出版物・パンフレット等

新入会員に贈るメッセージ

実務を学んではいけない

●高野 隆 Takashi Takano (34期)

【略歴】
1982年 弁護士登録
1995年 ミランダの会代表
2004年~2009年 早稲田大学大学院法務研究科教授
2008年~現在 高野隆法律事務所代表パートナー
2013年~現在 一般社団法人東京法廷技術アカデミー 代表理事

新人弁護士の皆さんは、いまさら、引退寸前の弁護士からアドバイスを受けてもピンとこないだろうと思います。私の方も何をアドバイスしていいのか分かりません。そこで、私が新人の頃に考え実践してきたことで今の自分を形成するのに影響を与えたと思われるものを振り返ってみたいと思います。個人的主観的な、しかも非常に大雑把な回想なので、皆さんにとって全く筋違いの話になるかもしれませんが、その場合は「個人の感想」ということでお許しください。

私は今から40年ほど前の1980年から82年にかけて福岡で司法修習生をしていました。4ヶ月間木上勝征先生の事務所で指導を受けました。先生は当時40代半ばで、福岡における刑事弁護の草分け的存在でした。その後日弁連刑事弁護センターの委員長に就任され、日本全体の刑事弁護を 牽引された偉大な指導者でもありました。私は木上事務所で先生の仕事ぶりを横目で見ていました。先生はとても忙しく働いておられました。昼食はビルの1階にある讃岐うどん屋でうどんを一杯食べてすぐに仕事に戻るというような感じです。彼の書く書面は非常によく調べられたものばかりでした。先生のデスクの後ろのガラスケースには彼が書いた「弁論要旨」や「控訴趣意書」などが罪名別に並んでいました。私はときどきそのファイルを読ませてもらいました。証拠を丹念に引用するのは勿論、関連する判例も実に丁寧に引用されていました。公刊されている判例だけではなく、自ら取り扱った事件の裁判例を引用することも珍しくありませんでした。
その頃木上先生に言われたことでよく覚えているのは、「弁護士は最初の5年が勝負だ」という言葉です。どういう文脈だったのかよく思い出せないのですが、最初の5年間はあらゆる事件を手抜きせずにやれというようなよくありがちなアドバイスではなかったと思います。先生の教えはもっと徹底していて「5年で勝負がつく。その後の弁護士人生は、最初の5年で培ったものを消費しているに過ぎない」ということだと私は理解しました。だから私は、「まあとにかく5年間だけは一生懸命やろう」と決意しました。そこには「5年間だけ頑張れば、あとは楽ができるに違いない」という含みがありました。

私は埼玉県出身で、漠然と埼玉県で弁護士をやるのが良かろうと考えていたのです。しかし弁護士をやっている親戚も知人もいないので、とりあえず、埼玉弁護士会の会長に挨拶に行くことにしました。それがきっかけで当時会長をされていた菊地博康先生の事務所に最初のイソ弁として就職し、新人弁護士としての一歩を踏み出すことになりました。当時の埼玉弁護士会の会員数は150人足らずでした。ほとんどの事務所がいわゆる町弁で、ボスと1人か2人のイソ弁であらゆるタイプの民事事件や家事事件をやり、その合間に刑事弁護をやるという感じでした。
菊地先生は地元の自動車ディーラーの法律顧問を多数引き受けていました。その関係で私は、一般的な民事事件や家事事件のほかに、自動車販売をめぐる紛争案件をたくさん扱うことになりました。あの頃、大型トラックは「自社割賦」型の割賦販売――ディーラーに所有権が留保される――が主流でした。販売先である土建会社や運送会社が割賦金の支払いを続けて怠ると、ディーラーは留保所有権に基づいて車の返還請求をするのですが、その頃にはトラックは買主のところにはありません。自動車専門の金融屋に流れたり、ときにはヤクザ関係者に持ち去られたりしています。トラックはときに1台2000万円くらいすることがあります。自動車の所在が分かると、ディーラーの担当者と連絡を取って占有者を特定して、トラックの執行官保管の仮処分申請を行い、保証金を供託して、その執行にも立ち会うのです。
当時も保全や供託、民事執行に関する「書式例」はありましたが、私は、既存の書式をそのまま使うことをせず、ほぼ全ての書式を自分なりの理屈と自分たちのニーズに沿ったものに作り変えました。担保取消しに関する市販の書式に不備があることを発見して、汎用性のある独自のものを作って事務員さんに使ってもらったりしました。当時自動車ディーラーの所有権の行使が権利濫用になるかならないかという問題があり、事案ごとに検討する必要がありました。そこで私はこの問題に関する判例を網羅的に調べて、その研究成果をディーラー数社の合同研修で講義したりしました。
目の前にある事件・案件を既製の道具を使って処理するのではなく、とにかく一から自分で調べて自分のやり方で実践してみるというのは、波乱や軋轢を招くことがあります。役所が絡んでくると特にそうです。供託書の書き方が慣例と違うとか添付書類が足りないなどと言って供託を受け付けない法務官僚がいたりします。法律の要件は満たしているので、「できるはずだ」「できないと言うなら却下してください」などと言ってケンカを売ったりもしました。その結果、受け付けてくれたことも多数あります。急いでいるので、妥協したケースもあります。しかし、基本的には自分が調べて自分が正しいと思ったことは曲げないようにしていました。
民事執行の現場がときに修羅場と化すというのもすぐに経験しました。当時、民事執行法が施行されて間もない時期でした。まだ執行の現場には「事件屋」とか「執行屋」とか「占有屋」と呼ばれる人々が跋扈していました。執行妨害を受けることもしばしばでした。彼らとの交渉――ケンカを含む――の仕方も私なりに研究し学びました。

