新入会員に贈るメッセージ
弁護士の役割の多様さ
柏木 俊彦/Toshihiko Kashiwagi(22期)
【略歴】
1970年 弁護士登録
1994年 ニューヨーク州司法試験合格
1997年 第二東京弁護士会副会長
2007年 大宮法科大学院大学学長
1. 第二東京弁護士会は魅力ある単位会です。
私は、第二東京弁護士会以外の単位会に所属したことはありませんが、第二東京弁護士会に50年以上所属している経験から、まずは、当会に入会する新入会員の皆さんに当会が魅力ある単位会であることを自信をもってお伝えしたいと思います。そして、弁護士会が自治団体であることを理解して、何らかの形で当会の会務に参加していただきたいと思います。私自身は当会入会後相当の年数を経過した後に、当会の会務に参加しましたが、そのことにより素晴らしい当会の先輩、同僚、後輩の弁護士と付き合いを持つことができました。
以下には、私が興味を抱き続けている弁護士倫理という視点を絡めて、新入会員の皆さんにメッセージをお伝えしようと思います。
2. 弁護士の仕事は自由業であり独立性があります。
理由は定かではありませんが、英米法系の国では弁護士が自由業であるという言い方はあまりしません。弁護士を自由業として言い表すのは大陸法系の国のようであり、自由業という言い方は日本が大陸法系の国であることの証であるのかもしれません。
私の学生時代は、サルトルの哲学が学生間で人気のあった時代であり、サルトルの「人間は自由の刑に処せられている」という標語は、納得させられる言葉でした。弁護士の仕事が自由業であるとすれば、自由は恣意に流されがちであることから、自己の欲得や感情によって恣意に流されることのない、恣意に抵抗する自律の精神が必要です。法に依拠した自律的判断にこそ、弁護士が自由業と言われる真の意味があると言えます。
実際に、弁護士には、依頼者の利益擁護のための判断の裁量はあってもいわゆる自由な判断が許されるわけではなく、義務はあっても権利があるわけではなく、義務の履行のための権限があるに過ぎません。自由とは、仕事を離れたときに感じる解放感の味わいのことだと思ってください。弁護士が自分の体を資本として、自らの健康に依存して仕事をしているという点では弁護士の仕事は、まさに自由業です。私は、万が一に備えて家族に迷惑をかけないようにするために、弁護士の仕事をするに際して、生命保険や休業補償保険といった保険による武装を整えることはしました。幸いなことに、これらの保険の利益を享受することはありませんでしたが、勧められた保険には迷わずに加入しました。
弁護士の職務の独立性について言えば、弁護士は、法を取り扱い司法の一翼を担う形で依頼者のための仕事をすることを基本としますので、仕事の特徴として依頼者のための独立性と依頼者からの独立性の双方が求められます。ある意味で矛盾した役割を担うことにその職務の特質があります。依頼者のための他の影響からの独立性は、依頼者から報酬を受け取ることもあり理解しやすいのですが、弁護士は、法を扱う者として、依頼者からの独立性も要求されます。依頼者のためであっても法や弁護士の使命の枠を外すことのないような法律的判断が必要であり、実際にはこの独立性を保持することには困難をも伴います。独立性は、私人ではありますが法を取り扱う資格を有している弁護士の公益的な責務です。
3. 弁護士の仕事には役割の多様性があります。
弁護士は、法律事務を取り扱う様々な役割の仕事を引き受け、役割に応じた義務内容を負って仕事をすることになります。仕事の基本は、依頼者のために法律事務を取り扱う役割であり、依頼者が誰であるかを特定することが最初に必要となります。しかし、弁護士法には依頼者の定義はなく、依頼者を特定することに困難を生じる場合もあります。また、依頼者を特定したとしても、いつどのようにして、どのような依頼事項につき依頼者と依頼者―弁護士関係を成立させたと言えるのかも、必ずしも容易に決められることではありません。
