インタビュー

戸舘圭之弁護士

略歴(掲載時)
2007年 弁護士登録
袴田事件弁護団
ブラック企業被害対策弁護団 副代表
第二東京弁護士会刑事法制・刑事被拘禁者の権利に関する委員会 副委員長
(平成23年~平成27年)


人生を変えたえん罪事件との闘い

編集部

本日は戸舘先生にお越しいただきました。
60期ということで、弁護士何年目ですか。

戸舘

18年目でしょうか。2007年9月登録なので。

戸舘圭之先生
編集部

司法試験の受験を考えたきっかけからお願いします。

戸舘

静岡大学だったんですが、3年生のときに袴田事件弁護団で事務局長をされている小川秀世弁護士が、大学へ講義に来ていたんですね。その講義を受講して、そこで袴田事件という冤罪事件があるんだと。元プロボクサーの袴田巖さんという方が、やってもいない犯罪で死刑判決を受けてしまって、いまだに獄中の中にいて裁判所も裁判のやり直し、再審を認めないし無罪にもならずに闘っている事件があるんだというのを、小川弁護士が講義でお話しされて。
それを聞いた私は率直に衝撃を受けたんですね。何に衝撃を受けたかというと、やってもいない犯罪で、裁判で有罪になってしまうと。しかもそれが死刑判決で何十年もずっと獄中にいて、いまだに助からないよと。そんな不条理というのがこの世の中に本当にあるのかというのを、二十歳そこそこの私はかなり衝撃を受けまして。世の中、ある程度、正しく回っていると漠然と信じていた中で、こんなに不条理なことがまかり通っちゃっているんだということに、本当にショックを受けたんです。
そこから袴田事件に取り組んでいる弁護士の方々とか支援者の方々の集まりであるとか、弁護団会議とかに参加させていただいて、どんどん事件のことを勉強していく中で、自分自身の今後の進路選択の1つとして、こういう冤罪に取り組む弁護士に自分もなりたいなというのを、率直にといいますか、本当に素朴な正義感ではあるんですけど感じまして。自分がこの先、何ができるかって考えたときに、冤罪事件を扱う弁護士になって袴田さんのことを救いたいんだというふうに思ったのが、ちょうど大学4年生のときです。

編集部

司法試験は何回受験しましたか?

戸舘

4回受験して、4回目で合格しました。

編集部

受験期間中はどうでしたか。

戸舘

合格する前の3回目の受験の時に短答試験に初めて合格して、論文試験を受けました。7月に論文を受けて8月がちょっと夏休みっぽくなるじゃないですか、旧司法試験受験界は。ちょうど、その年の8月に袴田事件の第1次再審の即時抗告審の東京高裁の決定があったんですね。
当時、司法試験受験期間中は、袴田事件だとか、そういった試験に関係のないお話というのはすべて封印して、ひたすら受験のことだけ考えて生きていました。そうは言っても論文試験が終わってちょっとひと息ついて、袴田事件の決定がいよいよあるぞ、8月にと。東京高裁でひょっとしたらひょっとするかもしれないと。再審開始、認めてくれるかもしれないよと。それが、2004年だったと思うんですけど、そのときに私も裁判所に行ったんですよ、その決定が出てくる瞬間を見届けに。

編集部

それはやっぱりずっと気になっていたと。

戸舘

そうそう、気になっていたから。支援者の方とか弁護団の方とも疎遠にはなっていたけれども、いよいよ(再審開始の)決定が出るかもしれないということで行ったんですね。でも、行ったら、当時からするとまさかの即時抗告棄却。再審、やっぱり認めずという決定が出まして、東京高裁で。安廣文夫裁判長の裁判体だったんですけれども......

編集部

忘れもしない。

戸舘

忘れもしない。安廣文夫裁判長と竹花俊裁判官、あと小西秀宣裁判官。内容的にもすごいひどい決定ではあったんですね。再審を棄却する内容の。そのときに弁護団が記者会見を開いたんですよ、日弁連の会議室をぶち抜きで使って。そのときにこの決定は不当だという話をするわけなんですけど、そこで小川秀世先生が記者会見でいろいろ話している最中に号泣しちゃったんですよ、小川先生が。
それを見て、かなりショックというか、再審を棄却されたのもショックではあったし、マスコミとか、テレビも含めて、カシャカシャやっている前で小川先生が号泣していると。わんわん泣いていると。それを見て本当に弁護士の仕事でここまで泣くほどのことが起きるのか、みたいなことに、すごい衝撃を受けまして。それを見たときに受験生活3年目だったんですけれども、いや、これは本当に受からないといけないなと。なぜか分からないですけど、小川先生が記者会見で号泣している姿を見て、これは本気出して受からないと、と。それで袴田さんの再審を絶対に勝ち取るために自分は弁護士になるんだと、かなり強く思ったのをすごい覚えていますよね。

編集部

小川弁護士の涙というのは、戸舘先生にとってどう映ったんですか。悔し涙?

