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山椿

●岩田 洋明 Hiroaki Iwata (23期)

私は、弁護士登録52年目に入りました。ただ今、弁護士生活の"終活中"です。

近時「お元気ですか。」と声を掛けられることが多々あります。
しかし、何年か前にはできたのに今はできないことが多く、本人はこれを自覚しているので「元気です。」との返事はし難いです。よって、この様な時には「年相応に頑張っています。」と応じるようにしています。
そんな折に柳楽久司編集長から本欄執筆の声を掛けていただきましたので、今の私にできる話を書かせていただきます。

私の司法試験受験時代は、年間受験生数3万人、合格者数500人の時代であり、司法修習生は実務修習地においては" 最高裁判所からの預かり者" 的発想からなのか大切に扱われていました。
私は静岡修習でした。静岡地方裁判所の門前は駿府城で、その間に堀があり、当時は空堀状態でした。ある時、その堀の城側の石垣をよじ登っていたら(遊びでですよ)、裁判所の守衛が飛んできて怒るのです。怒る理由は、「この堀にマムシがいたことがある。修習生がマムシに噛まれたりしたら、所長の責任問題になるからやめてくれ。」ということでした。言われた私の気持ちは、20代後半にもなる人間が、修習とは無関係なことをしても、裁判所の所長は責任を取らされるものなのか、今自分のいる世界はこういう所なのだ、という特殊というか違和を感じました。

修習を終了して当会に入会し、鹿野琢見先生の事務所に入りました。鹿野先生の事務所は文京区弥生にあり、私は八王子に住んでいましたので通勤時間は長く、この点は大変でしたが、非常に有り難いこともありました。それは、鹿野先生は旅行がお嫌いで、出張事件は私の担当になったことです(笑)。
私は小学生高学年からカメラをいじっており、中学生の時には引き伸ばしを始め、高校の時はフィルムの現像(もちろん白黒です)もしていました。しかし、司法試験の受験時にこれらを全てやめて、機材類は人にあげました。それが鹿野事務所に入って出張事件担当→タダで旅行ができるということで、早速マニュアル専用の一眼レフカメラと望遠(ズーム)レンズを買い、出張の際はこれらを必ず携行し、裁判とは関係のない所まで足を伸ばしては写真を撮って、悦に入っていました。
鹿野先生は、この様な私の勝手な行動を、おおらかに見守り、許してくださいました。

鹿野事務所からは2年2か月で独立しましたが、その後も鹿野事務所が受けた大きな刑事事件の担当は続け、その合宿や、民暴委員や日弁連の常務理事として日弁連主催の大会で全国を回ったときも、カメラは必ず持参しました。
私の父は山梨県富士吉田市の、母は静岡県駿東郡小山町の出、私は富士山の見える八王子市育ちで司法修習地は静岡ということで、富士山には縁があり、富士山が見えると " 得をした" 気持ちになる人間ですので、特に富士山は沢山撮りました。富士山の撮影に取り憑かれるとなかなかその世界から抜け出せなくなるそうで、それを" 富士(不治)の病に罹る" と言います。私はそれ程重篤ではありませんが、恒例の掲載写真として富士山の農鳥の写真(2021.5.22富士吉田市にて)を提出致します。

富士山の農鳥の写真
2021.5.22 富士吉田市にて