出版物・パンフレット等

山椿

●三森 仁 Satoru Mitsumori(45期)

自己のトリセツ

いつの間にか、若き頃遠くまぶしく見上げていた諸先輩に年齢だけは追い付いてまいりました。思い返せば多くの失敗を重ねながら、自分自身の性格のトリセツを地道に作ってきた気がいたします。光栄にも「山椿」に執筆する機会をいただきましたので、自己のトリセツを紹介いたします。

1. "短気は損気"...小さい頃、我儘で癇癪持ちであった私に父が何度となく言い聞かせた言葉です。
私は、親の教育方針から、中学1年より山梨の実家を離れ上京し、4つ上の兄と二人で自炊生活を始めました。中学では、入学早々同級生と取っ組み合いをするなど、感情をコントロールできず、親代わりの兄には随分と心配をかけたと思います。
ただ、中学・高校と青年期に良い先生方や様々な良書に出会うことができたおかげで、随分と感情をコントロールできるようになりました。
特に、兄と二人暮らしという野放し状態の中で一応道を外さずに生きてこられたのは、中高の恩師立山和彦先生との出会いがあります。道を外れたら切り捨てるといった教育現場の悪い傾向とは真逆で、文字通り親身になって私たちを育ててくださいました。なんと毎週末、ご自宅に招待してくださり、麻雀をしたり、たらふく手料理をいただきました。すき焼きの肉が途中で足りなくなり、慌てて奥様が買い足しに走ったこともありました。また、自炊生活を見かねて、毎日のお弁当を奥様が作ってくださりもしました。思えば、まだ20代の先生のお給料とお時間をずいぶん無邪気に食い散らかしてしまったものです。本当に足を向けて寝られません。

※中でも、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』は、自己中心的な考えや短気を改めるきっかけを与えてくれた良書です。写真は、(気が早いのですが)娘の将来の子に読んでもらいたいと考え購入した漫画版です。

2. 社会人になっても、油断をすると短気が起きだしてきます。媒酌人を務めてくださった故・東徹先生(元徳島地方裁判所所長)には、宇野千代『天風先生座談』をいただき、三忽(怒る勿れ、悲しむ勿れ、憂うる勿れ)という言葉を与えていただきました。
また、家事調停委員に就いた最初の頃は、自己中心的な主張に対し結構厳しい説得を行うなどしたため、当事者から裁判所に苦情が入るなんてこともありました。今では、どんな主張でもまずは傾聴を心掛けており、家事調停委員の仕事が私にとっての精神修養の場ともなっております。

3. こうして、長い年月をかけて短気を克服してきましたが、ハンドルを握ると何故か短気が起きだしてしまう悩みが残っています。横入りしようとする車を入れなかったりして、相手の運転手と車を降りて言い争ったことも一度ならずあります。最近読んだ、アラン・ド・ボトン 『哲学のなぐさめ』にあるセネカの思想は、フラストレーションへの接し方について考えさせるもので、自分のものにできた暁には、自己のトリセツも漸く完成ではと思っているところです。

    自己のトリセツ完成まであと少し。もし私の地が出てきたら、「三忽!」「傾聴!」「セネカ!」等々投げかけて、私を軌道修正してくださると幸いです。