戸舘

そう悔し涙。だから弁護士がそこまで精魂込めて弁護活動して、それが裁判所に受け入れられなかったときの悔し涙という、こういうことがあるんだと。そこまで、まさに命懸けてじゃないですけれども、弁護士が取り組んで、それで裁判所から裏切られるということというのはすごい衝撃的なことではあるし、やっぱりそこまで弁護士がのめり込む、袴田さんを救うために頑張っている、いわば弁護士としての全精力を注いでいるという姿に、率直に感銘を受けましたよね。
なのでやっぱり自分もそこに加わりたいんだと。そのためにはもっと頑張らなきゃと。受験勉強1年、2年やって、3年目なので、だんだんと慣れみたいなものがちょうど出てきているころだったのかもしれないですけれども、やっぱりもっと気合を入れて頑張らないといけないなというのは強く思いましたよね。

編集部

やっぱり自分自身もこの不条理を何とかするために立ち向かわなければならない、そういうような。

戸舘

そうですね。だから大学を卒業して袴田事件とかそういう運動界隈からは、いったん足を洗って受験勉強に専念していたわけなんですけど、さっき言ったその3年目のときの8月に、そういう袴田事件の決定の際に小川先生の涙とかを見て、あらためて初心に帰るような、自分が何で司法試験を目指そうと思ったのかというのを再認識させられて、そのためには頑張らなきゃいけないなと。
自分のモチベーションというか、何のために司法試験を受けているのかみたいなところは、勉強をある程度続けていると、訳分からなくなってくるので、そういう動機付けはやっぱり必要だなと。そのときにたまたまではあったんですけど、自分にとってはかなりいい刺激になりましたよね、あの瞬間が。

編集部

そして、見事に次の年に合格をしました。そこからいわゆる修習期間ということで、研修のようなものが、我々で言うと1年数カ月ありましたけれども、その間は何か袴田事件に関して取り組んだことというのはあるんですか。

戸舘

司法試験に合格して真っ先に思ったのが、ああ、これで受験勉強から解放されるんだと。だから、すごい解放感といいますか、あとは好きなことができるぞというのは思いましたよね。
先ほど言ったみたいに東京高裁が棄却されて、当時、最高裁に特別抗告が上がっている段階でしたけど、自分にできることは何かというのを考えて、できるだけこの袴田事件の問題に取り組みたいし、司法試験に受かったらそういうほかの合格者とか同期の修習生にも、この事件、知ってもらいたいんだというふうに強く思いましたよね。それですかさずブログを作って、袴田事件を考えるブログというか、「袴田事件研究会修習生部会」とかいうタイトルのブログを作って。

編集部

勝手に?

戸舘

勝手に(笑)。勝手に作って、事件のこととかそういう再審の判例だとかをぺたぺた張ってブログに載っけて、あとは合格した後に司法試験合格者対象の祝賀会を、各種団体とか予備校とかでやっていたと思うんですけど、そういうところに顔を出した際には、自分でお手製の袴田事件についてのビラを作ってコピーして、みんなに配っていたりとかってやっていましたね。

編集部

それは何か世界に発信しなきゃという思いで?

戸舘

そうですね。ほぼ半引きこもりみたいな感じで受験生活を送っていたけど、合格したら修習生同士のつながりというのが出てきました。合格者で集まるメーリングリストとかあったじゃないですか、修習前から。当時は今のようなSNSとかがないので、そういうメーリングリストとかで意見交換だとか、同期の人たち、会ったこともない人とかいましたけれども、自分はこういう袴田事件とかに興味があるんですよとかって言って。そういう関心を持ってくれる人たちが集まっているメーリングリストだったので、発信をしていました。ビラも作ってまいてました。
また、関心ある人たちを何人か集めて、例えば袴田事件の弁護団の先生の事務所を訪問するとか、話を聞きに行くとか、いろいろやっていましたよね。

編集部

じゃあ、いよいよ弁護士に登録をして、袴田弁護団に入るわけですよね。すぐ入ったんですか?

戸舘

そうですね。修習生のころから弁護団会議に顔を出していましたし。
9月の頭に登録して、弁護士会の窓口で弁護士のバッジをもらって、おそらくその足で私、東京拘置所に行ったと思いますね。袴田さんに会いに。

編集部

もう、すぐに?

戸舘

はい。すぐ飛んでいったと思います。弁選(弁護士選任届)持って。弁選を書いてもらって弁護人になるために。

編集部

会えたんですか。

戸舘

初回は会えなかった。当時、袴田さんは、拘禁症ということで精神的に病んでいる状態だったので、まともな意思疎通はできなくて。弁選、差し入れて何か書いてもらったんですけれども、名前なのか記号なのかよく分からない形のものを取りあえず書いてもらいましたよね。

編集部

ずっと支援してきて、そのときが初めて袴田さんに会ったときだったんですか。

戸舘

初めて会いましたね。

編集部

どんな印象でしたか。

戸舘

まあ、年のわりにはすごい若々しいというか、肌の色艶も良くてと。それまでは、ボクサー時代の昔の写真とか、あとは獄中にいる状況をイラストでスケッチした絵とかしか見たことがなかったので、リアルな袴田さんがいる、本当に袴田さんがいるんだなという感じではありましたよね。