さて、刑事事件ですが、木上勝征先生はもう一つとても大切な教えを私に与えてくださいました。それは「決して被告人を裁いてはいけない。被告人を裁くのは弁護士の仕事ではない」という言葉です。これは刑事弁護の本質に関わる教えです。これは刑事弁護の倫理そのものです。新人弁護士として刑事弁護をするようになると、すぐにこの問題に直面します。否認している被疑者や被告人について、担当検事が電話してきて「説得したらどうか」などと言うのです。「無理な否認をやめるように説得するのも刑事弁護だ」と。先輩弁護士のなかにもそうしたことを言う人が少なからずいました。そして、この国の「人質司法」はこうした説得や働きかけを助長する強力な装置となっています。
私は、司法修習生のときに刑事裁判の形骸化した姿を目の当たりにしてショックを受けました※1。木上先生はそうした現状を少しでも改革しようとしている中堅弁護士の一人でした。惨憺たる刑事裁判の現状に抗い少しでも前を向いて「被告人主体の刑事弁護」を実践しようとしている先生の言葉は私にとって導きの星となりました。しかし、ここでも私は木上先生の言葉を繰り返し吟味するなかで私なりの独自の解釈で、徹底した形でそれを実践することになっていきます。
私は自然と依頼人のことを――私選であれ国選であれ――「被告人」とか「被疑者」と呼ばなくなりました。そして、弁護人は、検察官や裁判官の仕事をやりやすくするために存在するのではない、依頼人が持っている権利を効果的に実践することこそが弁護人の仕事だ(その意味では民事の代理人と何も変わらない)、そのために必要であれば、躊躇なく検察官や裁判官とケンカしなければならない。そう考え、その考えを実践することになります。