依頼者のために取り扱う法律事務の多くは、依頼者のための代理業務です。弁護士になった当初は、興味をもって国選事件を手がけました。依頼者のための刑事事件の代理活動は、弁護士になったという高揚感がありました。依頼が代理業務の役割の場合には、法の枠内で、依頼者の利益のために党派的な義務を負うことになります。しかし、依頼者から法律相談を受けて法的な助言を行う場合には、依頼者は、法の枠を超えた自分に有利な判断を求めることもあり得ますので、党派的というよりは依頼者から距離を置いて独立した中立的な立場で法的助言をなすことが適切な場合もありますし、後に依頼者から感謝されることにもなります。依頼者を有しているからと言って、常に党派的な義務を負うわけではありません。
弁護士の法律事務を取り扱う仕事には、破産管財人、鑑定や仲裁の依頼、あるいは第三者委員会の委員としての役割を担う仕事もあります。このような場合には、事件を依頼してきた当事者はいるものの、果たして依頼者という概念に該当するのであろうかと考えてしまう事件もあります。仮に、依頼者であるとしても代理業務のような依頼者の利益のための党派的な役割を担うのではなく、むしろ依頼の趣旨から、依頼者から独立した中立的な義務を負うことを求められる場合があります。
このように、弁護士の仕事は、依頼者あるいは事件の当事者からの法律事務の依頼という広範囲な仕事内容をカバーしますので、依頼を受ける個々の具体的事件の性質及び多様な役割の差異に応じて、党派的な義務から中立第三者的な義務までの幅のある差異ある義務を負うことになりますので留意が必要です。
4. 弁護士に対する社会的評価をより高めてください。
新入会員の皆さんは、数年の期間は、先達が築いてきた弁護士という資格に対する社会的評価・信頼に頼って仕事をしていると言っていいと思います。弁護士の社会的評価・信頼に対するフリーライドのようなものです。しかし、皆さんが弁護士の経験を経た後は、弁護士に対する社会的評価・信頼を自ら築き上げて、獲得した社会的評価・信頼を、今度は、後輩の弁護士にバトンタッチすることにより先達に対する恩返しをしていかなければなりません。それが弁護士という専門職に就くものの倫理的な責任と言っていいと思います。法の支配は、法の理念及び法的な権利を実効化する法律専門職の存在によって機能することになります。
新入会員の皆さんのこれからの活躍を期待しています。
自由な弁護士業へようこそ
湯浅 紀佳/Norika Yuasa(56期)
【略歴】
2003年 弁護士登録/2011年ニューヨーク州弁護士登録
2004年 上海に留学・上海の法律事務所で勤務
2009年 ミシガン大学ロースクール留学
2011年 香港のSlaughter and May勤務
2013年~2016年 森・濱田松本法律事務所の北京オフィス代表
2019年~現在 三浦法律事務所代表パートナー
2022年~現在 JCAA(日本商事仲裁協会)仲裁人
1. ようこそ弁護士の世界へ
新入会員の皆様、第二東京弁護士会へようこそ。
弁護士は自由業という名の不自由業、とも言われています。今まさに、不自由で自由な、厳しくも面白い弁護士の世界へ新しく踏み入れられる皆様に、一つの例としての私の弁護士としての歩みを、少しお話しできたらと思います。
2. 町の弁護士を志して(リーガルハイが理想です)
2001年、修習生だった私は、せっかく自由業の弁護士になるからには、大手事務所で組織の歯車となって馬車馬のように働かされるのではなく、小さい事務所でのんびり自由に働きたいと強く思い、特徴のある小さな事務所に就職しました。ボス弁が一人、先輩が一人の事務所です。そこで数か月、自由で気ままな弁護士生活を満喫していたのですが、ある日突然ボス弁から、「女の子だから上海で中国語を勉強するのがよい」と言われるのです。ちなみに、一緒に入った同期の男子は、ボス弁から「男の子だからエジプトでアラビア語を勉強するのがよい」と言われて、一足先にエジプトに行っておりましたので、私としても「上海ならまだよかった(何が?)」と安易に思い、素直に受け入れたのでした。
