。
犬 塚ストレスのたまる仕事ではあるので、趣味を1つでも持つことは大事かと思います。でも僕は正直失敗しました。「弁護士として、稼ぎもあって、ちゃんと評価されていることで、家族も養え、楽しいこともできる」という考え方なので、今でも土日も必要になったらやっぱり仕事場に行ってしまっています。
ただ、若い人に言いたいのは、この仕事には、ステップアップして、昔はこんな依頼者の方と仕事ができるとは思えなかった人とできるようになると、だんだん仕事をやり過ぎてしまうという、魔力みたいなものがあるんです。だから是非ワーク・ライフ・バランスを意識してもらって、多少お金と時間を掛けてでも、何か趣味を見つけてもらえると良いと思います。
編集部若手に向けて、これからの時代を生き抜いていくために求められる力は何だと思いますか。
犬 塚僕が弁護士になった27年前に今の自分を予測できたかというと、絶対予測できませんでした。これから法曹界はどうなるかという質問は、これから日本はどうなるかという問題と同じで、そんなことは誰も分かりません。では、どうしていくのが良いかというと、やっぱり自分が良いと思っているものを少しずつ温めていくことが大事だと思います。それが受け入れられるかどうかは、世の中が決めることなので、それを長く続けていくということが必要だと思います。
僕も、弁護士になりたての頃は、与えられた仕事8割、将来の勉強2割という時間配分でした。
自分の感性に合った、あまり格好つけないで自分に合ったテーマを見つけて勉強をしていました。
お金にならないし、人助けみたいなものかもしれませんが、自分のバックボーンに沿ったものを温めて長く続けると良いかなとは思います。
編集部先生は、テレビ関係のほか、様々な業務分野でも活躍されていますが、専門性をどのように開拓されたのですか。
犬 塚チャンスは、隅っこの方に転がっていると思います。僕は、建築や民事介入暴力いわゆる民暴の事件を多くやってきましたが、当時民暴なんて扱っている弁護士はそんなにいませんでしたし、建築も、ほかに受けられる弁護士がいなくて、知り合いの弁護士から事件の紹介がくるという感じの分野でした。父も兄もゼネコン勤めだったこともあり、僕には、建築の分野も親近感があって面白く感じていました。施工側だと、ちゃんと担当者がいて教えてもらえてしまうので、むしろ消費者側に立つと自分で勉強するようになります。
建物と設計図をよく見て、問題点を取り上げて、とやっているうちに少しずつ知識を身に付けていきました。
編集部いろいろな分野を広く扱うよりも、どれかに絞って取り組んでいった方が良いでしょうか。
犬 塚結局仕事は、人脈と分野が重要です。人脈は、対象をどんどん広げられますが、分野は、広く浅くが通用しません。判例も、法改正も、どんどん新しいものが出てきます。建築分野でも、全然分からない人がいきなり入ってもなかなか難しい分野ですので、分野が分かれていくことは仕方のない部分があると思います。
ただ、何だかんだで、専門としていた分野の周辺の仕事も結構やっています。僕は建築系の業務をしていたら、いつの間にか賃貸住宅の話が一緒のところから来て、その次に今度はマンション管理の話がやって来て、建て替えの話がやって来てと、狭い範囲の専門になるのではなくて、少しずつ、周辺の分野のことも一緒にやっていくようになりました。専門の範囲の狭さを心配する必要はないように思います。
編集部若いうちにどんなことをしたら良いと思いますか。
犬 塚先程述べた趣味を持つということも大事ですし、この業界では、礼儀作法を誰も教えてくれませんから、そこは意識した方が良いと思います。礼儀作法ができていなくて損している人は何人もいます。
エンタメの世界は、結構、挨拶が大事で、テレビに出演するときは、僕も、楽屋挨拶をしています。あんまり皆さんの大切な時間を邪魔してもいけないですし、タイミングにも気を使います。挨拶は、こんな大先生が自分のことを知っているわけがないと思ってしまったり、遠慮してしまったりもするので、難しいところですが、やはり迷ったらしておいた方が良いと思います。飲み会のお礼も、ついつい忘れがちになりますが、大事だと思います。
それから、ほかの弁護士に仕事をお願いする立場になって思うのは、あるテーマに対して5やる人と7やる人と10やる人がいます。これは、不思議なことに、違うテーマを頼んでも同じく5と7と10になります。では5やる人は10やる人よりも暇かというとそうでもない。5の人はあっぷあっぷしている感じです。お願いする側からすると当然10やる人の方が良いですよね。