刑事弁護の分野でも私は一から調べてその結果を実践することにこだわりました。勾留や保釈に関する準抗告や特別抗告も実践しました。当時、そういう実践をする弁護士は少数派でした(今では考えられないですね)。しかし、法律にはそういう権利があると書いてあるのですから、弁護人はその権利を行使しなければならない。どんな事件か忘れてしまいましたが、弁護士1年目に検察官請求の書証に「不同意」の意見を述べたら、相手の検事が激怒して「そんなの聞いたことがない」と言いました。裁判官は私に「なぜ同意しないのですか」と尋ねました。私は「同意しない理由ですか? 同意する理由がないからですね」と答えました。刑事弁護についても「書式集」のようなものがありました。裁判所書記官が書いた古臭いものでした。もちろん、私はそんなものを使いませんでした。弁護人選任届から保釈請求書、それに添付する被告人の誓約書や身柄引受書などあらゆる文書を自分で作りました。
岸盛一・横川敏雄『事実審理--集中審理と交互尋問の技術』(有斐閣1960)で学んだことを法廷で実践しました。つまり、検事の尋問に異議を言いました。裁判官の中には私の異議について裁定もせず聞き流すだけの人も少なくありませんでした(これも今では考えられませんね)。こちらは「誘導」「伝聞」「関連性がない」「漠然とした尋問」「意見・推測を求める尋問」という具合にきちんと理由を言って異議を述べているのに、裁判官はきちんと判断しません。なかには何の説明もなしに「棄却します」しか言わない裁判官もいました。そうこうするうちに裁判所のなかで私は「変人」扱いされるようになりました。
なぜ法律に則った活動をしているのに異端視されなければならないのか。私はこの国の刑事司法に絶望を感じ始めました。そういえば研修所の刑事裁判教官が飲み会の席で「実務の刑事訴訟法は教科書の刑事訴訟法と違うんだよ」と真顔で言っていたのを思い出したりしました。あとから考えるとこれはまだ「本当の絶望」ではなく、のちにもっと深い絶望を感じることになるのですが、新人時代の私は3年目ぐらいで打ちのめされてしまいました。結局ただ壁に頭をぶつけているだけのようにしか感じられなくなりました。

とりあえず日本を脱出したくなりました。日本を脱出するためにアメリカのロースクールに留学することを思いつきました。1986年から87年にかけてアメリカのロースクールで学んだことは、その後の私の人生に決定的と言える影響を与えたと思います。一つは、日本の法制度を外から相対的に眺めることができたということです。これはなかなか言葉では表現しづらいのですが、日本の司法制度は西欧のそれをモデルにしたと言われていますが、コモン・ロー系とはもちろん、大陸法系の制度ともかなり異なる特殊なもののように感じます。アメリカのロースクールには世界中から法律家が集まっています。彼らと話をしていると、日本の裁判官は、法の判断者あるいは法の形成者というよりは、組織的な意思決定を通達するだけの小役人のような感じがします。この国の裁判所は独立の司法機関というよりは、ただの官僚機構の一つのように見えます。
もう一つ。それは法制度というものが歴史の産物だということです。完全な法制度などというものは存在しない。全ては変わりうる。変わるべきものとして存在している。今は岩盤のように見えても、百年単位で考えれば必ず変わる。ロースクールの教室で学生と教授が議論するのは法を形成する原動力となった「事件」です。そして、「事件」は歴史そのものです。それは依頼人とともに悪戦苦闘する法律家の物語にほかなりません。私はアメリカでそのことに気が付きました。
帰国後、私はますます「学究」的になりました。アメリカ憲法の歴史とともに日本国憲法の制定過程に関心が向くようになりました。イギリスやアメリカの憲法史と密接に関係する歴史によって形成された刑事人権規定(日本国憲法31条から41条)と、江戸時代、いや鎌倉時代にまで遡る「司法官僚」の伝統と文化の上に根付いたこの国の現実の刑事手続――刑事裁判官の法意識――との距離をどう接近させるかということが私の課題となりました。私は学者ではなく、学者になるつもりは毛頭ありません。私がアメリカで学んだ大切なことの一つは、法の形成は、学者の理論によってではなく、事件によって、すなわち当事者とその代理人である法律家の活動によって成し遂げられるということです。だから私は目の前にある事件の弁護に徹底的にこだわります。私の法的援助を求める依頼人の権利を徹底的に行使すること、そして、依頼人が設定した事件の目的を達成するために最善の努力をすること。これが私が弁護士であることの意味です。

実務を学ぶ必要はない。実務はあなたが作るのだ。

※1 詳しくは、高野隆「なぜ弁護するのか」Law&Practice第8号279頁

心がけていること

●渡辺 光 Akira Watanabe (51期)

【略歴】
1999年 弁護士登録
2016年度 当会副会長
2020年 第二東京弁護士会業務システム検討 ワーキンググループ座長
2021年度 知的財産仲裁センター 副センター長

