インタビュー

神田安積先生

一人一人の力になるために

周りの人の力になれる仕事として弁護士を選んだという神田先生に、印象深い事件、冤罪事件の弁護の経験と弁護人と被告人との信頼関係の結び方、弁護士の魅力などをお聞きしました

神田安積先生 【編集部】なぜ弁護士になろうと思ったのですか。
【神田】元々は金融機関志望で就職活動し、大学4年生の夏に内定も頂いたのです。
しかし、改めてこれまで支えてきてくれた周りの人の力になれる仕事は何か、その仕事は弁護士ではないかと考え直し、内定を断って司法試験を受けることに決めました。

【編集部】「安積(あさか)」というお名前には、ご両親のお気持ちが込められていると伺ったことがあります。
【神田】福島県に安積疏水(あさかそすい) という明治時代につくられた農業用水があります。当時、水不足に困っていた農民たちを助けた用水だそうです。
父が福島県の出身で、その用水のように人を助ける人物になってほしいという思いで私の名前を付けたと聞かされています。実際には名前負けしていますので、お恥ずかしい限りです。

【編集部】新人、若手の頃のお話を聞かせてください。
【神田】司法研修所を終了して入った事務所(幣原廣弁護士、小川原優之弁護士、そして同期には朝倉淳也弁護士がいました)は、とても自由な雰囲気でした。自分の判断で弁護士会の委員会活動や弁護団の事件に参加することができ、事務所の外で知り合った数多くの弁護士から貴重な示唆や刺激を受けることができました。
また、事務所の中でも、与えられた仕事だけではなく、興味ある事件があれば、「ぜひ一緒にやらせてください」と、率先して事件を受任するようにしていました。
若手時代は、幅広い分野で色々な経験を積む。しかも、自分からそれを求め、与えられる機会があれば積極的に受ける、そう心掛けて過ごしていました。

【編集部】強く印象に残っている事件を教えてください。
【神田】私が初めて入った弁護士会の委員会は、子どもの権利に関する委員会でしたが、「子どもの悩みごと相談」という相談窓口があり、当時まだ経験不足でしたが、その窓口を通じて受任した数多くの事件が、最も私の心に残っています。
例えば、父親から虐待を受けていた子どもが長期間不登校になり、学校はその事情を知らずに進級させず、その進級について交渉した事件。
両親が離婚し、母親が病弱であったため、子どもは父親に引き取られたものの、父親は子どもをネグレクトし、長期間家を空けてしまう。そのような環境下で、少年事件を起こしてしまった子どものサポート。
高校の教師の体罰で重い後遺症を負い、学校側が誠実な対応をしなかったことから、やむなく学校と教師に対して謝罪と損害賠償を求めて裁判を起こした事件。
家庭内の問題で、保護者に強制的に施設に入れられてしまった子どもが、その施設から逃げ出してきた事件。その子どもを家族に戻しつつ、施設の中のその他の被収容者の権利救済も図るため、当弁護士会の人権擁護委員会に人権救済申立てをし、10年以上にわたって、当弁護士会にお世話になった事件でもありました。
その他にもいじめの事件や親子間で抱える問題など、この相談窓口を通じて様々な事件を受任しました。そして、とても幸運なことに、かつて子どもであった依頼者の多くの人たちと今も連絡を取り続けています。公認会計士になった方、海外の大使館に勤務している方もいます。皆さんひとりひとりがそれぞれ頑張っています。たった一人の弁護士が、ここでお話しした子どもたちのために少しでも役に立ったということであれば、弁護士になった甲斐があったと思います。また、その方たちと連絡を取り合う度に、これからの仕事の励みにもなっています。若い時期にそのような事件、そして依頼者たちと出会えたことは私のかけがえのない財産です。

神田安積先生

【編集部】素敵なお話ですね。他にはいかがでしょうか。
【神田】いわゆる東電女性社員殺人事件も忘れられない事件の一つです。
弁護士となって4年目の1997年に、当弁護士会の委員会派遣として接見に行ったことを契機に、その後16年にわたり、当弁護士会の神山啓史弁護士、石田省三郎弁護士、丸山輝久弁護士と弁護活動をご一緒しました。第一審での無罪判決、控訴審での逆転有罪判決を経て、最終的には再審で無罪判決を得ることができました。

【編集部】世の中を大変騒がせた事件でしたよね。
【神田】被害者が女性であり、また有名大学を卒業し大手企業の社員であったという属性を含めたプライバシーが興味本位でマスコミに取り上げられていました。被疑者として逮捕されたのはネパール人の男性(ゴビンダ・プラサド・マイナリさん)でしたが、私たち弁護人は当初から彼が無実であると確信し、弁護活動に取り組みました。犯罪被害者の問題からも、刑事弁護の問題からも大きく取り上げられた事件でした。

【編集部】この事件ではどのようなことが難しかったのでしょうか。
【神田】捜査段階では、黙秘し、一通の供述調書も作らせていません。本人は無実なのですから、きっと捜査官に対して弁解をしたかったはずです。しかし、弁解が客観的な事実と食い違っていたり、弁解の内容が変遷したりすれば、犯人性の認定に使われることがあります。そのことを本人にきちんと説明して、弁解であっても話さないほうがいい、調書を作らないほうがいいとアドバイスしました。
黙秘したこと自体も重要でしたが、黙秘することについて本人に十分な説明をして理解を得たこと、日々の取調べにて様々な圧力を受ける本人のために毎日欠かさず、ときには1日に複数回接見に行ったことなど、接見時間が30分に制限される中での通訳を介してのコミュニケーションでしたが、そのプロセスを大切にしながら黙秘したことが、最終的に無罪につながる大きな要因になりました。