ただそこは、価値観や考え方、ワーク・ライフ・バランスの捉え方にもよるので、どちらが正しいということではないですが、登録後、最初の3年から5年くらいは、自分の中で何を重視するのかを意識して、イメージするところに近づけるように取り組んでいくと良いのかなと思います。
編集部最近では、『ドラゴン桜』などドラマでも弁護士が主役になっていますが、今後弁護士業界はどのようになっていくと思いますか。
犬 塚僕が合格した年の合格者は500人でした。僕らは、ある意味、人数が少ないことで良い思いをしたと思います。逆に今、人数が増えて、僕らの世代を江戸時代とすると、明治維新が起きたと思って見ています。ちょっと混沌としていますが、ここからすごい人がどんどん出てくるし、若い人、いろいろなアイデアを持っている人には、すごくチャンスのある時代だと思います。テレビで活躍している弁護士も昔と比べるとすごく増えました。行政で市長をやっている人もいますし、いろいろな分野で活躍している弁護士がたくさんいます。僕は、よく分からないのであまりやっていませんが、最近だとネットで検索をするとヒットする弁護士の名前や法律の解説も多いですよね。その人のキャラクターにもよると思いますが、広くネットで発信するというのも、1つの手でありチャンスなのだろうと思います。
編集部最後に、弁護士の魅力を教えてください。
犬 塚やっぱり弁護士をやっていなければ会えなかった人に何人も会えたことです。僕みたいな人間が、いろいろな人にお会いできて、話もできたというのは、弁護士の仕事の1つの魅力だと思いますね。
関西の方やお笑いの方からすると、松本人志さんは、神様みたいな人ですからね。そんな方とお話しできるので、うらやましがられて、時には妬まれているのではないか、と思ってしまいます(笑)。
もう1つは、「ありがとう」と仕事で言われることですね。やっぱり喜ばれることが一番の仕事の糧です。事務所を経営していく上で、お金も大切ですが、仕事をして「ありがとう」と言われるのは、お医者さんや僕ら弁護士など数少ない仕事であり、大きな魅力だと思います。
僕のような者でも、自分の居場所を見つけて、それなりに楽しんでやっていける。もちろん常に僕らの仕事は危機があるから、どこで足元をすくわれるか分からないという怖さはありますが、若い人も、どこでどういうチャンスがあるか分かりませんので、是非いろいろと挑戦して欲しいと思います。
弁護士の魅力は「自由」です
金塚 彩乃 Ayano Kanezuka (57期) 当会会員
2007年 パリ弁護士会登録
2020年度 当会国際委員会委員長
編集部中学からフランスに行っていたとのことですが、ご両親の仕事の関係だったのでしょうか。
金 塚フランスに行ったのは、もともと私がフランスが好きだったということがありました。小さい頃に買ってもらったマンガの『ベルサイユのばら』を読んだのがきっかけでした。すっかりはまって、そこから徹底的にフランスのことを調べ始め、小4のときには市民図書館のフランス革命とナポレオンの本は全部読んだんじゃないかというくらい読みました。寝ても覚めても頭の中はフランスのことばかりで、どうしてもフランスに行きたいと言い始め、両親もそれならということでフランスに行ったのです。父はフランス哲学をやっていましたし、母は、親友がパリにいたこともあり、じゃあ、家族で行こうみたいな感じで。私が14歳のときでした。
編集部フランス語はできたのですか。
金 塚全然できなかったです。通信教育で少し習った程度でしたので、パリで必死になって覚えました。中学、高校を卒業して、その後はパリの大学で生物学を勉強するつもりでしたが、弁護士になりたいという気持ちもあり、悩んでいました。
編集部何で弁護士になりたいと思ったのですか。
金 塚好きでフランスに行っているわけだし、フランスで差別を感じるようなこともなかったのですが、残念ながら日本にはフランスより困難な状況にある外国人の方も多くいるのではないかと思い、自分の国で人の力になれる仕事がしたいと、弁護士の道を考えるようになりました。いきなりだったので、親はびっくりしていましたね。
編集部フランスで弁護士という方法もあったのでは?