1.はじめに

新入会員の皆さん、法曹の世界へようこそ。第二東京弁護士会への登録、心より歓迎申し上げます。
多くの方は、これから数十年間、法曹、とりわけ弁護士として活動することになるでしょう。私は、1999年に弁護士登録をし、もうすぐ24年が経とうとしています。20周年の会合で、教官が、「諸君も、もうすぐ法曹人生の半分になるわけですが...」と仰ったように、道半ばで、まだまだ学ぶことが多く、私がお伝えできることは限られますが、私のこれまでの経験に基づいて、いくつかお伝えしたいと思います。

2.事案の調査と依頼者

依頼者から、とにかく話をよく聞いてください。
依頼者は、事実を、余すことなく、正しく伝えるとは限りません。むしろ、事件で気が動転しているうえ法律には素人でもあり、必ず、不完全であることを前提に、話を聞くべきです。忘れていたり、記憶違いをしたりしているのはしょうがないとしても、自分に都合の悪い事実を隠したり、事実と異なることを述べたりすることもあります。特に、信頼されていないときは、その傾向が顕著です。後から、相手方からその点を指摘されると、リカバリーが大変です。
依頼者から、正しい情報を入手するためには、依頼者から聞いた話に、不完全な部分や何らかの矛盾があるときには、それを全て確認しましょう。あなたが聞いて僅かでも違和感があるとすれば、目を皿のようにして手がかりを探している相手方は、まず間違いなく気付きます。したがって、そのような違和感があったら、依頼者からじっくり話を聞いたり、資料を調べたり、とにかく納得がいくまで調査しましょう。
とは言うものの、依頼者に対して、正面から証拠との矛盾を指摘してもうまくいきません。かえって依頼者は意固地になってしまい、関係がこじれてしまうおそれがあります。依頼者との距離 感は、経験を積んでも難しいです。依頼者のキャラクターや立場、客観的事実を勘案しながら、試行錯誤してみてください。依頼者が会社である場合、最終的には当該会社の利益のために動く必要があるとしても、担当者の立場に配慮することも、担当者との信頼関係の構築には有効です。
事件の処理に当たり、思い込みは禁物です。目の前にある複数の事実の中から、都合の良いものを選択し、自分なりに"きれいな"ストーリーを作り上げ、それと矛盾する事実を軽視してはなりません。私も、依頼者があまり納得していないにもかかわらず、依頼者を誘導した結果、見事に相手方に問題点を指摘され、その論点では挽回することができなかったという苦い経験があります。
資料は、しっかり読み込み、頭に入れましょう。経験を一晩で積み上げることは不可能ですが、資料を読み込むことは(ものによりますが)一晩でできます。そうすれば、依頼者も、真摯に向き合ってくれると信頼し、心を開き、依頼者に都合の悪い事実でも、(たぶん)素直に話してくれるでしょう。

3.書面作成にあたり

私は、入所以来、準備書面のファーストドラフトを担当するときは、別段の指示がない限り、期日の3週間前までに書面案を完成するように心がけ、実践してきました。期日の1週間前に裁判所に提出するとして、その1週間前に依頼者に送り、さらにその1週間前に所内で展開するためです。これくらい時間があれば、事務局の準備にも余裕ができます。また、込み入った案件では、書き始める前に、ボスや依頼者と方針をすり合わせておくことも当然です。難しい案件でファーストドラフトの方向性を間違えると、時間的に非常に厳しくなり、書面の完成度が落ちてしまいます。期日の3週間前までに書面案を完成させることについては、忙しいから無理、という意見もありますが、一定の期間内にしなければならない仕事の量は、期日の前日に書面案を完成させる場合と変わりません。
所内への展開か、依頼者や相手方への送付かを問わず、作成した書面をすぐに出すのはやめましょう。見直すことは当然としても、時間が経ってから(準備書面などの場合には翌日以降に)見直すことをお勧めします。思いつくままに、あるいは、感情のままに書いた書面は、極端であったり、論理に飛躍があったり、ときには失礼な表現となっていたりします。時間が経って冷静な頭で見直すと、アラがよく見えてきますので、より論理的、説得的で、こなれた書面にすることができます。最近は、依頼者や相手方代理人とメールでやりとりすることが多いですが、クリック一つで送信できてしまいますので、雑な文章にならないよう、常に気を付けています。
裁判例は重要ですが、それが全てではありません。裁判例がなければ作れば良いのです。都合の悪い裁判例は変えれば良いのです。事務所の先輩は、判例を作るのが仕事だと言い切り、幾度となく最高裁にお世話になっています。もちろん、いつもうまくいくわけではありませんが、いくつも判例を作ってきました。あいにく、私自身は、最高裁の思い出はありませんが、外国の裁判例などを調査し、裁判所に提出した結果、下級審で新しい法理が認められました。