【編集部】公判段階での難しさ、あるいは反省点などは。
【神田】この事件は、直接証拠がなく状況証拠のみでしたが、その状況証拠にはほとんど争いがありませんでした。しかも、それらを総合評価しても犯人性に合理的疑いが残る事件であると考えられる証拠構造でした。
そのため、検察官の立証を弾劾すれば足りると考え、検察官に対する証拠開示請求が必ずしも十分ではありませんでした。
当時は、現在の証拠開示請求権は認められておらず、予め検察官の手持ち証拠を見ることができない時代でした。また、第一審で無罪となったため、控訴審においても証拠開示を求める必要性が乏しい状況でした。ところが、控訴審で逆転有罪判決となり、上告し、更に再審段階に至り、もっと証拠開示を求めておくべきだったのではないかという点が浮き彫りになりました。この事件の難しさであり、反省点でもあります。

【編集部】再審でも苦労されたと思いますが。
【神田】再審開始に必要な新証拠について随分頭を悩ませました。私たちは従前の弁護人だけで考えても限界があると考え、当弁護士会の宮村啓太弁護士と鈴木郁子弁護士に弁護団に加わっていただきました。弁護士登録したばかりのお二人の新たな視点からのアイデアを踏まえて新証拠を提出したことが、その後のDNA鑑定、そして再審開始につながりました。

【編集部】このような事件で、弁護人と被告人との信頼関係を維持するのは難しかったのでは。
【神田】信頼関係が壊れてもおかしくはなかった出来事が幾度かあったと思います。まず、捜査段階で黙秘するという私たちの弁護方針を守ったにもかかわらず、強盗殺人罪で起訴されてしまいました。弁解していれば起訴されていなかったのではないか。彼はそう思ったかもしれませんが、一言も不満を言いませんでした。私たちは当たり前のことをしていただけですが、彼は私たちが最善の弁護活動をしていると受け止め、信頼してくれていたのだと思います。
また、第一審の無罪判決で釈放され、ネパールに帰る目前で、裁判所の職権で再び勾留されました。無罪判決が出た直後に、「罪を犯したと疑うに足りる相当な理由」があり、「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」と判断されたのです。最高裁の判断は3対2で分かれましたが、今でも到底納得できない判断でした。しかし、そのときも、彼は私たちの説明を受け止めてくれました。
その後、控訴審で逆転有罪判決となり、最高裁でも上告棄却をされ、無実であるにもかかわらず、横浜刑務所にて服役することとなりました。再審にて無罪となるまで10数年にわたる刑務所生活では、精神安定剤の処方を受けるほど心身ともに厳しい処遇を受けていましたが、私たちの活動や方針を信頼し続けてくれました。
拘置所や刑務所には定期的に通訳人を伴って面会し、毎年のお正月にも必ず仕事始めに面会に行っていました。最高裁で上告棄却され、再審開始が決まるまでの最も苦しい時期にも、彼が私たち弁護人を信頼してくれていたのは、常にコミュニケーションを尽くして弁護活動をしてきたからではないかと思っています。

神田安積先生

【編集部】弁護士の魅力はどのようなところにあるとお考えですか。
【神田】弁護士は、あらゆる人の力になれる仕事、力になれる可能性を持った仕事であるということです。身近な人や紹介を受けた人にとどまらず、福祉機関等とも連携して、自分が法律問題を抱えているということ自体が分からない人や法律事務所に来ることができない人の相談に乗ることもできます。私は法テラス本部で、約3年間、約200名のスタッフ弁護士を指導・研修する室長をしていましたが、全国各地でのスタッフ弁護士の献身的な仕事ぶりに頭が下がる思いがしました。
また、弁護士はあらゆる分野の仕事に携われる可能性を持っています。一般の民事事件、家事事件、刑事事件はもちろん、上場企業やスタートアップ企業、人権NGOやNPOにも関われるし、任期付公務員や企業内弁護士として働いたり、国際的な業務に携わったり、自ら起業することもできる。
こんなにも可能性に満ちた仕事、また様々な人と出会える可能性に満ちた仕事は、他にはないのではないかと私は思います。弁護士の魅力は、そういうところにあると思います。しかも、最近は、ガバナンスとかコンプライアンスなどとよく言われるように、法律が企業や人々の生活のインフラとして根付き始めています。法律や、ソフトローを含めた広い意味でのルールが人々の共有価値になり始め、弁護士が活躍する土壌が豊かになりつつあります。かつては、弁護士というと"裁判"、"争い"というイメージだったものが、二乗、三乗のスピード感で弁護士が活躍できるフィールドが広がっており、弁護士の魅力はますます増していると感じています。そのためにも、私たち弁護士や弁護士会は、もっともっと弁護士の魅力や弁護士の役割を社会に伝え、理解を求める努力をしなければなりません。特に、法曹を目指す人、目指すかもしれない人たちに対して、こちらからアウトリーチをし、まずは弁護士の生の姿を知ってもらいたいと思います。

【編集部】今後やってみたいと思っていることを教えてください。
【神田】冒頭の話に戻りますが、弁護士になったばかりの頃に関心を持ち、その後しばらく遠ざかってしまっている子どもの権利や貧困の問題に関心があります。こども食堂などの取り組みのように、法律家としてではなくて、一市民として参加して何か役に立てたらいいなと思います。
特に今後、その是非は別として、国策として移民政策が採られ、日本に定住する外国人の子どもたちが増えていくので、外国人の子どもたちの問題にも関わりたい。その子どもたちの家族が法律問題で困っているという端緒が得られれば、法律家としてもサポートができればと思っています。