編集部

何かそのときに心境の変化とか、あったりしましたか。

戸舘

いや、本当にアクリル板で隔てた向こう側に、今まさに死刑確定者として、いると。こういうとき、いつも思うんですけど、本当にこのアクリル板、ぶち壊して、すぐにでも助け出したいという衝動に駆られるぐらいです。それがかなわない今の制度とか、そういう刑事司法の現実というのを、目の当たりにしましたよね。目の前にはいるんだけれども、その距離がめちゃくちゃ遠い。当時の状況からして、それをどうやったら解決できるのかみたいなことは、やっぱり考えちゃいましたよね。もどかしさというか。

編集部

弁護団員になってみて、大変だったなということって何かあるんですか。

戸舘

袴田事件の弁護団に入りたいとか、袴田事件の弁護をしたいですよって、さっきから私、その話ばっかりしていますけど、なってみると弁護士の仕事ってそれだけやっていちゃ生きていけないというのに、気付くわけですよね。早く気付けという話かもしれないですけど(笑)。
法律事務所に入れば入ったで、それはいろいろな事件がやってくるし、毎日それに追われていくわけです。そうやっていくと、やっぱり袴田事件にどれだけ時間を割けるかみたいなのが正直、あるわけですよ。弁護団でやっているとはいえ、四六時中、やっているわけにはいかないですし。仕事が忙しくなってくると弁護団の活動とは疎遠になってきたりとか、どうしてもなってしまうんですよね。
そうなってくるとなかなかそこにかかわれない自分自身がどうなのかしらと思いつつも、今、目の前の仕事をこなさないといけないし、ほかにも依頼者、クライアントはたくさんいて、仕事を待ってくれてる人もいる。そういうところでは、いろいろと日々矛盾と葛藤を抱えながらやっていましたよね。

編集部

自分の中ではそういうことはどうやって整理をつけてきてるんですか、葛藤とか矛盾というのは。

戸舘

できる範囲でやるしかないのかなと、わりと早い段階でそう思えるようになったというのはあります。弁護士1年目で私、体、壊してしまって、そこから働き過ぎてもいいこと何一つないなというのに気付いたわけなんです。半年ぐらい入院したことがあるんですけど。そこからやっぱり自分ができることをできる範囲でする、と。それが結局、回り回ってみんなのためにもなるのかなと。依頼者のためにもなるし。逆に無理してつぶれたらおしまいだし。
弁護団活動のことについて言えば、それはやっぱり弁護団でやっているので、みんないろいろな仕事を抱えながら、できることをできる範囲で取り組むと。それで回っていくんだから、1人が何か抱え込んで無理する必要はないんだというふうに、意識的に思うようになりましたよね。

編集部

弁護団としてこの事件にずっと取り組んでこられてきたわけですけど、なかなか局面が動かない状況が続くわけじゃないですか。今はもう無罪が確定している段階ですけど、ここに至るまでにいくつかのターニングポイントというか、トピックがあったと思うんですけれども、最初に、ああ、これは事件が動いたなと、この袴田事件はもしかしたら何とかなるんじゃないかというように思った出来事というと何ですか。

戸舘

2014年3月の静岡地裁の再審開始決定で、即日に村山浩昭裁判長が釈放を命じたという瞬間です。本当に、ひょっとするとというか、まさかそういう決定が出るとは思わなかったので、本当に動きだすぞというのを2014年の決定のときには思いましたよね。そこで解決に一気に進むんじゃないかという期待もありましたし。

編集部

あれはまさか出るとは思わなかったという感覚ですか。

戸舘

まさか即日、出てくるとは思わなかった。再審開始はあり得る、でも、あり得るとしても、何十年もずっとやってきて、蹴られ続けていますから、(再審開始決定が)出てほしいとは思っていても、やっぱり出るとは思わないわけなんですよ。

編集部

何十年も続いて出てないとなると。

戸舘

だから今でもあの再審の日の当日のことを思い出しますけど、ぎりぎりまで、出てほしいけどやっぱりだめかもしれない、出てほしいけどやっぱりだめかもしれないと。この仕事をやっていると判決前ってそういう気持ちになるのはよくあるんですけれども、本当にそういう不安定な状態でしたよね。
過去に今までいろいろな裁判官に裏切られたことを思い出しながら、やっぱりだめかもしれないというのは思いながら、ふたを開けてみるまで分からないという状態ではあったので。
あの日、朝10時だったと思うんですけど、私、東京の日弁連で会長声明準備のサポートスタッフとして待機していたんです。そしたら、静岡の弁護士から電話がかかってきて、「再審開始、再審開始」と。それを聞いたときは、もう舞い上がっちゃいましたよね、あの瞬間。