4.会務について

会務と聞いても、皆さんにはイメージが湧かな いかもしれません。
今ご覧になっている『二弁フロンティア』、これも、二弁会員がそのメンバーとなっている広報室が編集したものです。修習生の相手をするのも、司法修習委員会の委員が、会務として行うものです。二弁には様々な委員会があり、財務委員会や総務委員会のように、二弁という組織の内部的な運営を中心に行う委員会もあれば、法律相談センター運営委員会のように、外部との関係を処理する委員会もあります。会務は、基本的に無報酬ですが、事件の処理だけでは得られない経験やコネクションを作るとても良い機会です。困ったときにアドバイスをしてくれる頼れる弁護士の存在は貴重です。二弁会員だけでなく、他の弁護士会の弁護士、弁護士以外の法曹、さらには、他の士業など、多くの方と知り合うチャンスです。
是非、積極的に参加してみてください。

5.おわりに

時間の制約があるとしても、一件一件を丁寧に処理するよう心がけてください。そうすると、すぐにではないかもしれませんが、結果も依頼者もついてきます。法曹人生は長いので、焦らず、地に足の付いた活動をしてください。皆さんの大いなる活躍を期待しています。

入会おめでとうございます。

●笹森 真紀子 Makiko Sasamori (67期)

【略歴】
2014年 弁護士登録(67期)、弁護士法人東京フロンティア基金法律事務所に入所
2017年 青森県弁護士会に登録替え、つがるひまわり基金法律事務所5代目所長
2019年 第二東京弁護士会に登録替え、弁護士法人東京フロンティア基金法律事務所
その他 第二東京弁護士会法律相談センター運営委員会副委員長など

1.経歴・現在の取扱業務

新入会員のみなさま、ご入会おめでとうございます。
私は、2014年に弁護士登録をして、第二東京弁護士会が設立・支援している都市型公設事務所である弁護士法人東京フロンティア基金法律事務所に入所しました。そこで研鑽を積み、2017年8月に青森県五所川原市にあるつがるひまわり基金法律事務所の5代目所長として赴任をしました。つがるひまわり基金法律事務所での2年の任期を終え、2019年10月に弁護士法人東京フロンティア基金法律事務所に戻り、現在は、一般民事・家事・刑事事件や成年後見・未成年後見などの事件を扱いながら、これから全国各地のひまわり基金法律事務所に赴任していく後輩たちの指導に当たっています。

2.ひまわり基金法律事務所での経験

「ひまわり基金法律事務所」についてご存じない方のために、少しだけ説明させてください。「ひまわり基金法律事務所」は、弁護士過疎解消のために、日弁連・弁護士会・弁護士会連合会の支援を受けて開設・運営される法律事務所で、日弁連から開設・運営資金の援助が行われています(日弁連ホームページより)。
私が赴任をした青森県五所川原市には、裁判所の青森地裁五所川原支部があるのですが、私が赴任した当時、支部管内に私を入れて弁護士が4人(そのうち女性弁護士は私1人)という状況でした。
赴任当初から、一般民事・家事・刑事事件、債務整理事件のほかに、破産事件の管財人や成年後見人、未成年後見人、相続財産管理人、いじめ調査の第三者委員など様々な事件を経験することができました。これらの事件の中には、東京では、登録後3年経たないと配転されず、経験できない事件もあるのですが、赴任したことにより、まだ登録から2年ほどしか経っていないにもかかわらず、多様な事件を経験することができました。二弁に戻った後も、その経験を活かしていじめ調査の第三者委員や未成年後見人などをしています。また、支部管内だけでなく、青森県内に女性弁護士が少ないこともあり、県内のかなり遠くの地域から離婚の相談に来られる女性の方も多くおられ、女性弁護士のニーズの高さを感じました。

新人のみなさま、今からでもひまわり基金法律 事務所に赴任することは可能ですので、少しでも 興味がありましたら、是非私にご連絡ください!

