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裁判員裁判レポート

模擬評議「初の試み!否認事件」

高津 尚美 Naomi Takatsu (60期)

模擬評議の概要

令和3年8月21日及び22日、東京三弁護士会裁判員制度協議会の主催で、模擬評議が行われた。
模擬評議は、架空の事案について、東京地方裁判所刑事部の裁判官、東京地方検察庁の検察官、一般の市民の方々にご協力いただいて実施しているイベントである。神山啓史弁護士の提案及びアレンジの下、平成25年より毎年行われ、夏の風物詩となっていた模擬評議も、一昨年は新型コロナ禍のために実施を見送り、今回は2年ぶりの実施となった。
前回までの模擬評議は、事実に争いのない事件を題材とし、裁判所がどのように量刑評議をするのかを見学してきたのであるが、今回は初めて否認事件を扱うこととなった。
裁判官役として西野吾一裁判官、向井亜紀子裁判官、松下健治裁判官、検察官役として辻雄介検察官、前田澄子検察官及び井上満帆子検察官、弁護人役として村井宏彰弁護士(主任)と渡邊阿武呂弁護士、被告人役として小松圭介弁護士、証人役として磯野清華弁護士、遺族役として遠藤かえで弁護士がそれぞれの役を担当した。

事案

被告人は自営でタレントプロダクションを営む、事件当時38歳の男性である。結婚歴があり、10歳の娘が1人いるが、6年前に離婚して事件当時は独身であった。
事件は令和2年11月5日午後10時15分頃、被告人がフィットネスジムでのトレーニングを終えて帰宅する途中で起こった。
被告人が自転車に乗っていたところ、前に被害者とされる遠藤俊彦氏(当時69歳、以下「遠藤氏」という。)が立ちはだかった。
遠藤氏は酒に酔っている様子であり、被告人に因縁をつけながらぶつかってきた。被告人はよろけたが、遠藤氏を払うように軽く後ろに押してなだめ、遠藤氏が殴らないことを確認してコンビニエンスストアに向かった。しかしその後、遠藤氏は被告人が店の前に自転車を止めると被告人に襲い掛かってきた。
被告人は自分のボディバッグを顔の前に持ってきて攻撃を防いだが、遠藤氏はバッグを引っ張り、被告人の顔を右手の拳で殴った。
その後も遠藤氏は叫びながら何度も拳を出してきて、それが被告人の肩や胸に2、3発当たった。そこで被告人はその手を振り払ったが、遠藤氏は更に右手で殴り掛かってきたため、被告人が1発、遠藤氏の左顔面を目掛けて殴ったところ、パンチは遠藤氏の左頬に命中した。
遠藤氏はよたよたと後ろによろけ、急に尻餅をつくようにお尻を地面に落とし、そのまま真後ろに倒れて後頭部を地面に打ち付け、動かなくなった。被告人は近くにいた第三者に119番通報を依頼し、その後臨場した警察官に逮捕された。
遠藤氏は脳挫傷及び急性硬膜下血腫で死亡した。
結局、被告人は以下の公訴事実で起訴された。「被告人は、令和2年11月5日午後10時25分頃、 東京都立川市柴崎町2丁目3番1号先付近路上において、遠藤俊彦(当時69歳)に対し、その左顔面を拳骨で数回殴る等の暴行を加えて転倒させ、よって、同人に脳挫傷等の傷害を負わせ、同月6日午前11時44分頃、同市緑町3256番地独立行政法人国立病院機構災害医療センターにおいて、同人を前記脳挫傷、急性硬膜下血腫により死亡させたものである。」

争点及び審理計画

●公判前整理手続において、争点は「被告人による遠藤氏に対する行為が、遠藤氏からの攻撃という緊急状況に対処するために許されるものとはいえない行為であったか否か」であることが確認された。また「その判断をする前提となる事実関係として、①被告人が遠藤氏に対してどのような行為をしたか、②その行為が行われるまでの経緯や状況、遠藤氏が被告人に対し粗暴な行動に出ることを被告人が予想していたかについて、検察官と被告人側との間で争いがある。」ことが併せて確認された。

●証拠及び証人については以下のとおり採用されたほか、遺族の心情意見陳述が行われることとなった。
検察官請求証拠・証人
・犯行場所についての統合捜査報告書
・目撃者の視認状況についての統合捜査報告書
・遠藤氏の受傷状況及び視認状況についての統合捜査報告書
・証人磯野清華の証人尋問弁号証
・事件翌日の被告人の両手の写真撮影報告書
・被告人のボディバッグの写真撮影報告書

●また審理計画は以下のとおりである。

令和3年度模擬評議 審理計画案

所要時間(分)