編集部

びっくりしました? 聞いた瞬間。

戸舘

びっくりしましたね。まず結論を聞いてびっくりして。それに、再審開始と刑の執行の停止と、あと死刑の執行のための拘置の執行停止、これが釈放を意味するんですけど、それも付いたんだというふうに電話で第一声を聞いて、さらにびっくりして。そこからメールかファクスで決定書が送られてきて。これが、読めば読むほどびっくりすることがたくさん書いてあるんですよ。例えば決定的証拠とされた5点の衣類は、捜査機関、警察が捏造したものなんだということを裁判所がはっきり認めちゃってたりとか。あとは、袴田さんをすぐに釈放しなければいけないと。なぜかというともう40年以上も死刑囚として苦しめられて、しかも捜査機関による捏造まで疑われているんだと。そう考えた場合には、これ以上、袴田さんを拘置所に閉じ込めておくことは耐え難いほど正義に反するんだと。耐え難いほど正義に反する、と決定文に書いてあったんです。それ、見たときには本当、震えましたよね。裁判官がそこまで書くのかと、正直、本当に驚きましたよね。

編集部

ただ、再審決定が出たあと、紆余曲折があって、またそこからすごく時間がかかるわけですよね。その間ってどういう気持ちとか覚えていますか。

戸舘

その後、検察官が即時抗告して、2018年6月11日に東京高裁が再審開始をひっくり返しちゃうんですよ。決定が出るその日、私も弁護団として高裁に行って15階の部屋で、茶封筒に入った決定を弁護団に渡されたんですよね。渡されて封筒を開けて、えっ? てみんなでなっちゃったと。もう訳が分からない、原決定を取り消すと、本件、再審請求を棄却するなんて書いていましたから。でも、ショックを受けながらも、私の弁護団でのそのときのミッションは、その決定書きの入った茶封筒を日弁連までお届けするというものでした。泣きそうになりながら。

戸舘

ちなみにその日の午前中かな、絶対いい決定が出ると思っていたので、再審開始が出た決定に対する即時抗告ですから、まず通るだろうと。だから私もすごい気楽に構えて、子ども連れて裁判所に遊びにきたりとかしていたんです、午前中。隣の法務省の別館の博物館とかあるじゃないですか。あれ、子どもに見せて、じゃあ、行ってくるねとか言って、バイバイして行ったら、そんなことが起きて。
だからあれは本当に奈落の底に突き落とされるみたいな感じでした。いろいろ打ちのめされる経験は弁護士をやっていると少なからずありますけれど。小さい事件だと、例えば保釈が通ったのに抗告でひっくり返されるとかって、あれも結構こたえるんですけれども。でも、あの日は、人生においていくつあるか分からないぐらいの衝撃的な日ではありましたよ。
そこからは大変でしたけどね。特別抗告期間は5日間なので、そこから弁護団でどうするかという話になって。土日を挟むから実際7日ぐらいはあったのかもしれないですけど、急遽、特別抗告申立書を出さなきゃいけないと。特別抗告だから憲法違反、判例違反から説き起こさなきゃいけないよということになって。あのとき私が自分で手を上げたのか、弁護団長の西嶋先生から言われたかどっちかでしたけど、私が、憲法違反と判例違反を書くってことになったんですよね、5日以内で。

編集部

5日以内で!でも弁護団の承認も必要だから、最初のドラフトはもっと早くに出すと。

戸舘

だから本当に急いでというか、憲法違反、判例違反とも、これまでの蓄積がなかったわけではないですけど、袴田事件に適した形で憲法違反などをどう書き上げるかというのは結構大変でしたよね。覚えているのは、國學院大學の中川孝博先生という刑事訴訟法の先生に、もう頭を下げて研究室まで訪問して、特別抗告で憲法違反、判例違反を出さなきゃいけないんだけど、何かいい助言、ありませんかみたいなことでお伺いを立てたりとか。それでいろいろ教えてもらって、一気に書き上げていきましたよね。

編集部

じゃあ、もうその5日間はその仕事だけを。

戸舘

だったのか...。ほかに仕事しているはずなんですけど、そんな感じでしたよね。

編集部

それを何とか脱しても、そこからまだ続きますよね。

戸舘

そうですね。弁護団の特別抗告が2018年の6月18日だったんですけど、そこから最高裁に上がって、約2年、2020年の12月22日に、突然、最高裁が原決定取り消して高裁に差し戻すという決定を、最高裁の第3小法廷が出して。
最高裁係属中は、申立書に対して検察官も反論を出してきて、弁護団もそれに対して補充の理由書とかを何回か出していました。でも、決定は突然、降ってきましたね。確か私、そのとき、自分の事務所で、日弁連の人権擁護委員会の再審部会か何かの会議にオンラインで参加していたんです。ちょうど、何か違うことをやっていたら、いきなり、戸舘さん、戸舘さんとかってパソコンから声が聞こえてくるんです。そうしたら袴田、差し戻しだってよとかって言われて、飛び起きたみたいな感じで、ええって。あのときも確かすぐ日弁連の会長声明を作ってくれみたいな話になって作りましたっけ、確か。あれ、僕が書いた気がしますけど。

編集部

差し戻しということは、かなり次はいい結果が出るんじゃないかなというふうには......