そのボス弁は本当に頭の良い方で、世界の歴史・哲学・経済などのあらゆる面において、深い洞察力に基づいた考えを持っていた方でした。私は、そのボス弁を大変尊敬していましたので、そのボス弁が言うなら、今上海に行って中国語を勉強するのは良いことなのだと納得もし、2004年の冬、弁護士になって半年経つか経たないかで、上海に飛び立ちました。
3. 上海で一生分の苦労を買う
深く考えずに行った上海で、私は、想像をはるかに超える苦労をすることになりました。
まず中国語は話せません。そして、当時はWi-Fiもスマホもない状況でした。ボス弁が私の面倒を頼んでくれた中国人のおばさん(中国語しかできない)のアレンジでホームステイ候補をたらい回しにされているうちに、私は日本と連絡が取れなくなり、どこにいるかも分からなくなりました。結局、困ったおばさんが、自分の家のナニーさん用の小部屋に私を住まわせてくれることになりました。その家は大学まで遠く(実際は大学が田舎でおばさんの家は上海の中心部でした)、バスを3本くらい乗り継いで3時間くらいかけて通わなくてはなりませんでした。私としては、何とかそのおばさん(実は大富豪でした)から離れて、大学近くでのホームステイをしようとして、おばさんの家を1か月後に脱出しましたが、その後が本当の地獄で、中国の庶民の生活の中でいじめ抜かれることになりました。ホームステイ先では物やお金を取られまくり、約束された食事もなくなり、文句を言うと「中国語が下手すぎて何を言っているかわからない」などと罵詈雑言を浴びせられて涙をのむ、というストレスフルな日々を送ることになりました。後ろ盾のない日本人には中国はこんなにも厳しいのか、と思い知るはめになるのです。日本とも連絡が取れない日々が続き、私がここで死んでも誰にも気づいてもらえないなと思いながら生活していました。
あまりに厳しい生活に「一刻も早く中国語をマスターして日本に帰国する」ということだけを目標に、人生で初めてと言えるほどの猛勉強をしました。ホームステイ先で交流しながら中国語を覚えるという夢を見ていたホームステイでしたが、"交流"はすっかり諦め、毎朝市場に行って「肉まん2個、野菜まん2個、あんまん2個と豆乳を3本」を買って、毎日3食、肉まんや野菜まんを2個ずつに豆乳1本を飲むだけで、あとはずっと部屋にこもって中国語を独学(上海にいながら座学)していました。最後には口中が口内炎になりました。そのかいあって、中国語を半年ちょっとである程度話せるようになりました。そうなると、これだけ苦労したのだから、中国語や中国業務を自分の売りにできるようになりたいという欲が出て、自分で中国の法律事務所を探し、1年ほど外国カウンセルとして勤務して、OJTで中国語を鍛えて日本に帰国しました。その頃には、甘かった私もすっかり考え方を改めました。
私にとっては人生最大に過酷な生活を送っていた上海で、日本の大企業の駐在員が最高級のマンションに住み、その奥様方が「上海は楽しい」などと言っているのを聞くにつれ、弁護士というものの立ち位置を嫌というほど実感させられたのです。弁護士は、守ってくれる組織もなく、自分一人の力で立って行かなくてはならない職業なのです。自由業は、かくも厳しい職業だったのです。
(なお、上記の上海の描写は当時の私に見えていた世界の単なる描写であり、言葉の壁もあり、今の私の中国への思いとは別物であることを念のため申し添えておきます。)
4. "国際弁護士"?になる
帰国後、すっかりシビアになった私は、のんびり自由な弁護士生活をめざすことを諦めました。まずは、自分の中国業務を活かせる仕事がある場所ということで、大手企業法務事務所に就職しました。毎日明け方まで働くという、自分が忌み嫌っていた勤務形態に身を置いたわけですが、上海で訳も分からずいじめ抜かれたことを考えれば、話が分かる弁護士同士で朝まで励まし合って働けるというのは、文句のつけどころのない環境でした。そこでは、中国に関する企業法務、M&Aや海外進出、国際紛争案件などの、国際的な企業法務の経験を積ませてもらうことができました。その過程で、中国案件に限らず、国際案件をやるには中国語だけでなく英語ができた方がいいと実感し、アメリカ留学を経て、香港でイギリス系の事務所にも勤務し、2013年からは北京駐在も経験させてもらいました。