第1回公判(令和3年8月21日(土)午前9時15分)
9:15 冒頭手続 5
9:20 冒頭陳述 検察官 10
9:30 弁護人 10
9:40 公判前整理手続の結果顕出 裁判所 5
9:45 休憩 20
10:05 検察官請求書証の取調べ 検察官 30
10:35 弁護人請求書証の取調べ 弁護人 5
10:40 証人 磯野清華の尋問 検察官 40
11:20 休憩 20
11:40 弁護人 20
12:00 裁判所 5
12:05 昼休み 60
13:05 被告人質問 弁護人 30
13:35 検察官 20
13:55 休憩 20
14:15 裁判所 5
14:20 被害者等の意見陳述 被害者等 10
14:30 論告 検察官 20
14:50 弁論 弁護人 20
15:10 最終陳述 被告人

審理概要

●冒頭陳述
冒頭陳述では、いずれの当事者からも詳細な事実経過が語られた。
検察官は被告人が先に殴ったというストーリーを述べ、弁護人は遠藤氏が先に殴ったというストーリーを述べた。

●証拠調べ
公判前整理手続で採用済みの証拠調べが行われた。

●心情意見陳述
心情意見陳述では、遺族が「優しいお父さん」という遠藤氏の人物像について語り、そのような優しい遠藤氏が理由もなく他人に暴行を加えるなどありえない、被告人はうそをついている、等の遠藤氏による暴行の有無という正当防衛の成否に関わる事実についても意見を述べた。
それに加え、遺族は「犯人を殺してしまいたい」というしゅん烈な処罰感情を述べた。
これに対しては、意見陳述後に弁護人より、当該意見陳述の内容が事実を認定するための証拠となるものではないという意見が述べられた。

●論告弁論
弁護人の弁論は、①遠藤氏が被告人を繰り返し殴ったこと、②被告人が遠藤氏の攻撃を予想していなかったこと、③被告人の反撃は最後の1回のパンチだけである、という3つの項目に分けて論じられた。なお、①と③の双方の部分で、それに反する証人の証言の信用性の議論がなされた。

評議

今回は事実に争いのある事件であり、時間の制約から結論を出すに至らないことは当初より想定されていたため、可能な限度で評議を行っていただくことになっていた。
評議では「遠藤氏の傷からはどのようなことが言えるか」という観点を中心に、事実認定の議論がなされた。
最後に、議論の途中ではあったが、一応正当防衛の成否について裁判員の意見を確認して終えた。

弁護活動にどう活かすか

以下は今後の弁護活動の参考になると考えら れる点である。

●争点整理
公判前整理手続では、前述のとおり争点が整理されたものの、冒頭陳述で示されたストーリーの違いから、実際には被告人の暴行に先行して遠藤氏による暴行があったかどうか、という点が主要な争点であることが分かった。
争点整理の結果と当事者が考えている争点との間に齟齬があったとしても、当事者が主要な争点について共通認識をもっていれば、どこにフォーカスして審理を見るか、また評議を行ってもらいたいかということを冒頭陳述において明示することで、事実認定者にもそれを把握してもらえるものと思われる。
もっとも、本件では主要な争点について当事者間で共通認識があったのかについては疑問があり、当事者が適切な争点整理案を提示するなどし、その過程で争点について共通認識を持つことが必要なのではないかと思われた。

●証人の目撃証言の信用性
評議では証人の目撃証言の信用性について、証人がたまたま通りかかった人物であるために、うそを言っていないことを前提に、ただ「見ていない」部分があるのではないか、という観点からの検討がなされたのみであった。その結果、(弁護人の主張とは異なる)「被告人が3、4回フックパンチをした」という証人が「見た」と述べる部分の供述が信用できないという議論にはならなかった。
そのため、なぜ証人が事実と異なる供述をするのかについての具体的なストーリーを提示することが重要であると感じた。

●法的概念等の説明
評議では、「遠藤氏が追い掛けて攻撃してきたのだとしても、被告人は逃げることができ たのではないか」「そうであれば正当防衛は成立しないのではないか」という補充性が必要であることを前提とするような意見が多数述べられた。
弁護人としては、弁論で法的概念とその成立要件については説明し、裁判員が気にするかもしれないという点について手当をしておくことも重要であると思われた。

●心情意見陳述
評議では、遺族の心情意見陳述で語られた「優しい遠藤氏」像が真実なのではないか、という意見が述べられ、当該意見を述べた裁判員のほか、数人の裁判員はその「優しい遠藤氏」像を維持したままであり、事実認定にも影響があったように見受けられた。
今回の弁護人がしたように、弁論等で心情意見陳述で述べられた事実は事実認定の証拠とはできない旨を述べ、注意喚起をすることは重要であったと考えられる。

おわりに

裁判員の議論が遠藤氏の傷の点に集中したものの、法医学者の意見を記載した証拠がなかったために決め手に欠け、堂々巡りの議論となってしまったところがあった。ここは運営側の反省点である。また、今回は当初から時間内に評議が終わらないことを前提に、可能なところまでやっていただくという無理なお願いをご了解いただき、初の否認事件を題材とする模擬評議の実現にご協力くださった裁判所及び検察庁に御礼を申し上げる。
来年度には今年度の反省を踏まえ、より参考となる企画にしたい。