戸舘

まあ、首の皮一枚つながったというか、再審取り消しを取り消したので。反対意見は、差し戻さずにすぐ再審開始しろだったんですけど、宇賀克也裁判官の反対意見とか。ただ、多数意見は取りあえずもう1回調べ直せってことで差し戻したので。でも、いい方向の決定であることは間違いなかったですからね。

編集部

もし、最高裁で負けていたとしたら、どうなっていたんですか。また一から始めるしかないと。

戸舘

一から始めるしかない。

編集部

ちょっと覚悟はしていました?

戸舘

あんまり考えてはいなかったですけど、でもそのころから最悪な場合はいろいろ想定はしていて。袴田さんは2014年に釈放されていますけれども、じゃあ、再審の結果がだめだった場合、どうなるのか、再び収監されちゃうのかとか。それを止めるためには何かできないのか、というのは結構考えていましたよね。1つは行政法を使って何とか止められないかと。刑の執行権限は法務大臣にあるので、それを行政事件訴訟法とかで仮の差し止めができないかというのは、行政法の研究者の方にも意見を聞きに行ったりもしたこともありましたよね。そういう可能性があるのかないのかも含めて。

編集部

そういう最悪の場合に備えて、袴田さんが何とか外にいられるようにだけはしようと。

戸舘

そうですね。あと恩赦とかね、できる制度は何でも使わないと、といろいろ考えましたよね。

編集部

その後、再審が確定しました。

戸舘

そうですね。2023年の3月に再審開始決定が出て確定しました。

編集部

再審の決定が出たときは、今度はどこにいたんですか。

戸舘

去年は東京高裁で私は旗出しって言って、即時抗告棄却というのを、もうちょっといけば再審開始という。西澤さんという弁護団で一番若手の女性の方だったんですけど、彼女は2018年のときに不当決定の旗を持った人だったので、リベンジということで持つよと。もう1人はその人と私と同期の方が持つはずだったんですけど、前の予定の調停か何かが長引いて来られませんと。じゃあ、戸舘さん、行ってくださいってことになって。私が裁判所の1階で待機して、電話で決定の内容を聞いて、よかったら旗を持って外にぱっとやってくださいと。
時間が来てもなかなか電話がかかって来なかったんですが、1分後、2分後ぐらいに電話がかかってきて、「再審開始、再審開始」と。よしということで、駆け足で出て行って、こうやってぱってやった。

編集部

さっきからあれなんですけど、電話のときって2回繰り返すんですか。

戸舘

繰り返します。間違えがないように。

編集部

2回?

戸舘

2回か3回です。抗告審なので抗告棄却とかってよく分からないじゃないですか。だから抗告棄却で再審開始なんだということを言い直すって感じです。

編集部

旗出しは初めてだったんですか、袴田さんの。

戸舘

僕は初めてでしたね、あのときが。

編集部

何か感慨深いとか、ありましたか。

戸舘

いや、もう決定の中身を聞くまでは本当にどきどきでしたので、やっぱり考えるわけですよ。その2018年のこともありましたし、裁判所はそうは言っても何するか分からないと。差し戻したからといって結論が保証されているわけでもないし、審理の結果、やっぱりってことはあり得る世界ですし、そんな事件、山ほどあるので。だからもう電話で聞くまでは本当に落ち着かなかったですよね。
だから、もう決定を聞いたら、よしってことで行って。だって、行ってばっ出したら、もうみんな、わーっとなっているので。支援者の方とマスコミがわーっと来ていたので。すごかったですよね、あのときは。

編集部

よかったなという感じですか。

戸舘

あの瞬間は本当にすごいよかったですよね。いろいろありましたからね。やっぱりその瞬間、みんな喜んでいますし、袴田さんのお姉さんの秀子さんとかも一緒に来て、本当にみんなで喜んでいるというのはすごいよかったですよね。

編集部

また東京高検がこれに特別抗告をするんじゃないかとか思いましたか。

戸舘

はい、ありましたね。まあ、その日は盛り上がって終わりましたけど、でも特別抗告、本気でするのかな、これ、何としても阻止しなきゃいけないよと。そこからはまた5日、1週間か。闘いでしたよね。すかさず私の方で「Change.org」というサイトでネット署名を立ち上げて。思いのほか反響があって、最終的に3万人を超えたんですかね、あのときは。他にも「Twitter」で拡散させたりとかしながら、あれこれやっていましたよね。弁護団の広報って別に決まった人がいるわけじゃないんですけど、事実上、私がほとんどSNSとかで広める係に勝手になっちゃっていましたけど、そういうところで運動を広げようとしていましたよね。
あとは支援者の方々とかは連日、高検前でそういう声を上げるための座り込みみたいなのをしていたりとか、弁護団からも申し入れをしたりとか、あの手この手でやっていましたね。