金 塚弁護士になるんだったらやっぱり母国でと思いましたし、日本にいる外国人の手助けができたらと思いました。
編集部いきなり日本で弁護士になるといっても、そんな簡単なことではないですよね。
金 塚帰国子女枠で東京大学の法学部に入って、司法試験の勉強をしました。といっても、大学で入ったオペラのサークルがめちゃくちゃ楽しくて、4年生の最後まで勉強しなかったんですけど(笑)。フランスの高校時代でとにかく書かされた論文の勉強が役に立って、論文試験は、やりやすかったです。
編集部弁護士になってからは、どういうことをされましたか。
パリ弁護士会登録のための宣誓式
金 塚まずは裁判ができるようになりたいと思ったので、一般民事の事務所に入りました。2年間そこでいろいろな事件をやらせてもらいました。
素晴らしいボスの下で多くのことを学べました。
今の私があるのは、この時のボスと事務所のおかげだと思っています。そして、再度フランスに留学しました。パリ第2大学の法学部修士課程に入り、フランスの法曹資格を取り、少しの期間ですがパリでも弁護士として働いて、帰国しました。
以降は、ずっとフランスに関係することをやっています。
編集部思い入れのあるフランスの仕事を始めたのですね。
金 塚やはり近代法の母国であるフランスでの法律の勉強は素晴らしく面白かったですし、日仏の架け橋としての仕事がしたいという思いがとても強くなりました。また、帰国した当初は、フランス法務はもう飽和状態だろうと思っていたのですが、蓋を開けたら誰もやっていなかった。フランスの法曹資格を取っていても、当初は不安でしたが、ありがたいことにフランス関連でずっとやってきています。
編集部人生の転機はどこにありましたか。
金 塚やっぱり弁護士になってから再度フランスへ行って法曹資格を取ったことです。それなりに勇気の必要な決断でしたが、そのおかげで仕事内容も多岐にわたっています。フランス人の刑事事件から各種契約、訴訟案件を扱ったり、フランスの会社法、労働法の相談など様々な案件を広く依頼いただいています。ロースクールではフランス憲法も教えていますが、フランスに関連した講演会やメディアにも日仏でお声掛けいただいています。
編集部大国フランスですら誰もいない状況だとすると、アメリカ以外はほとんど誰も競争相手のいないブルーオーシャンなのでしょうか。
金 塚そうじゃないかと思います。だから、私は授業で学生たちにこう言っています。「アメリカもいいけど、どこかほかに好きな国を見つけて、そこの専門性を高めてもきっと面白いですよ」と。
編集部思い出に残っている事件はありますか。
金 塚現在進行形の事件なのですが...。自分自身ずっと考えてきている「自由」というテーマ、そして比較法的観点も含めて、新型インフル特措法の違憲性を主張するグローバルダイニングの事件は、多くの意味において意義の大きい事件だと思って取り組んでいます。正面から自由を考える意義深い事件に関われていると思っています。
これまで、フランスと日本の緊急事態宣言について調査し、いろいろなところで発表してきました。例えば、日本でいう行政訴訟で、緊急事態宣言に伴う制限について、フランスだと1年間に800件ぐらいの裁判があったのです。緊急事態宣言下において自由の制約の限界はどこかを問う裁判です。ところが、日本では、グローバルダイニング訴訟が実質1件目だと思われます。この裁判でも営業の自由、表現の自由、平等原則について正面から論じています。行政の権限が強くなる中で、司法の役割も更に重要になると思いますが、裁判長もとても積極的に審理してくれています。
編集部なぜそのように数が違うのでしょう。
金 塚それは、行政事件訴訟法の使いにくさです。日本では、声はあるのにそれを表現する法的な場がないのです。
