出版物・パンフレット等

インハウスレポート

【当会会員】西脇 威夫 Takeo Nishiwaki(48期)

インハウスローヤー(組織内弁護士)とは、企業に役員や従業員として所属する企業内弁護士、及び、省庁や自治体に職員(主に任期付き職員)として勤務する弁護士の総称です。
本企画は、当会所属のインハウスローヤーに経験談を紹介していただく連載企画です。

はじめに

私は、1996年に弁護士登録をし、今まで大半を法律事務所で過ごしてきましたが、2004年12月頃から2006年2月頃まで、株式会社ナイキジャパンのリーガルのマネージャーとして勤務していました。あの有名なスポーツブランドである米国のナイキの日本の子会社です。

インハウスになったきっかけ

元々スポーツが好きで、中学から大学まで陸上競技部に所属しており、弁護士になった後もスポーツ関連の仕事ができればと思っていました。ただ、登録した頃は、黙っていても事務所が仕事を回してくれる恵まれた環境にいたので、それに甘えて仕事を自分で確保しなければならないという意識に欠けており、実際にスポーツに関する仕事をやることもありませんでした。
ところが、2001年から2002年にかけて働く機会をいただいたサンフランシスコの法律事務所で、ナイキジャパンのリーガルの人と名刺を交換させていただく機会があり、2004年12月からナイキジャパンで働けることになりました。インハウスとして働きたいとか、そのとき勤めていた法律事務所が気に入らない、ということはなく、給与も、金融に比べれば半分くらいではないかという話も聞きましたが、なんといっても「ナイキ」でした。
2004年当時は、まだインハウスの数は少なく、やっと弁護士会の許可がいらなくなって届出で済むようになった頃だと思います。インハウスが何をやるかは私自身よく分かっていなかったし、ナイキジャパンも日本では弁護士を雇うのは初めてだったので、弁護士をどのように扱ったらよいのか、どのように利用するのが一番会社にとってよいのか手探り状態だったと思います。

仕事の内容

ナイキの製品の売買契約、製造契約、店舗の賃貸借契約、選手との間のスポンサー契約、イベントに関連する契約等、各種契約のレビュー、HR 関連のご相談、税関との交渉その他偽物対策、また丁度個人情報保護法が施行されたのでその対応、独禁法や製造物責任に関する対応、など法務全般(あとナイキランニングクラブのキャプテン)を担当していました。リーガルは私も入れて4人いましたが、弁護士は私1人で、最終的にはほかの3人の仕事も全部私が確認することになっていました。選手との間のスポンサー契約は契約書案を作成するだけで、有名選手との契約も選手本人と会うのは残念ながら別の部署の人でしたが、ナイキの製品や選手のプレーする姿を思い浮かべながら契約書を作るのは楽しかったです。嫌だったのは、マネージャーという立場でほかの3人の評価をしなければならなかったことでした。売上げで比較できる営業ならまだしも、法務で役割分担をしていたのを相対評価しなければならない(誰かに「不可」をつけなければならない)ことは困難を極めました。
当時のナイキジャパンのリーガルは、ファイナンス部門の一部でした。レポートラインが、ナイキジャパンのCFOと、米ナイキのリーガルだったのは、私の経験としてもとてもよかったと思います。
当時の米ナイキのリーガルからは、責任の問題もあってだと理解していたのですが、アドバイスは法的なものに限り、ビジネスディシジョンはビジネスピープルにさせろ、と指示されていました。米ナイキのリーガルには、弁護士の資格を持った人がたくさんいたのですが、同じ会社内の相談者のことをクライアントと呼んでいたのも印象に残っています。
ナイキジャパンでは、「法的にこうだ」とCFOに伝えると、CFO がそれを前提に会社として利益を出すため、損失を抑えるためにはどうするべきかを検討することが多く、その過程にも私を巻き込んでくれたのが大変勉強になりました。米ナイキの指示のとおり法的アドバイスを超えたコメントは控えるとしても、会社として求めているものを考慮に入れた上で法的アドバイスをしなければならないことを痛感しました。また、もちろん会社や担当者にもよるのかもしれませんが、依頼者にとって重要なのは「どうすればよいのか」と「スピード」であって、その理由はあまり重要ではない、ということも強く感じました。外部の弁護士に意見を求めたとき、弁護士の私が見ると立派なアドバイスでも、ナイキの担当者が、「自分たちは結論だけ分かればよいのに、長い文章を書いて高い報酬をとるなんてけしからん」とぶつぶつ言っているのを聞いたことがあります。

インハウスを辞めた理由

ナイキは、会社の雰囲気は米ナイキも含めオープンで明るく、私がナイキというブランドに持っていたイメージに近いものがあり、居心地はよかったです。ただ、リーガルのマネージャー、すなわちナイキジャパンのリーガルのトップとして採用していただいたため、昇級はなく(Director や社長の可能性もなくはなかったみたいですが、考えていなかった)、昇給もほとんどなく、定年まで勤めるところではないと思うようになりました。当時の私にとってナイキでなければ特にインハウスでいたい理由もなかったし、もし法律事務所で働く弁護士に戻るのであれば、あんまり年次が上になると報酬も高くなって、採ってくれる弁護士事務所が少なくなるとも(ヘッドハンターからですが)聞いたので、2年くらいたったところで、将来を考えれば残念ながらそろそろ法律事務所に戻った方がよいのかもしれないと考えるようになり、ナイキを辞めることにしました。

インハウスをやってよかったこと

ナイキ1社で2年間という短期間でしたが、やはりビジネスをやっているところに直接密接に関わることができたのは貴重な経験で、いい意味で、その後の仕事のやり方に大きな影響があったと思います。会社がお金を中心に考えるということを身をもって知ることができたのは、私の経験として大きなプラスでした。ナイキを辞めた後も、スポーツに関連する仕事をしたいという気持ちは変わらず、積極的にスポーツ関連の仕事をするように心掛けているのですが、ナイキで働いていたことで、スポーツ業界について深く知ることができたのも大きな財産です。「元ナイキ」の肩書をつけることができるようになったことは、仕事をもらうために役に立っているかもしれません。更に、当時ナイキで一緒に働いていた人が現在所属している会社から仕事の依頼をもらって一緒に働けるのもうれしいです。
Just Do It.