編集部

その甲斐もあって再審が確定して再審が始まるということですよね。でも検察がまた有罪立証をするんじゃないかということについてはどうでしたか。

戸舘

検察は、特別抗告を断念したので、白旗を揚げて、あとは再審公判は有罪立証もせずにさくっと終わらせようとしてくるかと思いきや、事前の公判前の打ち合わせの中でもなかなか態度を明らかにしなくて。3月に再審開始が確定して、4月からもう静岡地裁で再審公判に向けての話し合いが始まったんですけど、なかなか検察官も態度を明らかにしなくて。7月ごろにやっぱり有罪立証しますということを言いだし、あとは審理をどう進めるのかということで結構細かい議論をして、ようやく10月にスタートさせるということで始まったって感じですかね。
ただ、なかなか公判日程が入らなくて、弁護団の方から早く日にちを決めてくれとかって話だったんですけど、結果的にはかなりハイスピードでした。4月から公判の準備が始まって10月から第1回公判がスタートして、翌年5月までで15回、公判をやったんですかね、証人尋問とかを入れて。それで9月に判決ですから、できれば年度内というふうに考えてはいたんですけど、裁判所なりにかなり急いで、1年ちょっとで判決までいったということは、相当頑張ってくれたと思います。

編集部

最後の再審公判って、弁護団としてはかなり最後のゴールに向けて、ゴールが近づいているという感じなんですか。それともまだまだかかるかなという感じでした?

戸舘

検察官が全力を挙げてというか反撃をしてきていますので、やっぱりそれ、たたかなきゃということになってきますよね。検察官が、蒸し返し的ではあるんですけど、そういう揚げ足取りなというか、そういう鑑定とか科学者に対していろいろ言ってきて。最終的には法医学者を何人も法廷に呼んで、対立する証人の双方から意見を聞く対質とかまでやって。
そういう形であったので、血痕の色に関する法医学鑑定とか、専門的に詳しくやっていた担当の弁護士たちは、相当、根を詰めてやっていましたよね。北海道の方に鑑定、法医学の先生とかがいるんですけど、打ち合わせに何度も行ったりとかしていましたし。

編集部

全然もう勝てそうというよりは、そういうことも考える間もなく全力で。

戸舘

そうですね。結論は勝つんだろうけど、最後まできちんとたたきつぶす必要があるってことで、かなり細かく弁護活動をしていましたよね。

編集部

最後、当時は最後になるか分からなかったんですが、無罪の判決が出た時は、どうでしたか。

戸舘

静岡地裁の法廷まで聞きに行きました。でも、ひょっとするとひょっとするかもしれないなというのは、何度も言いますけど、まさかが起こるのが裁判所だと。100%勝てると思っても負けることというのはあり得るので。ひょっとすると再審公判でやっぱり有罪なんていうのも絶対ない世界ではないので、被告人は無罪というのを聞くまでは安心はできないなと。
今まで再審開始が認められて有罪になった事件はないので、まず大丈夫だろうとは思いましたし、弁護団やマスコミの関心事も、無罪を前提に、あとは捜査機関の証拠捏造を裁判所がどこまで踏み込んで判断するかといったところに、関心は高まっていたので。そういうものなのかなと思いながらも、とはいえやっぱり無罪判決を聞くまでは安心できないなと思って公判に臨みましたよね。
法廷に裁判長が現れて、袴田秀子さんが再審公判では保佐人という立場で訴訟に参加していたんですけれども、秀子さんに証言台の前に座ってもらって、「今から言い渡します。主文、被告人は無罪です」と。もう一度言ったのかな。「袴田巖さんは無罪です」とか言い直して。2回、確か国井裁判長が言ったと思うんですけど。それを聞いた瞬間、やっぱり安心したって感じですかね。ああ、やっと無罪が出たんだという感じでしたよね。

編集部

これまでの弁護活動とか、弁護活動に先立つ学生時代からのいろいろな活動も含めて、長い時間だったと思うんですけど。

戸舘

だから本当にそう考えると感慨深いということなんだと思いますよね。まさかね、自分が弁護士をやっている間にこういう瞬間が来るなんていうのは、なかなか想像もつかない中で、弁護団みんなで動いてきたというのはありますので。本当に被告人は無罪なんだというのはすごいしみじみと感じました。
ほかの事件で公判に行って被告人は無罪って聞くときというのは、結構驚きが大きいんです。期待しないで行って被告人は無罪というパターンばっかりですから。むしろ、えってびっくりするという感じなんです。
袴田事件の場合は、再審開始になっての無罪ではあるので、そういう緊張感はなかったですけど、違う意味でじわじわ来るというか。被告人は無罪という主文を聞いた瞬間、結論は当然だし、いいんですけれども、何かわーっと来る高揚感みたいものではない不思議な感覚でした。

編集部

今回、弁護士としてその無罪の判決に立ち会ったわけですけれども、弁護士として立ち会えてよかったな、取り組んでよかったなみたいなことって何かありますか。

戸舘

刑事裁判という制度の中で誤った裁判がなされていて、その制度の下で犠牲になった冤罪被害者がまさに袴田巖さんなので、それを救済できるのも法制度でしかないわけです。そのために日本の刑事訴訟法には再審という制度がちゃんとあります。まあ、不十分だし改正も必要ではあるんですけれども、今ある制度を使いこなすというためには、我々弁護士が法律を武器にできることはたくさんありましたし、そこにかかわることができたというのは、私自身は自分にとってもやりがいがあったと思います。そういう法律を使って誰かを救うことができるんだと。
もちろん、一市民としていろいろ取り組むということはできたかもしれないですけど、私の場合は、運よく司法試験に受かって弁護士になるができたので、弁護士として法を使って裁判所に働き掛けて変えていく、誰かを助けるというところにかかわることができました。これは、すごい意味のあることだし、ずっと法律を勉強してきて本当によかったなと思いました。