フランスでは、訴訟法上も権利救済の道が広く開かれていて、行政による人権侵害があれば、裁判所は48時間で必要な命令を出せるようになっています。しかし日本では行政訴訟のハードルがとても高いのです。また、フランスではあらゆることが法律で定められ、法の支配が徹底しているところも、行政の「要請」や空気で権利や自由が事実上制約される日本と大きく異なるところです。その意味で、社会の中での法律家の出番ももっと多いです。
編集部フランスは、自由を革命で勝ち取った国なので、自由に対する国民の意識が違うのでしょうか。
金 塚全然違います。日本では、自由は、わがままだと言われたり、責任が伴うというところで先に萎縮させられたりしていますけど、フランスでは、そもそも人はまず絶対的に自由であること、自由は人間存在に本質的だという議論を徹底的に行います。コロナ禍でも、社会における自由の定義を行う1789年人権宣言4条等が援用されます。
日本でも「権利」という言葉とともにもっと「自由」についての議論が私たち法曹の間も含め必要だと思います。今回のグローバルダイニングの裁判費用は、クラウドファンディングで賄っているのですが、飲食業ではない学生さん、主婦の方、お医者さんからも、「応援しています」とか、「民主主義を取り戻してください」などたくさんの声をいただいています。現時点で、3500人ぐらいのサポーターに付いていただき、金額でいうと5000万円以上集まりました。今まで権利意識が薄いと言われていた日本人像を覆すものだと感じています。その声を法的に表現することのできる制度が必要だと思います。
編集部コロナ関連のマスコミの報じ方も、お店の営業の自由というところが極めて軽んじられているのは違和感がありますよね。
金 塚ありますね。移動や往来の自由も、位置付けが低いです。
編集部ほかに思い出に残る事件はありますか。
金 塚公になっている案件では、サッカー日本代表監督だったヴァイッド・ハリルホジッチ氏の裁判や、弁護人ではありませんでしたがカルロス・ゴーン氏の事件があります。案件の内容の特殊性に加え、日仏の法制度の違いや法に対する考え方などだけでなく、文化的な部分まで掘り下げることが不可欠でした。ゴーン氏についてはここまで日本の法制度が海外から注目されたことはなかったと思います。フランスメディアから日本の刑事法に関する関心も当然高く、取材に答える中で考えさせられることが非常に多かったです。
編集部弁護士になって良かったと思うことは何ですか?
金 塚まず、いろいろな人に会えるということです。自分の知らない世界にたくさん触れて、いろいろな角度から社会を考えられるようになるところはすごく良かったと思っています。また、やはり人の役に立てるということは大きな喜びです。
編集部弁護士の魅力というのは。
金 塚自由です。人の自由や権利を守ることが仕事ですし、そのためには法律を武器に自由に発想して戦えるという自由です。現実は甘くはありませんが。そして、仕事として、そのために正面から正義などの普遍的理念を主張できることが魅力です。もう1つ挙げると、弁護士は司法の要であり、民主主義を支える存在だと思っています。
編集部これからやってみたいと思っていることがあったら教えてください。
金 塚やっぱりフランスが大好きなので、フランス法についてもっともっと専門性を高めたいと思っています。日仏との比較から日本社会について考えることをテーマに本も書いてみたいなと思っています。
編集部ワーク・ライフ・バランスはどう図っていますか。
金 塚できるだけ好きなことをしようと思っています。ピアノや読書のほか、週末には必ず、乗馬をしています。それが今は一番の楽しみですね。
編集部どのように楽しんでいるのですか?