町の自由な弁護士を目指していた私が、すっかり、いわゆる"国際弁護士"になってしまったわけです。
5. 人間万事塞翁が馬
その後、大手事務所を出て新事務所の立ち上げに参画しました。新事務所では自分のクライアント獲得をめざします。ふたをあけてみると、私の案件獲得は中国などの国際経験をきっかけとすることがほとんどなのですが、結局のところ、半分以上が紛争解決ものになることになりました。
なるほど。
私は、もともと人に何かを頼まれると断れない性格で、「何とか解決したい」と思ってしまうタイプでした。町の弁護士を目指していたのも、そういう自分の特徴を無意識的に分かっていたからかもしれません。
弁護士生活20年、思いもよらぬきっかけで国際企業法務の経験をたくさん積ませていただけて、そしてまた自分のフィールドに戻ってきているのかもしれません。今の私は、国際企業法務の経験をベースにしながら、国内外の紛争解決にいそしむ日々です。
でも、私はそんな弁護士生活を目指していたわけではありません。まさに人間万事塞翁が馬。目の前に与えられたものに、次々と必死に対応し続けて今に至るという感じです。
6. 弁護士の醍醐味
周りの弁護士を見ると、私のように塞翁が馬な弁護士もいれば、目指すべき弁護士像を着実に達成した弁護士もいるように思います。至る道は皆異なりますが、皆それぞれに、自分の能力の何らかの部分を活かして、自分に合うフィールドを見つけて、自分なりに仕事をしているとしみじみ思います。まさに、それができることが、自由業の醍醐味だと思います。
弁護士は、どんなに大事務所でも、守ってくれる人も組織も「ない」職業です。
自由で厳しくて面白い、そんな弁護士業へようこそ。
心掛けていただきたいこと
易 智久/Tomohisa Eki(65期)
【略歴】
2012年 弁護士登録(65期)、あさひ法律事務所入所
2019年 同事務所パートナー
2021年~現在 第二東京弁護士会司法修習委員会副委員長
1. はじめに
新入会員の皆さん、ご入会おめでとうございます。
私はこれまで、訴訟・紛争対応業務を中心に経験を積んできました。65期ですので、皆さんのちょうど10年先輩ということになります。この10年は本当にあっという間で、できるようになったことよりも、できないままのことの方が多いような気がしますし、自分ではいつまでも若手のつもりでいるのですが、以下では、新人の頃のことを思い出しながら、皆さんに心掛けていただくとよいと思うことを書いてみたいと思います。
2. 郷に入っては郷に従ってみる
先輩弁護士たちといくつか仕事をしてみるとすぐに、書面の書き方、依頼者に送るメールのニュアンス、依頼者に対する連絡の頻度やタイミング、期日報告書に何をどこまで書くかなど、先輩弁護士たちがその一挙手一投足において、異常なまでのこだわりを持って業務を進めていることに気が付くと思います。
そして皆さんは「そこまでこだわることに意味があるのか分からない」「先輩弁護士によって流儀が異なっており、それに合わせなければならず大変である(統一してもらいたい)」などと思うかもしれません。
しかし、先輩弁護士たちのこだわりには必ず理由や背景があるはずです。それらは積み上げられた経験に基づくものですから、新人の皆さんには直ちに理解できない場合が多いと思います。理解できるようになるまで時間がかかるものと思って、しばらくの間、先輩の流儀に従ってみることをお勧めします。自分になかった視点にたどり着いて膝を打つ日が来ると思います。
3. 指摘されたことは簡単には直らないと考える
皆さんが作り上げたあらゆる成果物は、先輩弁護士に真っ赤に直されることと思います。時間をかけ頭をひねって書き上げたものを直されるというのは、いつになってもストレスのかかることですが、重要なのは、直された理由をよく検証し、改善に繋げることです。