編集部

その後、無罪が確定して袴田事件としては1つの節目を迎えたんですが、次の目標みたいなものは何かあるんですか。

戸舘

袴田事件は無罪で終わることはできたんですけど、捜査機関の違法や、裁判所、検察の違法は当然あったので、今後、国賠訴訟で責任追及していくことがありますね。あとは、何で、58年もたたないと冤罪の人が救われない制度になっているんだと。その原因究明というのは、絶対必要だと思うので、それはやっぱりちゃんと進めていく必要があるのかなと思っています。
もう一方で、こういう袴田事件のような不幸な冤罪は、今の日本の刑事訴訟法のシステムの下で起きています。実際、刑事訴訟法というのは袴田さんが逮捕された頃から多少変更はありますけど、基本的には何も変わっていないと。とりわけ人質司法として批判される部分ですよね。逮捕されてから23日間は拘留されてしまうとか、身体拘束されて否認している限りはなかなか出てこられないとか、保釈もなかなか認められないぞ、とか。そういう中で、密室での取り調べが普通に行われていると。
取り調べに当たって黙秘権を自由に行使できないとか、事実上、取り調べ受忍義務が課せられた状態で、結局、自白が強要される。そういう構造というのはいまだに変わっていない現実がありますし、今でも毎日どこかで誰かが逮捕されて勾留されちゃっていると。そういう現実がありますので、私は、この袴田事件がきっかけでもいいんですが、日本の刑事司法は今でもこんなに問題があるんですよと、それはやっぱり変えていかなきゃいけないんですよ、ということは広く知っていただきたいです。あとは、弁護士とすれば日々そういう事件をいくつも扱っていますので、一つずつ弁護活動をしながら、取り調べ受忍義務など、日本の刑事司法を変えていくために、一弁護士として法律を武器に闘っていくべきなのかなと思っています。

編集部

メディアへの執筆や出演も、結構なさっているというのをあらためて知りまして。例えば「東洋経済オンライン」のコラムや、アエラの取材記事、刑事弁護系だと『季刊 刑事弁護』とか。これはメディアに力を入れようということでやっておられるんですか。

戸舘

いや、オファーが来たものは出ているって感じですかね。

編集部

じゃあ、位置付けているというよりは...

戸舘

基本、来れば拒まずです。

編集部

ただ、メディアって嫌がる方もおられると思うんですけど。

戸舘

やっぱり呼ばれるテーマがテーマで、袴田事件の話を話してくださいってことであれば、私はほぼ無条件で行くようにしているんですよ。やっぱり知ってほしいからというのはすごいありますし。それ以外にも自分でやっている事件のお話とか、社会的に意義のあるお話ということであれば、なるべくお話ししようと思っていますよね。
確かに、私自身、中途半端にメディアに出るといろいろ問題が起きることも経験していますので、嫌がられる方の理由も分からなくはないんです。けれども、それはそれとして自分が出ることで伝わることもありますし。結構、法律の話だとか、特に刑事司法の問題だと、ネット上とかSNS上で犯罪をした人に対する反応とかを見ていると、一般の方の誤解が多くて。やっぱり弁護士として分かってほしいことって、いろいろありますので。
なので、袴田事件のお話とかをしてくださいよってことであれば、なるべく行くようにはしています。あとは袴田事件のお話をする中で、やっぱり今、日本の刑事裁判は問題ですよとか、もっと素朴に、逮捕されればみんな犯罪者だと思っちゃっているかもしれないけど、本当はそんなことはないんですよ、とか。別に逮捕されたからといって、その人が犯人だと決まったわけではないんですよといった、そういう基本的なところをお話しできる機会というのは貴重かなと思って、メディアにも出るようにしています。
最近は、(弁護士会の)法教育委員会にも顔を出すようにしていて。出前授業とかも頑張っていこうかなと思っています。明日も都立高校にみんなで行くんですけど、今後、そういうのも自分の中で位置付けようかなと思っています。

編集部

こんなヒーローみたいな先生が来たら、すごくラッキーですよね。

戸舘

それは言い過ぎ(笑)。

編集部

しかも小川先生が戸舘先生の人生を変えたように、今度は戸舘先生が高校生の人生を変えるかもしれない。

戸舘

でも、本当にどこで誰の心に火を付けるか分からないですよね。高校生とかに話していて、30人は寝ているかもしれないけど、1人か2人はちょっと興味を持ってくれたりすればいいじゃないですか。実際、前に行ったときにも授業が終わった後に、1人の子がとことこやってきて、法学部、行きたいんですけどって相談しに来てくれたりとか。そういうことに関心を持っている人に弁護士の姿を見せるというのは、すごい意義があるのかなと。
二弁の法教育委員会って、4月から入れてもらったんですけど、すごい熱心に取り組んでいるんですよね。動画を作ったりだとか、ジュニアロースクールとかやったりとか。だからすごいそういう活動って大事だなと思いますよね。