金 塚馬場でいろいろな乗り方や馬の扱い方を教わります。海外では馬で森の中や海岸に出かけたりしています。
編集部なかなか高尚なご趣味ですね。
金 塚最近学生にキャリアの話をすることが多いのですけど、学校側からも言われるのが、学生に仕事以外の話もしてくださいと。昔に比べてどんどん余裕がなくなっていると言いますか、私のところにも、「司法試験のために人生の楽しみは捨てた方が良いですか」という事前質問があるくらいです。
編集部趣味がない人もいるらしいですね。
金 塚それは本当にもったいないし、自分が好きなことは是非持ってほしい。それにやっぱり、この仕事って何だかんだで、つらいことも多いじゃないですか。だから、自分自身がワーク・ライフ・バランスをしっかりとれていないと、人の話を聞き、向き合うことも難しいと思っています。
編集部これからの時代を生きていくために求められる力というのはどんなものですか。
金 塚難しいですが、専門性に加えやっぱり好奇心と柔軟性でしょうか。何か譲れない好きなものを是非見つけてもらうというのがこの時代を生きていくために必要なことだと思います。
編集部でもいきなりフランスへ行く勇気はないです。
金 塚私はたまたまフランスでしたが、今は昔以上にチャンスが広がっていると思います。動くと自分が思っていた以上に多くの扉が開かれると思います。二弁や日弁連の留学制度もできましたので、昔より行きやすいと思いますし、国際公務員などの道も開かれています。
編集部法曹界はまだまだ男性社会だという意見もありますが、女性会員に対してメッセージはありますか。
金 塚男性だから、女性だから向いているという事件はないと思いますが、まだ男性社会の中で女性弁護士が苦労することは残念ながら多いと思います。正直なところ、私も女性弁護士として、同じ弁護士や依頼者からのセクハラなど嫌な思いをしたこともありました。専門性を持つこととかけがえのない共同経営者と出会い、今の事務所を立ち上げたこと、事務所以外でも多くの信頼できる仲間と会うことで乗り越えられたと思います。
女性弁護士には自分に自信を持って、自分に誇りを持ってキャリアを積んでもらいたいと思いますし、法曹界自体が男性社会であることを意識して、女性だけの戦いではなく、自覚的に変革していってもらいたいと思います。
法律事務所での経験とインハウスとしての役割
桑形 直邦 Naokuni Kuwagata (57期) 当会会員
2004年 あさひ・狛法律事務所(現・西村あさひ法律事務所)入所
2014年 インドの会計コンサルタント会社に出向
2019年~2021年 パナソニック株式会社コンプライアンス部
現在 ノバルティスファーマ株式会社 オンコロジー事業 法務部
編集部弁護士になろうと思ったのはいつですか。
桑 形弁護士という仕事を認識したのは、小学5、6年生の頃で、はっきり目指そうと思い始めたのは中学生の頃です。親族に弁護士がいましたし、テレビドラマの題材にもなり始めた時期で、社会的意義も高そうな職業なので、やってみようかなと思いました。
編集部学生時代何か部活はしていましたか。
桑 形中学の授業でやってみたのをきっかけに、大学まで柔道をやっていました(現在は実業団登録)。結局出られませんでしたが、高校では個人戦で全国大会に出ることを目標に頑張りました。
やりきった感じがあったので、柔道は高校までにして、大学では司法試験に向けて頑張ろうと思っていましたが、東京大学が思ったより柔道を頑張っていたので認識を改めまた柔道部に入りました。
結局、選手として大学4年の10月までやり、団体戦の全国大会に向けた翌年の入替戦の権利を後輩に託すところまで行けました。みんなそれまで引退しないので、留年をしていた部員はそれなりにいました。私も引退後に本格的に司法試験の勉強を始めて、翌年5月から試験に臨みました。
編集部その後合格してあさひ・狛法律事務所(現・西村あさひ法律事務所)に入所したとのことですが、若手時代は主にどんな仕事をしていましたか?