以下では、私のこれまでの短い弁護士経験の中から考えたことをお伝えしたいと思います。

3.問題を先送りしない

私は、いわゆる町弁的な仕事をしているので、仕事の種類は多種多様ですし、依頼者も色々な方がおられます。そうすると気が進む事件とそうでない事件が必然的に出てきてしまいます。弁護士の仕事を始めると、自分が嫌なことを先に済ませるタイプか、先送りするタイプかが分かると思います。私は、先送りしてしまいがちだということが分かりました。気が進まない事件こそ問題を先送りしてはいけません。結局いつかはやらないといけないのですから。

4.締切は守ろう

裁判所の提出期限はきちんと守りましょう。これは当然と思われるかもしれませんが(私も修習生時代は当然と思っておりました)、日々仕事に追われるとあと1週間あるなどと思い、締切を破ってしまいがちです。
ひまわり基金法律事務所では、弁護士が少なく、裁判所も各弁護士をよく見ています。破産の管財事件や成年後見など裁判所からの選任事件については、裁判所は信頼できる弁護士に頼みたいのは当たり前です。締切を守るという最低限のことができない弁護士に事件を頼もうなどと思わないはずです。これは、東京という大きな単位会でも一緒だと思います。
自分の弁護士としての活動ひとつひとつが見られていることを意識しながら仕事をしましょう(自戒を込めて)。ちなみにこの原稿の締切は守れませんでした...。

5.委員会や会派に参加してみよう

弁護士の仕事は、先輩弁護士と共同で受任をすれば、相談しながら事件をこなしていくことができますが、いつまでも先輩と一緒というわけにはいきません。いずれは一人で事件をこなしていくものですが、一つとして同じ事件はなく、次々に悩みが出てきます。一人で事件をこなし、悩んでいるとどんどん袋小路に入っていってしまう可能性があります。それを解決するためには、頼れる先輩弁護士や信頼できる同期の弁護士が必要で、弁護士会内の委員会や会派はそのような素晴らしい人たちと出会える場だと思っています。
また、ひまわり基金法律事務所に赴任する前の新人時代に、二弁の法律相談センター運営委員会や公設事務所運営支援等委員会、犯罪被害者支援委員会に所属しておりました。そこで出会った先輩方には、赴任した後にも、事件で悩んでいるときに相談に乗ってもらったり、仕事で東京に戻った際には、懇親会を開いていただいたりなど、とてもよくしていただき、赴任が終わって二弁に戻った現在も、とても懇意にしていただいております。
赴任が終わって二弁に戻ってきた際に、弁護士10年目までの会員が参加できるNIBEN若手フォーラムという委員会が新しく誕生しており、この委員会にも参加するようになりました。若手フォーラムでは、期の近い先生方と仕事の進め方や事件について意見を交換したり、悩みを相談したりもでき、とても貴重な場になっています。
また、ひまわり基金法律事務所所長時代は、車で片道1時間をかけて弁護士会内の懇親会に積極的に参加をし、ほぼ全ての懇親会に参加しました(飲み会クイーンとも呼ばれていました)。ひまわり基金法律事務所では、周囲にはほとんど弁護士がおらず、青森県弁護士会の様々な弁護士と知り合いになれる懇親会の場はとても貴重な場になりましたし、そこで出会った先輩弁護士から一緒に仕事をしようとお誘いいただいたこともあり、とても勉強になりました。

6.最後に

弁護士の仕事は、依頼者の代理人となって、依頼者の利益を実現することだと思います。ただ、多くの事件では、対立当事者がおり、それぞれの言い分があります。困っている人を助けたいという思いで弁護士になりましたが、一義的にどちらが善でどちらが悪という決めつけや、「かわいそうだから」などという価値観で仕事をするのは違うのではないかと思っています。依頼者の立場には立ちつつ、あくまでも法律の専門家として、上から目線にならず、謙虚に仕事をしていくことを心がけたいと思っています。