編集部

ありがとうございます。だいぶいろいろ長い間、話してもらって、振り返っても含めてなんですけど、この弁護士という仕事についてのやりがいをあらためて話してもらうと、どういうことになりますか。

戸舘

やっぱり職業として人助けというか、社会を変えたりする可能性を秘めている仕事なのかなと。市民運動とかで社会を変えたいとか、政治に働き掛けるとか、こういう法制度、つくりたいとか、いろいろな思いを込めて活動することというのは、すごい大事なことだと思います。
あとは、冤罪を救うのもそうですけれども、弁護士の仕事というのは、メインは裁判所という舞台で、法律を使って事実と法を裁判所に訴えることによって、説得していくというのが弁護士の仕事でありますし、何が事実かというのを見極めた上で、その事実を裁判所にどうやったら届けることができるのか、それを下にどうすれば裁判所を説得できるのかというのを、法律を使って法を当てはめて説得するのが弁護士ですので、それ自体、面白い。法をどうやって解釈するのかとか、事実をどうやって見ていくのかというのは、すごいやりがいのある仕事だと思いますよね。学生時代には、何か杓子定木で決まった法律があるだけで、面白みもないように思ったりするんですけど、弁護士になってみると、目の前にいるこの人を助けたいと思った場合に、何が使えるのか、この法律があるけど、ここが使えないかとか、この法律をそのまま適用したらちょっと問題が生じるから、じゃあ、どうすればいいのか、とか。頭を使って、法律を解釈するとかいう必要が出てきたりしますし、どうしてもこの法律はおかしいよということであれば、法改正を求めるとか新しい法律を作るとか。そうなってきた場合は、立法府、国会に働き掛けてロビーイングするとか。そういうのも、やっぱり目の前の救いたい誰かがいるというところから始まっていて、そこからいろいろな活躍の場というのが出てくるんですよね。
だから、弁護士として目の前にいる依頼者を救うために、一生懸命、裁判、事件に取り組むというのも1つの活動でやりがいもあります。けれども、そこから救えない何か問題が起きてきた場合、再審法もまさにそうですけれども、そうなってきた場合は、弁護士や弁護士会として政策に働き掛ける。弁護士である我々は、現場でどんな人が困っているとかいうのを知っているので、その困っていることを届けることができるのは、やっぱり弁護士や弁護士会の重要な社会的役割なのかなと思いますね。
いろいろな法律を使える専門職というところから発展していって、いろいろな活躍の場の可能性を秘めた職業なのかなと思っています。

編集部

高校生とかも含めて、これから弁護士になってみようかなと思っている人であるとか、他方で、修習生といったこれから弁護士の道を歩んでいくという人などに向けて、メッセージをいただけるでしょうか。

戸舘

弁護士になるためには、いろいろ学ばなければいけないことってたくさんあるとは思いますが、弁護士になったらいろいろな可能性が出てくる、とてもすてきな仕事だと思います。人の役にも立てるし、社会のためにも役に立つことができる。法律を武器にして、闘ったりとか、人を助けたりすることもできるので。そのためには、いろいろな世の中の矛盾だとか社会のことを、小中高大学を通じて積極的にアンテナを張って吸収してもらって、社会にとって自分はどういうかかわりができるのかを考えてみてもらって、と。そのうちの選択肢の1つとして、弁護士であるとか裁判官、検察官といった法曹の世界は非常に魅力的だと思いますし、やってみる価値のある仕事かなと思いますよね。

編集部

最後に、若手弁護士って、例えばこういう袴田事件みたいなこともやってみたいけれども、なかなか難しいんじゃないかと思うようなこともあるかもしれない。例えばそういう若手に対して、何かメッセージはありますか。

戸舘

弁護士をやっていると、つらいことや面白くないこともあると思うんですが、どこかで自分のやりがいを見いだせる活動だとか事件とかにかかわっておくと、すごいモチベーションというか、どうして自分がこの仕事をやっているのかという理由が見えてきます。ですので、興味を持ったこと、人からやらされるのではなくて自分から興味を持ったことには、なるべく自分から出向いて行って、積極的にチャレンジすることが、この仕事を長く続ける上では必要なのかなと思います。
だから、何か興味を持ったことがあれば、私でもいいんですけど、誰か先輩の弁護士に話を聞きに行くとか。何かに取り組んでいる弁護士は、若い弁護士から話を聞かせてくださいって言われれば、たいていの場合は喜んで話してくれますので。知り合いでも何でもなかったとしても、いきなり事務所に電話するとかメールするとか、積極的にかかわってくれていいと思います。
あとは弁護士会の委員会であれば、そういう弁護士ともたくさん出会えますので、そういうところにも顔を出して、無理をせず、自分が関われる範囲で、何か楽しそうなことを見つけてやっていくと、弁護士生活がとても豊かになっていくと思います。