桑 形当時、事務所では指導担当制を採用していて、私には、プロジェクト・ファイナンスのPFI※1、M&Aを含むコーポレート、訴訟を扱う3人の先生方が指導担当に付いてくれたので、基本的にこの3領域の仕事をしました。M&A が活発な時期だったので、これに割く時間の割合が大きかったです。
また、所内の3エリアを順に回って席を移動することになっており、各エリアの先生方との仕事も入るので、そのほかにも色々な領域の仕事を経験させてもらいました。
編集部ヘルスケア分野にも専門的に取り組まれているそうですが、きっかけを教えてください。
桑 形私の登録1年目の頃に、病院の経営が今後危なくなるのではないかという問題意識が持たれ始めていました。重要な社会的インフラである病院が潰れては大変なことになりますので、事務所としても、病院再生をサポートするチームを整えよう、そのためにまずは書籍を執筆しつつ勉強をしようというプロジェクトが立ち上がりました。それに手を挙げて、リサーチから原稿の締切りチェックまで、所内の編集部のように関わったのが私のヘルスケア分野のスタートでしたね。
その後も、病院の再生・破産管財業務、製薬会社・医療機器会社のM&A、医薬品に関連した大規模訴訟等を扱い、専門性を高めることに努めました。
編集部その後、アメリカへの留学、アメリカ法律事務所での研修、投資銀行への出向を経て、登録10年目でインドにある会計コンサル会社に出向したそうですが、どういった経緯でしたか。
桑 形事務所全体としてアジアプラクティスを展開していた真っ只中で、インドに出向中のアソシエイトがそろそろ帰国することになったけれど、もう少しインドに弁護士を置きたい、誰か良いタイミングの弁護士はいないかとなったときに、丁度私が留学と出向から帰ってきて、案件も何も抱えていない状態でしたので声が掛かったという経緯です。あと、「桑形だったらおなかも壊さないだろう」と思われたみたいです(笑)。
私としても、こんなことでもなければインドに行く機会もないし、新しいことをやってみたいと思い引き受けました。
編集部インドではどんな生活をしていたのですか。
桑 形前半は首都のデリー、後半は新興のオフィス街グルガオンに滞在していましたが、インドにはほかにもムンバイ、チェンナイ、バンガロールという主要都市があり、そこにも日系企業が進出していたので、月1回は、各都市に出張して1週間程滞在するという生活をしていました。やっぱりカレーは毎日食べました(笑)。
日系企業は、都市部から1、2時間のところに工場を置いているので、出張先では、運転手付きレンタカーを手配して、工場に行って、お話を聞いたり相談に応じたりを、1日上手くいけば3、4箇所回りました。運転手が約束の時間に来ないことや道を間違えることも多くて大変でした。
編集部具体的にはどういった仕事をしていたのですか。
桑 形当時、インドの会社法が抜本的に見直されたときで、幸い法律は英語なので翻訳の問題はありませんでしたが、条文はこう書いてあるけれどどう読み取るかとか、ここまでは分かるけどここから先はどう解釈するのかといった検討が多かったです。独特の言い回しがあったり、政省令に委任すると書いてあるのに委任先がなかったりと、必ずしも精緻ではないこともあり難解でした。
編集部コンメンタールのように法律の注釈や逐条解説はなかったのですか。
桑 形なかったです。インドの弁護士も、国会や政府の通達のほか、立法担当者の解説のように依拠するものがないわけです。最終的には「我思う」みたいな、そういう世界ですね(笑)。
解釈のためには、単なる法的知識だけでなく、文字には書かれていない社会や文化、実務について実体験として理解を深める必要もありました。インド人弁護士やアドバイザーと信頼関係を築きながら、他方で、依頼者のニーズも理解して業務を行わなければならないので大変でした。
編集部印象に残っている仕事はありますか。
桑 形沢山あるのですが、インドビジネスのインド人パートナーとの最後の詰めの交渉で「進退をかけて臨む」と覚悟を決める役員に随行して中東に赴き契約書の署名を取り付けたことがありました。法務面では整理がついて、あとはビジネス面の条件が残り相手がのらりくらりしていた場面で、あまり弁護士らしくないですが、代理人として最後は「今日サインをもらうまで我々は帰るつもりはない」と言って一緒に説得をしました。