ここでよく考えていただきたいことは、その赤色で加筆された内容は、皆さんが時間をかけて調査・検討したにもかかわらず、気が付かなかった点だということです。手を抜いたから直されたのではありません。そうであるからこそ、今後も同じような見落としをして、同じように赤を入れられる可能性が高い、そのように考えて対策を講じていただくのがよいと思います。先輩が何度も同じことを指摘してくれるとは限りません。
私は、先輩弁護士に直された書面をファイリングして、似たような指摘を受けた箇所に同じ色の付箋を貼っておき、起案を仕上げた後に、その付箋部分をざっと見直して、同じ轍を踏んでいないか確認するようにしていました。それぐらいのことをしないと直らない癖や、なかなか身に着かない視点があると思います。
4. 見通しを持って仕事をする
特に紛争案件においては、案件受任後のなるべく早い段階で、文献や裁判例の調査をし、法的見通し(訴訟に至った場合の判決の見通し)をもって業務を進めることが重要だと思います。
この点の調査・検討にはまとまった時間を要しますので、私自身、新人の頃は、目の前の課題に追われてつい後回しにしてしまったり、先輩弁護士の意見に追従するだけで、自分で調査・検討することを怠っていたことがあったように思います。しかし、何とか時間を確保して、自分で調査・検討することを1年目のうちから心掛けていただくと、必ず力が付くと思います。
5. せめて形式だけは完璧にする
これは私が新人の頃に心掛けていたことです。内容面で修正が入ることはやむを得ないとして、せめて誤字脱字や表記のゆれ、インデントのずれなどは1つもない起案をしようと心掛けていました。1年目の頃には、出来上がった起案を何度も読み直すだけでなく、声に出して読んでみたり、Wordの検索機能を使って表記のゆれがないかを確認したり、様々な角度から見直しをし、それでも毎回誤字を指摘され、あれだけ見直ししたのに、などと思っていましたが、そのような経験を重ねていくうちに、自分がする誤りの傾向が分かるようになり、形式ミスはほとんどなくなりました。
漢字・仮名の使い分けや、送り仮名の付け方について、自分の中でルールが統一されていないと、表記の不統一が生じやすくなります。文化審議会が令和4年1月7日に公表した「公用文作成の考え方(建議)」や礒崎陽輔「分かりやすい公用文の書き方」などを頻繁に参照し、公用文のルールを今のうちに叩き込むことをお勧めします。また、表記や言い回しに迷ったときは、判例検索システムでフリーワード検索をして、正しい表記を確認したり、良いフレーズを探したりするとよいと思います。
6. おわりに
いろいろと書いてきましたが、これが一番お伝えしたいことかもしれません。弁護士は体が資本です。
緊急の依頼があったり締切が重なったりして、どうしても深夜や休日の稼働が続いてしまうことがあると思います。責任の重い仕事を抱えながら、締切に追われて慌ただしく過ごすうちに、無自覚にストレスが蓄積しているということもあると思います。私自身、1年目の3月頃だったと思いますが、使用者側の労働審判を初めて受任し、毎晩遅くまでかけて答弁書の準備を進めていたら、全身に蕁麻疹が出たということがありました(初めての経験でした)。最近は、若い頃と比べて疲れが出やすくなり、無理が利かなくなってきたとも感じます。皆さんも、くれぐれも無理をせず、弁護士人生、先が長いですから、ペース配分に気を付けて頑張っていただきたいと思います。
高度に専門的な弁護士業務において、新人の皆さんにできないことが多いのは当たり前のことですし、長年の経験を積んだ弁護士との間には圧倒的な差があって当然です。どうしても、できないことばかりに目が行きがちですが、できること、できるようになったことに光を当てるように心掛けていただくのがよいと思います。これはあまり参考にならない情報ですが、私は、お客さんからもらった嬉しいメールや、先輩弁護士に褒められたメールなどを、Outlookの分類機能を使って緑色に分類しておき、自信がなくなったときなどには、緑色を一気に読み直して、「自分はなんて有能な弁護士なんだ」と気分を高めるようにしていました(自己暗示に近いです)。
今後、皆さんとお仕事でご一緒することがあるかもしれません。そのときを楽しみにしております。