依頼者の至急の要望に応えて、日本から0泊3日で出張し現地交渉に加わったこともありました。
編集部インドに行って良かったことは何ですか。
桑 形インドの社会は複雑で混沌としているのですが、その中でプロフェッショナリティを発揮する彼らの発想に目が覚めるような経験を沢山しました。
日々の生活を含めインドでは大変なことがあり過ぎましたが、大変なことに備えることはもちろん、彼らに倣って大変なことをありのままに受け入れるおおらかさを身に付けることができたと思っています。
ヨガの聖地リシュケシュでのガンジス川上流での沐浴
(ヒマラヤからの雪解け水が濁っているのは雨季のため)
編集部現地で柔道を教えたそうですね。
桑 形はい、日本の警備会社から派遣され大使館勤務のかたわらボランティアで日本人学校の子供向けの柔道教室で指導されていた方が私の赴任と相前後して帰任になり、私が指導を引き継ぐことになりました。ただ、そもそも畳がないので、体育館に体操のマットを敷き詰めて教えていました。
編集部デリーに赴任するときに柔道着も持っていったのですか。
桑 形もちろん。それは必須アイテムです。
デリー日本人学校で指導員を行った柔道教室の子供たちと
編集部その後、日本に戻って、西村あさひでの勤務後、インハウスに転職されたのはどうしてですか。
桑 形まず、弁護士の外部アドバイザーという立場に限界を感じるところがありました。依頼者の近くで仕事をしているつもりでも、法務の観点からのアドバイスは、色々な事情があって実現できないことも多い。そこに非常にもどかしい思いがあり、会社の中に入ればもっと影響力を発揮できるのではと考えました。
また、インハウスの人数も急増し、事務所にも出向要請が沢山来ていたので、企業側でもニーズは高まっていると感じていました。もし自分のような中堅の弁護士が必要とされるところがあれば行ってみたいと、漠然と考えていました。
その中で、パナソニックが、初めて法務部門の最高責任者であるジェネラルカウンセルという役職を本社に設けたというニュースを目にしていました。さらにグローバルコンプライアンス機能を強化すべく、中堅の弁護士を探しているという話が入ってきました。
これはせっかくの機会とタイミングなので、新しいチャレンジとして、パナソニックへの転職を決めました。
編集部長く勤めた事務所を出ることに葛藤はありませんでしたか?
桑 形事務所での仕事にもとてもやりがいを持っていたので、もちろん葛藤はありましたが、インドから帰国して5年ほどが経っており、キャリアにアクセントを付けるには、このタイミングだと思いました。
編集部今度はヘルスケアの専門性を活かして、別の会社に転職されるそうですが、しばらくはインハウスとしての道を考えていますか。
桑 形ゆくゆくは法律事務所勤務を含めたアドバイザリー業務に戻る可能性もありますが、しばらくはまだそうですね。今は外部での経験を企業の中ですごく活かせていると思います。逆に今インハウスでやっていることは、将来の法律事務所業務に活かせるかもしれません。インハウスの立場で貢献するために、今は大事な時期だと思っています。
編集部インハウスでも刑事事件に関わることはありますか。
桑 形まず、個人で受任することについては、情報の扱いの問題もありますし、どういった条件で採用をされているかにもよると思いますが、難しい現実が残念ながらあるように思います。
でも、例えばコンプライアンス業務ってある意味で不祥事対応の側面がありますので、刑事告訴を検討することもあるでしょうし、社員が捕まることもあるかもしれないので、刑事手続の実務経験もある程度必要になると思います。
私も、留学前には刑事事件を結構やっていた時期がありますが、その経験はインハウス業務の中でも活きていると思います。
編集部皆さんにもインハウスという職業を勧めたいですか。
桑 形どのタイミングで何を求めるか次第ですが、弁護士のあり方の一つとして勧めたいですね。
日本では今までインハウスが少なかったという状況はあり、世界的には弁護士の仕事の重要な規模を有していますし、もちろん課題はありつつも日本は過渡期に入っているところだと思います。
組織がどういう事業を行って、どう意思決定していくかを、当事者意識を持って関わるということは、法曹の重要な役割だと思いますが、外にいると外部アドバイザーとして最後は依頼者に決めてもらわないといけない。他方、会社の中にいると最後の最後まで納得感を持ってちゃんと決めなければなりません。当事者としてそこに食い込めるというところは、インハウスだからこその大きなやりがいだと思います。
編集部今後やってみたいと思っていることを教えてください。
桑 形コロナ禍で活動の制約も大きいので具体的なことをまとめにくいですが、振り返ってみると、これまで新しい環境に身を置いて、新しい分野に取り組む経験を色々と重ねさせてもらったと思っています。
弁護士業界も企業も、国際化は古くて新しい課題だと思いますし、世の中でも米中貿易摩擦、人権、ESG※2、脱炭素/再生可能性エネルギー等、国際的に変化の大きな時期です。この流れは、ある意味、なぜ弁護士になったのかと自分自身に向き合うには良い機会ではないかと思います。
法律事務所から外に出ている今は、所属する組織の視点から現実に起こっている課題に向き合うことに全力を尽くしたいですね。
編集部弁護士になって良かったことは何ですか。
桑 形所属する組織や国が異なっても、職業としてのアイデンティティがあり、ある程度の共通の価値観や共通言語で会話し、仕事ができることだと思います。
もちろん、個々人の信条や実現する依頼者の利益等はそれぞれ異なりますが、弁護士には、これをリーガルマインドと言うべきなのかやはり共通の仕事の軸になるようなものがあると思います。
インドに行っても、インハウスの立場でも、この点は変わらないと思いました。どこに行っても、どんな形でも、自分の選択の幅を無限に広げられるのは、こうした軸をしっかり持っている弁護士という仕事だからこそだと思います。
編集部弁護士の魅力とは何だと思いますか。
桑 形社会のあらゆるニーズに取り組むことができる可能性があり、これにより色々な角度から社会に関わりを持つことができることだと思います。
法律事務所の業務として企業や個人が直面する課題を解決するために新しい法務領域を開拓することもできます。他方、インハウスとして組織の実態に即した法務課題を見つけて、解決に向けた適切な意思決定を実現することもできます。法律家の素養をベースに法務以外の領域で活動する機会も増えています。
でも、一方で弁護士が常に最前線にいるわけではないということや、法務的な判断で解決できないことの方が多いということも現実だと思います。弁護士がもっと積極的に前に出て行くことへの要請と、黒子に徹して、法律家ではない方々と連携していく必要性とのバランスを心掛けていないといけないと思います。
編集部若手のうちに必要な力は何だと思いますか。
桑 形変化への対応力だと思います。ある程度実務の確立した業務もありますが、弁護士は、社会で起こっていることを取り扱う仕事ですので、新しい分野やニーズも出てきます。この新しいことへの対応に関しては、若い人にこそ第一人者になったり、専門性を深めたりするチャンスがあると思います。新しいものを面白いと思える感覚があれば、きっと仕事は具体化していくと思います。
また、その前提として自身のモチベーションに素直に向き合い、それを信じることが大切だと思います。興味のあることは大変でもやるのが良いし、大変なだけで面白くもないと思えば環境を変える選択も必要になると思います。現場に身を置いて、人の話に耳を傾けることで、自分の専門性や進む道が見えてくることもあると思います。
編集部最後に、法曹を目指す皆さんに向けてメッセージをお願いします。
桑 形弁護士という仕事は、社会との関わりが本当に幅広い仕事だと思います。実際に社会で起こったトラブルが、最終的に持ち込まれるのは弁護士のところですので、難しいですが、すごくやりがいがある仕事だと思います。
予備試験、ロースクール、司法試験、どれも大変ですが、法律も、法曹という資格も人間が作る制度ですので、時代によって、国によって異なる仕組みを持つ一つの通過点と捉えて、それぞれが目指す姿で活躍する舞台に乗り込んできて欲しいと思います。